第17話 実習終了

 あっという間に時間が過ぎゆく。


 二週間など、忙しくしていればすぐ過ぎる。その間、暇を見ては保健室に入り浸っていた凪人だが、とにかく保健室には生徒がいることが多い。(当たり前だが)遥との距離を縮めるどころか『私はそんなに暇じゃない』と言われる始末。実際凪人も、教育実習後半になるとやらなければいけないことが多く、そうそうお喋りに興じていられるわけでもなかった。


(このままじゃヤバい……、)


 妙な危機感が凪人を襲う。

 気持ちを伝えるどころか、最終日だというのに連絡先すらゲット出来ていないのだ。


 そして、最後の空き時間。保健室に生徒がいないことを祈りつつ、また、ドアを叩く。

「谷口先生、いますか?」

 ガララ、と扉を開ける。

 遥は机に突っ伏して目を閉じていた。

「え? 寝てる……のか?」


 傍らにはメガネが置かれている。

 気付かれないよう、そっと近付くと、規則正しい息遣いが聞こえてくる。

 凪人は丸椅子に座ると、じっと遥の寝顔を見つめた。


「メガネ外すとこんな感じなんだ……へぇ」

 化粧っ気もあまりない遥は、しかし睫毛も長く美しい。(ように見える)こんな風に無防備なところを見せられて、手を出さずにいられようか。いや、無理だ。


 凪人は無意識のうちに手を伸ばしていた。その髪に、その頬に、その唇に…触れたい。


「どうすりゃいいんだろうな。俺、マジでわかんないや。谷口先生、俺のこと好きになってよ……」


 そっと髪に触れる。ピク、と遥の瞼が揺れた。顔を近付ける。そのまま頬にキスを……と、その瞬間、パチっと遥が目を開く。


「寝込みを襲うとは、フェアじゃないな」


「うわぁぁ」

 凪人が驚いて飛び退く。勢い余って椅子から転げ落ちた。


「い、いいいつから起きてたんですかっ?」

 尻餅を突いたまま顔を真っ赤にして(ま、青いけど)叫ぶ凪人を他所よそに、遥が大きく欠伸をする。そして、

「おいおい、大丈夫か?」

 座り込んでいる凪人に、遥が呆れて手を伸ばした。


 伸ばされた手を、不愛想に凪人が掴む。そしてそのまま遥を引き寄せたのだ。

「わっ」

 結果、遥が引っ張られ凪人の腕の中に飛び込む形になる。

「なにをっ、」

 小さくもがく遥を、凪人が抱きしめる。


「谷口先生……俺、もう我慢できない。俺、あなたが好きです。どうせ聞いてたでしょ? さっきの告白も」

 耳元で囁き、頬にキスをする。

「急にそんなこと、」

 照れくさそうに俯き呟く遥。凪人は体を離し遥の目をじっと見つめた。

「俺を見て」

 遥が顔を上げ、潤んだ瞳で凪人を見つめる。

「好きです」

 そしてそのまま、二人の唇が重なる。


 ……なんていう想像をするも、現実はそうはいかないのだ。


「大丈夫か?」

 尻餅を突いた凪人に声を掛ける遥。

「あ、はい大丈夫です」

 バツが悪そうに立ち上がる。さっきの告白、聞こえていたのだろうか。


「珍しいですね、居眠りなんて」

 話題を変えようと、少し意地悪なことを言ってみる。と、遥が大きく欠伸をしながら返した。

「ふぁぁ、昨日は昴流が寝かせてくれなくてな」


(……ん?)


「昴流……くん、ですか?」


(寝かせてくれないってどういうことだ?)


「あいつ、始まるとしつこいから」


(は、ははは始まるとしつこい…?)


 良からぬことばかり考えてしまう凪人。

「な、なにをして……、」

 しかし、聞くのも怖い……。


「役作りだそうだ。電話でずっとカレントチャプターの話をしていた。熱心なのはいいことだが、私はいささか寝不足だ」


 ……オーディションのためか。


 確かに、世界観や作品への理解度はオーディションを受ける上で重要な要素かもしれない。凪人は、いいことを考えた。


「谷口先生!」

 声を荒げ、遥に詰め寄る。

「なんだ、急に大きな声を出して」

「俺に連絡先教えてくれませんか? 俺も役作りがしたいですっ」

 真剣な顔で、頼み込む。

「えええ、」

 あからさまに面倒臭そうな顔をする遥を見て、ズキンと胸が痛む。拒絶、されたのだ。

「……あ、そうですよね、すみませんなんでもないです」


(やばい、泣きそう……)


 なんでこんなに胸が痛むのか。一刻も早くこの場を去ろう、そう思った時だった。


君」

 急に名前を呼ばれ、驚く。

「え?」

 振り返ると、遥がゆっくりと歩み寄ってくる。凪人の前に立つと、自分の掌を、凪人の胸に押し当てた。


(心臓の音、聞かれちまうっ)


 凪人が焦っていると、遥が真剣な顔で、訪ねる。

「ここには何がある?」

「へ?」

 何を言われているのかわからず思わずおかしな声を出してしまう。

「ココ、だ」

 トントン、と凪人の胸を叩く。

「心臓……?」

「ココロ、だよ」

「心……」

「カレントチャプターは、上辺の想いなんかどこにもない。全部、心だ。心で……愛で出来ている。それを忘れるな。そうすればきっといい演技が出来るだろう」


 神懸った遥の助言を、凪人は真剣に受け止めた。そうだ、心だ。愛だ。アニメを見たときに感じたあの感動。あれは台詞に心がこもっているからこそ、響いたに違いない。


「わかりました! ありがとうございます、谷口先生!」

、だ」

「……え?」

「今日で実習は終わるんだろう? これからは私を『先生』と呼ぶ必要はない」

「あ……、だからさっき俺のこと名前で…?」

「そういうことだ、君」


 ぎゅんっ。


 ただ名前を呼ばれただけなのに、テンションが爆上がる。


「それから、連絡先だな」

 携帯を取り出し、掲げてみせた。

「あああああ、はいっ!」

 凪人は満面の笑みで大きく返事をした。


 遥はそんな凪人の頭をチラリと見る。二つの触角が、元気よくピーンと立って、時折、フリフリと楽しそうに揺れるのだ。


(犬の尻尾みたいだな)


 そういえば、最近の凪人は犬っぽいな、などと考えていたのである。

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