第12話 洗脳教育

 目の前にはベッド。

 そして並んでいる、コミック。


「これは……?」

 凪人は、眉間に皺を寄せながらベッドを占領するコミックを指した。

「昨日言ったろ? コミック全巻だ。第一部の、だが」

「……は?」


 まだ、状況が飲み込めない。


 確かに昨日、遥はそんな話をしていたかもしれないが、では、コミックを渡すためだけの呼び出しだった、ということなのか?


「休み時間だろう? さ、時間の許す限り、読んで行ってくれ!」

 キラキラした視線を凪人に放ち、遥がベッドを指した。つまり、ここで読め、と。


 凪人は深く息を吐いた。

 告白じゃなかった。とんでもない勘違いだ。定石は何処に行ったんだ?


「ん? どうかしたのか?」

 遥に聞かれ、首を振る。

「いいえ、なんでも。てか、これ本当に面白いんですか?」

 漫画など、小学校以来読んでいないかもしれない。

「さぁ、それはわからんが。少なくとも、私にとっては聖書バイブルだ」


(んな、大袈裟な……、)


 凪人は言われるがまま、ベッドに腰かけ、一巻を手にした。遥はそんな凪人を見て満足したのか、

「私はそこで仕事をしているから、ゆっくりしていくといい」

 と、コーヒーの入ったカップだけを渡して机に向かってしまった。


 凪人はゆっくりと、ページをめくった。



*****


(めちゃくちゃだ……、)


 初めはそんな感想だった。


 遥が推している主人公のサカキはあまりにもバカすぎて、意味がわからない。なぜ、世界征服を企む必要があるのか、もうそこから突っ込みどころ満載なのだ。

 世界征服の第一歩が幼稚園バスジャックだったり、誘拐事件からの流れで養子をとることになったり。


 しかし、二巻、三巻と読み進めていくうちに、なんとなく面白さを感じるようになる。確かに主人公は優しいし、なんだか放っておけない感じがあるのかもしれない。 

 とはいえ、何故遥がそこまでサカキに惚れるのか、それはよくわからないのだが。


 四巻まで読んだところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「谷口先生、午後また来てもいいですか?」

 凪人が声を掛けると、心底嬉しそうな満面の笑みで、

「ああ。おいで」

 と言われた。


(おいで……、)


 きゅぅ~ん


 また、どこかからそんな擬音が聞こえる。


 凪人は慌てて頭を振ると、そそくさと保健室を後にした。

 この年になって、学校の保健室で漫画を読むことになるとは思ってもいなかった。ま、最初は別のことを想像していたわけだが……それはこの際忘れよう。

 正直、凪人はガッカリしていたのである。

「俺のこと欲しいってそういうことかよ……、」

 つい、口に出してしまう。


 結局のところ遥が口にした「欲しい」は、凪人本人のことではない。凪人の持つ、に過ぎないのだ。自分の好きなキャラクターを広めるためにだけ、凪人という媒体を利用したい。それだけ。そう思うと、なんだかとても悲しい気持ちになるのだった。



*****


 午後の授業が終わり、生徒たちがワイワイと散っていく放課後。結局、授業のなかった時間帯も用事を言いつけられたりして保健室には行けなかった。

 凪人はなるべく誰にも見られないよう、保健室へと向かう。


「あ、大和先生」

 ちょうど遥が保健室から出てくるところだった。

「ナイスタイミングだ」

 そう言って再び保健室に入る。凪人がその後を追った。

「すみません。結局あのあと来られなくて」

 謝る凪人に、遥が首を振る。

「いいんだ。仕事優先が当然だからな」


「ところで、」


 凪人はバクバクと早鐘を打つ心臓を押さえつつ、勇気を振り絞ると、言った。

「今夜は何かご予定が?」

 夕飯に誘おうというのである。

 ともすれば、何でもない一言。ただ『この後、飯でも』と言うだけ!

 なのだが……、


「予定? ああ、あるよ」

 早々に玉砕する。

「今日は放映日だから」

 サラッとそう言ってのける遥に、凪人が固まった。


(放……映日……?)


「テレビ……ですか?」

「そうだが?」

「もしかして、あの、アニメ……?」

「ああ」

「それだけ……ですか?」


 呆れたように言い放つ。

 放映日……しかもアニメの?


、とは随分だな?」

 ムッとした顔で、遥。

 あ、怒った顔も可愛い……などと一瞬考えて、慌てて頭を振る。

「あ、いや、そこまでして、リアルタイムで観たいのか、と」

 今や見逃し配信やサブスクでいくらでも観られる時代だ。

ライブで観ることに意味があるのだよ!」

 グッと拳を握り、遥。

「はぁ、」

 よくわからない感覚だが、とりあえず頷いてみる。


「あ、そうそう、漫画はここに纏めておいたからな。ちょうど週末だし、ゆっくり読んでくれ」

 がさっと紙袋を渡される。重い……。

「それじゃ、お疲れ」


 保健室の扉を閉め、颯爽と去っていく遥。凪人は重たい紙袋片手にそんな彼女の背中を見送った。

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