第10話 聖地降臨

 電車を降り、スキップしそうな勢いの遥。その背中を追う凪人は魂が抜けたかのような、対照的な足取りだ。遥が振り返り、そんな凪人を見上げた。


「どうした、元気がないな」

「いや、だって……まさか好きな男が漫画の主人公だったなんて…、」

「何をぶつぶつ言っているんだ。聖地はすぐそこだぞ!」

「へ? 聖地……?」

 遥がくるりと回り、両手を広げ、

「じゃじゃーん」

 と言ったその先にあったのは……聖地。


「ここって、」

「アニメイティだ。知ってるか?」

 アニメ好きの聖地。確かに、聖地……かもしれない。が、

「こんなところに、何しに?」

 いい大人が、とまでは言わなかったが。


「お前、今『いい大人が』って思ったな?」

「えっ?」

 そのものズバリを言われ、焦る。

「お前は、いい大人がこんなところに、と思っているな?」

 詰め寄られる。

「いや、あの、だって、」

「馬鹿者! お前は今、人類の半分を敵に回したぞ!」


(んな、大袈裟な)


「なんですか、半分って」

「世界の人口の半分はアニメが好きだ。今や世界の市場は二兆を超えるんだぞ?」

 自信満々に、腰に手をあてる遥。

「いや、はい、すみません」

 よくわからないが謝っとこう。下手に逆らうと面倒な気がする。

「うん、わかればいい。さ、行くぞ!」

 駆け出しそうな勢いの遥を、慌てて追う。


*****



 平日の夜だというのに、店にはそこそこの人がいる。そして、いい大人ばかりだ。

 凪人の来店と同時に、店にいた幾人かの女性たちがざわつき始めた。

「え? ちょっと待って、」

「なになに? 撮影? テレビ?」

「え、誰? めっちゃかっこいいんだけど!」

 いつものことなので気にしない凪人。そして凪人に興味がないため、ざわつく女性たちに気付いてもいない遥。

 そんな二人はずんずんと店の奥へと進む。


「おお、ここだ」

 店の奥、片隅に小さな特設スペースがあり、そこには『カレントチャプター』と書いてあった。が、

「で、どれが谷口先生の推しなんですか?」


 貼ってあるポスターを見たものの、いわゆる『推し』に相当するキャラクターが見受けられない。おっさん、マッチョ、JK、女の子と男の子。おっさん、おっさん……って、この漫画、おっさんばっかり?!


「推しではない! 私の……想い人だ」

 遥がうっとりした顔でポスターを愛でた。その指がなぞる先には……おっさんがいた。


「おっさん!?」

 思わず口に出してしまう凪人。

「はぁ? 誰がおっさんだ!」

「いや、だって……、」

 遥が愛で、撫でているのはタキシードを着てポーズを決めているおっさんなのだ。というか、何故タキシード?


「あのぅ、」

 揉めている二人に話しかけてきたのは、フリフリの、いわゆるロリ系ファッションに身を包んだ若い二人組。

「はい?」

 遥が返事をする。

「あの、撮影か何かですか?」

 モジモジと話し掛ける彼女の目は、チラリと凪人を盗み見る。遥は一瞬首を傾げたが、すぐに何かを思い出したようにポンと手を叩き、言った。


「ああ、撮影ではないんです。彼、最近カレントチャプターにハマりましてね。今日は本日発売の限定ポスターとキーホルダーを買いに、ね」

「ええっ、アニメ、お好きなんですかっ?」

 二人がパァァっと明るい表情になる。

「へ? あ、えっと、あー」

 しどろもどろの、凪人。

「そうなんですよ! 中でもカレントチャプターのサカキ・マサルがお気に入りでね。読んだことあります?」

 ぺらぺらと、まるでセールスでもするかのように話を進める遥。

「えー? 読んだことないかも……、」

 二人が興味を示したその一瞬を見逃すことなく、遥は推しを推した。途中、凪人に同意を求め、頷かせる。まるで凪人がこの作品の大ファンであるかのような物言いに、ロリ服の二人が興味を示し始める。


「ところで、お二人は…その、」

 遥と凪人を交互に見ながら、聞いてくる女性に、遥はキッパリと言い放った。

「タレントと、マネージャーです」

 にっこり。

「ああ、そうだったんですねぇ!」


「彼は大和凪人やまとなぎと。今は雑誌のモデルなんかでちょいちょい出ていますが、そのうちもっと有名になりますので、どうぞよろしくお願いしますね。ほら、ご挨拶!」

 遥に促され、ぺこりと頭を下げる凪人。二人が小さな声で「きゃぁ」と黄色い声を出す。


「あの、写真とかって……、」

 携帯を取り出す女性に、遥は掌をすっと前に出し、笑顔を作ると、

「お嬢さん、写真になんか収めないで。今ならこの笑顔は、君だけのものなんだから」

 と言ってのける。

「きゃぁぁぁぁ!」

 二人が手を取り合って顔を赤らめた。


(こ、こいつ……、)


 凪人は頬をひくつかせながらも、遥の言葉に乗っかる。

「俺のこと、応援してくれるかな?」

 余所行きの顔で微笑んで見せる。

「は、はいっ」

「めっちゃ応援します!!」

 目が、ハートマークになっている。


「さ、握手してもらって」

 遥に促され、震えながら手を出す二人。凪人は両手でそっと握手をする。二人は今にも腰を抜かしそうな勢いだ。

「あのっ、私もいいですか?」

「あ、私も!」

 いつの間にかちょっとした人だかりが出来ていた。遥は慌てる様子もなく、希望者を並ばせると、

「じゃ、ちょっとやってて。私は買い物してくるから」

 と言って、特設コーナーの物色を始めた。


(おいっ)


 並んでいる女性を捌きながら、遥を見遣る。買いたいものが決まったのか、ふらっといなくなる。会計か。


(あんっの女っ)


 きゃいきゃい騒がしい女性たちに囲まれ、質問攻めにあう凪人。

「漫画とかよく読まれるんですかっ?」

「俳優さんとかもなさるんですかっ?」

「漫画原作でやってみたい役とか、」

「踊プリの風間さんとかやってほしい!」

「それより愛毒のキリルでしょ!」

「きゃ~! わかる!」


 謎の言葉が飛び交うのを苦笑いで聞き流すことしか出来ない凪人。

 そうこうしているうち、遥が戻ってきた。握手会が終わっているのを確認すると、


「さ、お嬢さん方、そろそろ王子を解放しておくれ。いいかな?」

 凪人の腕を掴み、強めに声を張る。

「お仕事、頑張ってください!」

「応援してます!」

「ファンになりました!」

 興奮冷めやらぬ姫たちに手を振り、店を後にする二人。ドッと疲れが出、思わず大きく息を吐く凪人。


「ったく、なんなんですかさっきのは!」

 イラつく凪人とは対照的に、満面の笑みを浮かべる遥。まじまじと凪人を見つめ、頬を高揚させている。


「お前……、」

「えっ?」

 ドキッとする、凪人。

 じっと凪人を見上げ、目を潤ませる遥に、凪人の動揺が止まらない。今、ここで、この瞬間、無性に遥を抱きしめたいと思ってしまうこの感情が一体何なのか。


「奈々の言った通りかもしれん。大和先生、君を味方につければ…あるいは、」

「は?」

「よし、コミックは全巻明日持っていくから。DVDは週末にでもゆっくりと、な!」

 ポンポン、と肩を叩く。そしてくるりと回れ右をし、顔だけを向けると軽く手を振り、

「それじゃ、お疲れ!」

 とだけ言い残し、去って行ったのだ。


「……へ?」


 取り残された凪人は、何が起きているのか全く理解出来ず、しばしその場に立ち尽くすのであった。

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