第2話

 一生のお願い、私のことを見捨てるのか、本当に苦しかったかったんだら……色々なセリフを振りまけられ、最終的には

「どうせこんな命、あんな男に振り回されることから純ちゃんが助けてくれないなら、私、もう、死ぬ」

 とまで言うから、さすがの私でも引き受けてしまった、と言うわけだった。


 そういうわけで、いくつか船谷ハルヒの名前が書かれた学習用具をカバンに詰め込み、入念にポニーテールと藍色のゴムを付けてハルヒらしい容姿を作り、私は校門の前に立つ。

 二階建ての白いコンクリート造りの校舎を前に、私は深呼吸をし、敷地内に足を踏み入れた。

「ハルヒ、おはよー」

「あ、おはよ」

 顔や身に着けているもので、ハルヒの親友が挨拶をして走っていく。

 ――こんな、他人のフリして行っていいのかな?


「よぉ」


 と、物理的に後ろ髪を引かれ、第一歩目の足が再びジャリジャリとしたコンクリートに戻された。

「……え?」

 目の前の景色が一瞬止まり、すぐさま脳みそがジリリと警告ベルを鳴らす。

「どうした、そんなどえらいものを見ちまった顔してよ」


 ……チュ


 ――え?

 目の前には金髪がなびいている。

 さっきのじわりと頬に熱が加わる感覚。手を右のほっぺに当てると、少しベトッとした液体が付いた気がした。

 ――まさか?

「はい、いつもの儀式を済ませたところで行くぞ」

 金髪に白い絆創膏——冬馬皇華はガシッと、意思を持たずダランとしている右腕を掴み、キングというその名前のようにズンズンズンズン校舎へと歩きはじめる。

「ちょ、ま……」

 さりげなく手を繋いで歩いているのはさすがに分かった。

 だって、周りから呆れたような目や嘲りを向けられているんだもの。

「キングも懲りないよねぇ、ホントに。いつまで二学年下を連れ回すのか。ちょっと嫌がってるよ?」

 同じ年らしい女の人が苦笑いしながら言うが、キングは

「こいつのことが純粋に好きなんだから良いんだ。彼女を連れ回して何がわりぃ?」

 ――え?

 ポッと胸の辺りが沸騰した。すぐさま、私は自分に言ってるんじゃない、ハルヒのことを言っているんだと言い聞かせる。

 ――私は友達として好かれる人間なんだ、恋人として好かれる人間じゃないんだ。




 手を繋いで私たちはそれぞれの教室へと行く。

 無言で入ると既にみんなワイワイとグループで集まって話していた。まるで私のことなんて眼中に無い。

 一人で本を読んでいる子なんかはチラチラコチラを見たりしているが、話しかけてきたりする気配はない。

「あれ? あんた、もしかして例の転校生?」

 ボンヤリと黒板を見ているとグラッと体を揺らされ、一瞬心臓が飛んでいったかと思った。

「……あ、はい、そうですけども……?」

「あ、やっぱりそっか。名前は? アタイは大迫真矢おおさこまやって言うの」

「大迫さん……。ええっと、及川純」

「そう。純ちゃんか。及川。オヨヨ? まあええわ。ほな、まあよろしくな! あ、もうチャイムなってまうわ。ほな後でな」

 ――ボーゼン。

 それでも、この大迫真矢という関西弁女子の登場で、何か少し自分の替え玉を務めなければいけないという暗い感情が四散していく気がした。

 心地よい、語尾に音符が付きそうなリズムで一日の始まりの合図が鳴った。




 自己紹介を終わらせ、そのまま数人の明るい子と話して、あの快音から始まった学校が終わった。

 今日は部活が無いらしく、さっさと帰れる……と軽い気持ちで自転車置き場へと歩いていた。

 さっさと帰れることなんて全く無かった。

『三、二、一、はい♪』

 フラッシュが視界を白くする。

 今、私はプリクラでキングと二人、写真を撮っていた。

 何かデートをしたいのか。

 何よりも、こんな密室で男と、しかも二学年上の男子と二人きりなんてことが初めてだから私の笑顔はかなりぎこちないものになっていたはずだ。

『終わりだよ♪ それじゃあ落書きをしてね♪』

「よし、行くぞ。落書きはハルヒがやっていいぞ」

「……」

「おい、ハルヒ」

「あ、はい! 分かりました」

 撮れた六枚の写真を見てみると、案の定私は明らかに作り笑いと分かるぎこちない笑顔。キングの方はと言うと、なんとなくカッコつけているように見えなくもない、ギロリとカメラを睨むような真顔。

 ――これをどう加工しよう……。

「すげぇな、めっちゃカワイイな。まあ、いつものことだけどよ。……いいや、俺がやる」

 と言ったと思えば、キングはさっさと完了ボタンを押した。

『本当に止める?』

 イェスボタン。その指の爪には金色のネイルが貼りついていた。

 ウィーン

「まあ、ハルヒは加工しなくても十分かわいいしな。俺の顔はどうか知らねーけど」

 ――加工しなくても十分カワイイ?

 ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ。

 心臓がいよいよ止まらなくなってきた。体の芯がブワーっと温かくなってくる。

「まあ、そんな恥ずかしがらなくても良いだろ。事実だし」

 チュ

 今度は、しっかり目が届くところで、彼は私の手に、唇を押し付けた。


「ここらでジュースでも買うか」

「あ、私出す……あ、お金ないや」

「だろうな。持ってきているアホはいねぇだろうし」

 と、言いつつ彼は持っているのだ。こういう不良中学生は持っていても何の不思議でもない。

「おごるわ。こういうのは男の役割だろ? 何が欲しい?」

「え、良いの?」

 タメ口、タメ口。

「おい、さっさと選べ。空いてるうちに買わないとあれだろ?」

「じゃあ、イチゴジュースで」

「おぉ、良いじゃんカワイイじゃん。じゃあ俺オレンジで」


 ……ズルルルル

 先にキングのオレンジジュースが届き、イチゴは売れ行きが良くて今セッティング中だという。

「まだかな……」

「まあ、じゃ飲んどけ」

「え?」

「飲んどけよ、オレンジ。オレンジ飲めねぇか?」

「いや、飲めるけど……」

「じゃあ、飲んどけ。水分補給だ水分補給」

 グイっと口元にストローを押し付けられた。その勢いのまま私はそれを加えてしまった。

 ズルルルルルル

 甘酸っぱい。

 それこそ、この甘酸っぱさは誰にも例えられない。

 あぁ、もう少し早くイチゴジュースが来れば。こんな、彼が既に咥えたストローを使うことにはならなかったんじゃ。

 と、思いつつも内心イチゴジュースもう少し来ないでくれと思わなくも無かった。

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