The Moon

#24 Time

 時間ってのは無情なもので、過ぎ去って欲しくないといくら願っても、律儀に流れていく。そんな時間に僕らは身を委ねて、レイネと二人の時間を沢山過ごした。

 まず、二人で絵の具を作った。僕はいつも朝散歩に出かけるけど、レイネは流石に寒いんだと言ってこの頃は外出しようとしない。だから、僕は家で簡単にできる遊びを考えた。絵の具を作るってのは簡単な事じゃない。顔料、水、油なんかを使って、ペインティングナイフで混ぜたり掬ったりする。結構地味な作業だけど、僕たちは数々の材料が一つに力を合わせて絵の具になっていく工程をまじまじと見て楽しんだ。

 初春月には僕の誕生日があった。母さんの店で家族揃ってお祝いしてくれた。僕にとってとても素敵な思い出になった。そういえば、レイネの誕生日っていつなんだろう? そう思った僕は、彼女にそう問いかけた。分からないと答え寂しそうにする彼女の姿を見て、僕は残された時間で、ちょっと早かったり遅かったりしてもいいから、レイネの誕生日を祝ってやりたいと思った。

 それから僕達は、春になったらやりたい事を考えた。またレイネと二人で散歩ができる最高の日々を想像して、紙と羽の筆で計画を練った。そこで一つ気づいた事があった。レイネは月の言語は読めるけど、地球の言語は読めない。レイネはもうすぐ月に帰っちゃうけど、僕はせっかくレイネがこの星に来たんだから、文字一つ一つくらいは学んでおいた方がいつもの散歩道もより楽しくなるだろうと思って、春になったらエリアスの図書館へ出かけようと考えた。計画を練っている間、僕は胸の高鳴りを抑えきれない程ワクワクしていた。でもそれと同時に、花瓶にさしておいた花が日を追うごとに萎れていく様な、そんな寂しさを覚えた。

 二人の時間を過ごした僕たちを照らす月は、やがて欠けて見えなくなった。


「きょうはなんだかさみしい」


 寝室の窓を開けて、レイネがボソッと呟いた。外は漆黒の闇。ランプを付けなければ、様子は何も分からない程に暗かった。


「どうした、レイネ。大丈夫。僕がいつも一緒にいるから、暗闇だって怖くはない。照らしてくれるものが無くても、僕が君の心を照らすよ」


 ホー、ホーとどこかから鳴き声が聞こえる。


「このこえ、たしか、ふくろう」


「そ。フクロウは夜に起きる。僕らとは反対さ。こんな暗い世界を見て生きてるなんて、面白いよな」


「わたし、きょうはねたくない、きょうだけ、わたしはふくろうとおなじになりたい」


 レイネが僕の方を振り返って言った。


「どうして?」


 僕が訊くと、レイネはこう答えた。


「わたし、もっとずっとここにいたい。ねたら、すぐにじかんがながれちゃうから。すこしでもながく、ここにいたい」


 僕は言葉を失った。


「だから、もうすこしだけ、おきててもいいよね」


「……あぁ、もう少しだけ、この空を見ていよう。あ、あそこに星が見えるよ、レイネ」


「……ちいさい」


「僕らから見たらそう見えるけど、本当は僕らが住んでいるこの星よりもよりも、ずっとずっと大きいんだって、昔、エリアスは僕にそう教えてくれた。そして、月が見えなくて星が輝く今日みたいな空を、星月夜って言うんだってさ」


 あれから、更に時が流れた。月はその姿を見せたり見せなかったりしながら、まるでこの世の全てを知っているかの様に、優しく僕達を見守っていた。

 雪は溶け、鳥がさえずり、空が青く澄んでいく。


「ほら、これ菜の花が咲いてる。もう春だね」


 僕は、散歩がてらルミンのパン屋に向かう途中菜の花を見つけた。レイネは初めて見る様だ。


「なのはな?」


 興味深く菜の花をしゃがんで見つめるレイネ。


「あぁ。綺麗だろ? もうすぐ桜も咲く頃だな」


「さくら?」


 レイネがそのままの姿勢で僕の方を振り向いて言う。


「桃色の花だよ。菜の花とは違って木に咲くんだ。今度図書館に言って調べてみようか」


「でも……わたし、じ、よめない」


「それでいい。僕が教えるよ。人は誰しも、最初は知らない状態から始まる。だから学ぶんだ。少しでも新しい知識を得られたら、それは素晴らしい事だよ」


「そう……なら、やってみる」


 僕らの散歩は寄り道の積み重ねだ。寄り道してまた寄り道して、いろんなものを発見して。それが楽しい。

 かくして僕らはいつものルミンのパン屋へ着いた。

 彼女を含め、街のみんなには「レイネはもうすぐ本当の家族の所へ引き取られる」と説明しておいてある。


「はーい。毎度ありー。相変わらずレイネちゃんの美貌が私の心を刺すわ……あぁ……笑顔が眩しい……ずっと見ていたい……」


 いつものルミン。


「レイネ、いいか。くれぐれも怪しいお姉さんに捕まるんじゃないぞ」


「はーっ? だーれが怪しいお姉さんですって?」


 そう言ってカウンターに身を乗り出す彼女。いつものルミンだ。

 

「はははっ。冗談ですよルミンさん」


「はぁ……馬鹿フィリオ」


 彼女はため息をよく吐く。今もそうだ。


「なぁ……ルミン」


「ん?」


「僕、レイネと別れたら、旅をしようと思うんだ。広い広いこの世界を、もっと描きたいと思ったから」


「それって、ランテ国に行った時みたいな?」


「いや、もっと長い旅になると思う。何年もかけて、世界中を回るんだ」


 そう。新しい僕の夢。レイネと触れ合い、色んな人に出会い、たどり着いた夢。


「それってなんか……フィリオのお父さんに似てるわね」


「確かにそうだな」

 

「結局、考える事は親子一緒かー。ま、フィリオの言う事なら私は止めないわよ。ちょっとだけ、寂しいけどね」


 ルミンが言った。何処か侘しい目をして。


「それじゃ、今日はこれで帰るよ」


「うん。今日もありがとね」


「あぁ」


 僕がそう言ってドアを開けた瞬間、ルミンが僕らを呼び止めた。


「あ! ちょっと待って。最後に一つだけ」


「何?」


「私の作ったパン……いっぱい食べてから旅に出なさいよ」


 僕は微笑んでいった。


「分かってる」


 そして僕らは店を出た。

 ふと僕らを撫でる風が冷たい。

 妙な胸騒ぎがする。

 でも不思議と心地良い。

 そんな昼下がり。

 レイネが月へ帰るまで、あと六日。

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