第30話 リボンとカチューシャと女子力と
三月二十三日 午前二時二十五分
私は今、後輩の野川里奈とショッピングをしている。
野川とは昨日から一緒だ。
昨晩は私のマンションに泊まり、朝から二人で出かけているのだが、午前中は映画、昼はファミレスで食事、そして今はショッピングだ。
野川は『デートですね!』と可愛い笑顔で言っていたが、正直なところ少し疲れた。
――これが若さなのだろうか。
熟女の私はトレーニングをしているとはいえ、それは仕事用のものであり、生命力が満ち溢れた光り輝く野川と対峙するためのものではない。精力が吸い取られる、そんな感じだろうか。今まで経験したことの無いタイプの疲労感だ。
「これ可愛いですね!」
「そうだね」
野川が手に持ったカチューシャは細身だがリボンは大きめのカチューシャだ。私は棒読みで答えた。
カチューシャを頭につけ、鏡を見ながら頭を左右上下にとキメ顔で見ている野川が私には眩しい。
――私にもこんな時代があっ……いや、無かったな。
私が身だしなみを整えるようになったのは松永さんと仕事するようになってからだ。
それまでの私は日焼け止めとリップクリームだけで仕事していたし、髪は肩下五センチのストレートヘアだった。それ以上短いと寝癖が酷いという理由だけでそうしていた。
松永さんと仕事する前から弟さんの美容院には行っていたが、松永さんはヘアメイクの指導を弟さんに指示して、私は習った。
化粧下地、ファンデーション、アイシャドウにマスカラ、チーク、口紅、そして付随するメイク道具。こんなに必要なのかと驚いた。髪だってそうだ。アイロンもだが、カラーやパーマヘアにするとシャンプーやトリートメントも専用のものが必要になる。金がかかるじゃないか。私はそう思った。
出費は貯金で賄ったが、これから先も出費があるのかと思うと無理だと思い、松永さんに相談をした。お金が無いですと正直に言うと、暫く思案した松永さんは私をデパートに連れて行ってくれた。
私はその日、アイラインを引く時に手元が狂い、それに合わせてメイクをしたら濃くなり、顔と服装がチグハグになってしまった。
待ち合わせ場所には胡散臭いサラリーマン風の松永さんがいて、私の姿に少し困惑していたが、濃いメイクの私を『いいね、よく似合ってるよ』と褒めた。
デパートで松永さんは店員に、『この子のヘアメイクに似合った服をコーディネートして。予算三十万で』と伝えた。その後、買った服に合わせる靴とカバンも買ってくれた。
松永さんは美容院とメイク代として現金もくれた。服と靴とカバン、そして現金で総額百万円だった。
後輩のためによくそこまでやるなと思ったが、その時の松永さんの年齢を経た今はわかる。後輩育成のために自分の時間と金を提供するのは後々の自分のためでもあるのだ。
あれから六年経った今の私は、松永さんを信用していないが信頼はしている。費用対効果はあっただろう。
「野川、買ってあげるよ」
「ええっ!? いいんですか!?」
「うん。それいくら?」
「えっと……五百円です!」
――安ッ。
「なら他のも。欲しいのあったら買ってあげるよ」
ヘアアクセサリーを輝く笑顔で眺める野川が可愛いと思った。松永さんのように百万円は無理だが、五千円位までなら私は出せる。五万は無理だ。住宅ローンがあるから。すまない。
「加藤さん! これ、同じのつけましょう! ペアです!」
「んんっ!?」
野川はリボンのついたカチューシャを手に持ちながら、私に似合う色を選んでいる。私がリボンのついたカチューシャをつけることを前提で選んでいる。何の疑いもなく。
――ババアにリボンはキツイだろう。
頭にリボンをつけるのなら服はどうすればいいのだろうか。野川のように清楚系の服だろうか。
私は手持ちのワンピースを思い浮かべたが、頭にリボンをつけた自分の姿にドス黒い感情が渦巻いた。
――ババアにリボンはダメだ。私のプライドが許さない。
「野川、リボンじゃなくて、他には無いの?」
「ダメです! 加藤さんはリボンが似合うんです!」
――このクソガキめ。頭引っ叩くぞ。
だが私は思った。
野川は私と遊びに行きたいと何度も言って、約束してもお互いに仕事でキャンセルとなっていた。それでも私と遊びに行きたいと言ってくれた。
十歳も年上の先輩とプライベートでも関わりたくないと思うのが普通だろう。
野川は映画や食事、ショッピングなど、財布代わりに私を連れ回すのかと思ったが、そうではなかった。ただ純粋に私を慕い、遊びに行きたいと言ってくれたのだ。そして、同じものを身につけたいと。
――リボンのカチューシャくらい、いいか。
「わかった。野川が選んでくれたもの、使うよ」
「はいっ!」
笑顔で私を見上げる野川を本当に可愛いと思った。
◇
午後九時四十七分
私は今、リビングで缶ビールを飲んでいる。
いつもは髪にタオルを巻いたままリビングに戻るのだが、今日は風呂から出てそのまま髪を乾かした。
女子力がアップした気になるがパンイチ――。
今日もやはり女子力皆無だなと思いながらビールを飲んでいると、スマートフォンが鳴った。葉梨だった。
「もしもし」
「葉梨です! こんばんは!」
四月の予定はすでに立てたのだが、葉梨の都合が悪くなりキャンセルとなっていた。改めて連絡すると言っていたから、その件だろう。
「四月の十七日はいかがでしょうか?」
「あー、うーん……いいよ」
「……ご都合が悪いですか?」
その日は予定が開けられるのだが、問題は日付だ。四月十七日は私の誕生日だ。
誕生日当日に予定が空いているアラサー女なんて、ちょっと哀しいじゃないか。だが仕事なのも哀しい気がする。
私は三十四歳になる。
相澤が結婚したら諦めると決めてここまで来てしまった。相澤は結婚していないが、もし結婚していたら、私は今、何をしていただろうか。誰かとお付き合いしていただろうか。その誰かと結婚していただろうか。
でもやっぱり、私は結婚するなら裕くんがいい。裕くん以外の男なんて、考えたくもない。
「ううん、大丈夫だよ」
「では四月十七日にしましょう!」
「私、誕生日なんだよ、その日」
「えっ……」
なぜ言ってしまったのだろうか。
これでは後輩に誕生日の祝いをやれと言っているようなものではないか。私は何をしているのだろうか。
「加藤さん」
「ん?」
「加藤さんのお誕生日なら、場所は俺が決めていいですか?」
「えっ、あの、私は誕生日を祝って欲しいわけじゃないから……」
「いえ、お世話になってますから、それくらいのことはさせて下さい」
電話口の向こうの葉梨は笑っている。
毎年、松永さんは私の誕生日を祝ってくれるが、今年は忙しいからバレンタインデーのお返しと共に延期すると連絡があった。
「あの、加藤さん」
「なにー?」
「……確認なんですけど」
「ん?」
「えっと……加藤さんのお誕生日当日の夜に会う男が俺でいいんですか?」
「うん、会おうよ」
◇
葉梨の声音はいつもと違っていた。
優しい声だったが、なぜだろうか。
私は久しぶりの独りの誕生日だから実家に帰ろうと予定を立てていた。葉梨と会うのならいいだろうと思って承諾したのだが、もしかしたら葉梨は三十四歳の誕生日に予定が空いていて、後輩と飲みに行く独身女を哀れに思ったのだろうか。
――後輩が誕生日を祝ってくれるのは嬉しいんだけどな。
そう思いながら、胸に宿ったうら悲しさを残りのビールで流し込んだ。
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