第11話 ナンパとスペインバルとマロンと

 五月三十日 午後二時四分


 私は今、チンピラと電話をしている。


 相変わらず毎日電話だ。

 心底迷惑だと思っているが、岡島からの電話に出ないと玲緒奈さんからグーパンされるから仕方なく電話に出ている。


 困ったことに、くだらない話とまともな話の比率が九対一のチンピラ迷惑電話が最近は八対二になり、私は前よりもちゃんと聞かなくてはならなくなったのだ。だから早く、岡島を物理的に抹殺しようと思っている。

 いくら岡島も私を守ってくれていたことがわかったとは言え、膝カックンされた恨みがそれでチャラになるわけでもないのだ。物理的に抹殺したいと思う気持ちは変わらない。


「ねえ奈緒ちゃん、さっきから変な音とエロい声が聞こえるけど、何してるの?」

「え、ど、ァンッ……どんな声?」

「それ、それだよ」


 チンピラ迷惑電話は迷惑なのだが、私は葉梨を育てるためには岡島が話す葉梨のことをちゃんと聞かないといけないと思い至った。心底迷惑な電話だが、葉梨のために私は頑張っている。でもやっぱり面倒だから在宅時はトレーニングしながら電話している。今はエアロバイクをシャコシャコしている。


「えっと、葉梨の実家の犬だけどさ」

「モ……ポメちゃん」

「そうそう、ポメラニアン。名前は聞いた?」


 以前の私ならば、そんなどうでもいい話は右から左へ聞き流す所だが、今は違う。葉梨のポメラニアンは二頭でモメラニアンだ。聞かなくてはならないだろう。


「聞いてないよ」

「新入りがウニちゃんで、もう一頭はクルミちゃん」


 私は想像した。

 昭和のチンピラと熊の葉梨が甲高い声で『ウニちゃーん! クルミちゃーん!』と言ってモメラニアンを追い回す姿だ。


「んっふ、ァンッ!!」

「なに? なに? イッちゃうの?」

「バカなの?」



 ◇



 午後七時二十分


 私は今、ナンパされている。

 ジャージで来ればナンパされなかっただろうと後悔しているが、葉梨はスーツだというから仕方なく私もスーツを着ている。

 視界の端にいる葉梨が闇金の取り立てみたいな格好ならばよかったのにと思いながら、男の話を聞き流していた。


「待ち合わせしてるんで」


 目も合わせずそう言うと男は去った。

 私が男から声をかけられている間、葉梨は私の視界にいたのだが、男を観察しながらじっと見ているだけだった。

 早く来てくれればいいのになと思ったが、仕事に関わることかも知れないと様子を窺っていたようだった。


 すれ違った男を視界の入れながら葉梨がこちらへやって来る。


「加藤さん、こんばんは」

「うん」

「あの、今の方は……?」

「ナンパ」

「はっ!?」


 葉梨は想定外の返事に困惑していた。

 確かに仕事関連と思うのも仕方ない。重要な話は歩きながらするに限る。私たちは大抵、情報提供者などとは歩きながら話をしているから。


「あのさ、二人だけの符牒、作ろうか」

「あ、はいっ!」


 いずれ、葉梨と一緒に仕事をすることになると思うから、符牒を作るのはいいことだ。今みたいな時は助けて欲しいし。だが、どこでそれを教えるか私は悩んでしまった。だってカラオケは禁止だから――。

 そうなると別の場所だが、どこがあるだろうか。

 今日も松永さんの駒は私たちを見ているだろう。なんとなく、気配を感じる。


「ねぇ葉梨。二人きりになれる静かな場所って、カラオケ以外で、ある?」


 葉梨はまた動揺している。なぜだろうか。ここは葉梨がよく知っている繁華街だ。その葉梨ならばいい場所を知っていると思うのだが、葉梨は固まっている。


「あの、個室のあるバルが、あります」

「バル」

「はい。岡島さんの息がかかっている店です」

「昭和のチンピラなのに?」

「んふっ」


 葉梨が言うには、時代は令和なのに昭和のチンピラは時代錯誤だと言われて、岡島は昭和率を徐々に減らして令和の比率を高めている最中なのだという。平成はジャンプなのかと思ったが、そのバルは令和最新版インテリヤクザの時に使うそうだ。


「でもさ、高そうだよね?」

「んー、そうですね」


 そのバルは飲むだけでいいだろう。葉梨はいくつか他の候補を挙げるが、私はやってみたいことを優先させようと思った。葉梨には悪いが、今日、それを葉梨とやってみたいと私は思っている。


「あの……先に牛丼、行こうよ」

「ええっ!? 牛丼!?」

「うん」


 この繁華街をよく知る葉梨が挙げたお店は岡島の息がかかっているスペインバルだとかイタリアンだとかメキシコ料理だとか、お洒落なお店だった。

 私はそんな店じゃなく、牛丼が食べたいのだ。だが葉梨は私が女だからそういったお洒落なお店を挙げたのだと思うと、口を挟めなかった。


「あのね、トッピングをね、全部頼みたいんだよ」

「はっ!?」

「一人だと、出来ないから」

「……なるほど」


 葉梨は納得してくれて、一緒に牛丼店へ入った。

 テーブル席に座り、大盛二つとけんちん汁、そしてトッピングメニュー全てを注文すると、店員と私たちの間に何とも言えない空気が流れたが、私は気にしないことにした。


「いつかさ、そのメキシコ料理のお店、行こうよ」

「えっ……はい」

「タコスとか、タコスがあるんでしょ?」

「ええ、タコス、がありますね」



 ◇



 午後八時二十分


 岡島の息がかかっているスペインバルに入店する前、葉梨は店長と話をしに一人で店に入った。

 葉梨は岡島にすでに連絡していて店には連絡がついていると言っていて、私には岡島から二通、ショートメッセージで数字の羅列が送られてきていた。普通にテキストで送ればいいものをあえてそうするのは『油断するな』という意味か。


 ――まだ完了していない、と。


 店舗内やスタッフに懸念があるということか。

 葉梨が戻って来て私を店内に誘おうとするが、私は戸惑っている。大丈夫なのだろうか。だがここまで来たらもう引き返せない。私は覚悟を決めて入店することにした。


 中に入ると、店長自ら入口から一番遠くの個室に私たちを案内してくれた。

 店長は三十歳前後だろうか。この店のオーナーは四十代で松永敬志さんの息がかかっている。ショートメッセージで送られた数字の羅列がそう示していた。そのオーナーは私も面識がある。だが岡島はこの店長のみ目をかけてるという。


 店内は入口付近からずっと壁一面に様々なサイズのコルクボードが貼ってあり、そこに写真が貼られていて、一枚ずつに番号が振られている。私はそれらを眺めながら個室へ向かった。



 ◇



 今日は葉梨と私の二人だけの符牒を決めるためにこのバルの個室に来たが、ここでは無理だと悟った。

 その理由について葉梨は個室に入った時点で理解した。眉根を寄せた葉梨に店長は少し怯えた。


「この店のことはさ、直接、岡島に報告してよ」

「はい」


 個室に防犯カメラを天井に設置するのはいいが、テーブルの下が収まる位置のカメラは何だろうか。

 もちろん顔が入る位置にもある。隠してはあるが、私と葉梨はすぐに分かった。

 だから私たちはハンドサイン等の符牒を今決めるわけにはいかない。


 ――今日はやめておこう。


 葉梨は岡島ともこの店に来るが、プライベートでも来たことがあり、この個室を利用した三ヶ月前には天井以外のカメラは無かったという。


「カラオケも防犯カメラあるし、どうしよう。二人きりになれる静かな場所って、どこかある?」


 葉梨はこの質問をするといつも固まる。なぜだろうか。


「では官舎にいらして――」

「嫌だよ」

「ですよね」


 松永さんと相澤の官舎ならいい。だが岡島が住んでいる葉梨の官舎には行きたくない。かと言って私のマンションに葉梨を招くのはよくないだろう。どうしようか。


「あ、あの加藤さん」

「なにー?」

「俺の実家、はいかがでしょうか。犬、いますけど」

「うん、犬、好きだよ」


 私がそう言うと葉梨は微笑んだ。

 先月、葉梨はモメラニアンの写真を二枚送ってくれた。

 歯を剥き出して揉めているモメラニアンの躍動感溢れる写真と、新入りのウニちゃんの寝顔だった。


「ポメちゃんに会うの、楽しみ」

「……可愛いですよ」


 私は頬を緩ませている葉梨を微笑ましいな、と思いながら眺めていた。こういった個人的な話も、葉梨を知るためには必要なことだと思う。


「あのね、私の実家にも犬がいてね、名前はマロン。スペイン語で茶色はマロンだから」

「そうなんですか。可愛いですか?」

「うん、よく犬小屋の周りの土を掘ってね、犬小屋を倒壊させるアホな子で可愛いよ」

「ふふふっ……」


 倒壊させるたびに画像が送られてくる泥だらけのマロンを思い出して、私も頬が緩んだ。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る