第24話 獰猛な豹みたいな



 教室での羽黒は、相変わらずだった。


 いるのかいないのかわからないほど影が薄く、休み時間になるとうつむき加減で図書室から借りてきた本を読んでいる。


 そしてそんな羽黒を、俺はぼーっと眺める、という毎日。


 そんないつもの休み時間。



「はろお~」



 幼馴染の日和ひよりが話しかけてきた。



「おう」



 返事を返す。視線は羽黒の方に向いたまま。


「あのさ~淳一さ~」



 日和が思い詰めたような表情で、



「淳一、羽黒さんとつきあってるって、本当……なの?」


「はあ?」



 なんだそりゃ、そんな話始めて聞いたぞ。



「いや、結構噂になってるよ、たった二人で柔道部つくって、道場で二人身体をからみあわせてるんでしょ? やだなあ、いやらしい……。よくできるね、女子と二人で柔道とか……。」


「二人じゃねーよ! 俺の出身中学の柔道部と合同で練習してるの!」


「なーんだ、そうなの~? 合同かあ。そりゃそうだよねえ。ま、羽黒さんはよくみりゃかわいい顔をしてないこともないし……」



 日和が本を読んでいる羽黒に視線を送る。



「え、なに!?」



 とたんに、日和の困惑した声。


 ん、なんだ?


 俺も日和にならって羽黒を見ると、なんと羽黒は俺たちの方を思い切り睨んでいた。



「な、なんだよ……」



 すっくと立ち上がる羽黒。


 そしてつかつかと俺たちのところまで歩いてくると、



「朝練」



 といった。



「明日から、またやるから」



 それだけいって羽黒は回れ右、自分の席に戻ってまた本を読み始める。


 行動も言動もその時その時で意味不明すぎる女だな、おい。




     ★




 次の日の朝。


 まだ朝の七時だというのに、羽黒は柔道着姿で俺を待っていた。



「お、おい、まずいんじゃないのか? 先生いないとこで柔道着着て練習するなって……」


「大丈夫よ、私だって黒帯はもってるんだし、今の時間は武道場にだれもこないじゃないの。ぱぱっと投げ込みだけさせてよ……」


「でも……」


「でもじゃないわよ、なにあれ」


「なにあれっていわれてもなんのことだか……」


「あのね、あんたを投げると私の調子がよくなるの! 自分でわかるの! なのに昨日なんてあんな中学生相手にスケベな顔をして……」


「してねえよ!」



 中学生って殿垣内湯歌のことか。



「それに、秋本日和さん……だっけ? 仲いいの? 昨日、こそこそなんか私のこと話してるし……」


「たいしたことじゃねえよ!」


「とにかくあんたがやらしそうな顔してるから!」



 何をいい始めてるんだこいつ。


 意味が分からないにも程があるぞ。


 俺のスマホを壊したときもそうだし、今だってそうだけど、その行動原理が謎すぎる。



「いいから。見つかる前にぱぱっと投げ込みやりましょ」



 こうして、俺は数日ぶりに羽黒に投げられることになった。


 やっぱり、違う。


 羽黒の投げは、まるで重力を自由にコントロールしているかのように、俺の身体をくるりくるりと回転させて畳の上に置くのだ。


 あまりの気持ちよさに脳内麻薬が分泌されるんじゃないかと思うほど。


 羽黒の汗の香りと、心地良い無重力に、俺は半分夢見心地で投げられ続けるのだった。




     ★




「さて、羽黒さんの県大会は来週よね。関節技の復習、やるわよ」



 新井田先生が言った。


 このところ、羽黒と新井田先生はほとんどマンツーマンで練習していて、寝技にも力を入れていた。


 それだけじゃあ物足りないらしく、二人きりの朝練になると羽黒は俺を気の済むまで投げたり抑えこんだりするんだけどな。



「そうそう、くっつく! 離れない! 相手にくっついていくの! 逃げようとすると間接極まっちゃうわよ!」



 羽黒は新井田先生に間接を極められ、顔を歪めて抜けだそうとしている。



「わかってると思うけど、間接技も抑えこみと同じ。極まっちゃった時点で、もう負けだよ。絶対に抜け出せない。この間の試合はただのラッキーよ。だから、そうならないように身体を動かしていくの! 寝技は理詰めだからね、とにかく頭と身体にパターンを覚えさせること! こう来たらこう、ああ来たらああする、全部覚えて無意識にできるようにするんだよ。ほら駄目! そこでそっちに逃げたらこの腕とられるんだから!」



 全国レベルの指導はさすがに厳しいなあ。


 俺はというと、それを見ながら殿垣内湯歌相手に関節技を極める真似をする。


 殿垣内はまだ中学生だから、本気で関節技はかけらんないけどな。


 しかし、女子中学生相手に身体をぴったりとくっつけあって寝技の練習するなんて、なんというか、こう……アレだよね、うん、素敵だ。


 そんな俺の顔を見て、羽黒は獰猛どうもうひょうみたいな表情で俺を睨んでくるんだけど。


 こうして、羽黒の県大会への準備は、ちゃくちゃくと進んでいった。


 家計をたすけるためのアルバイトもあるし、進学校だから毎日の課題も多い。


 土日になると、妹の青葉ちゃんを連れて来て、その妹の世話をしながらの練習だ。


 でも、羽黒はそれらをきちんとこなしながら、短い練習時間を濃密に過ごしていった。


 羽黒のそんなところは、素直に尊敬できる。


 おれなんか、部活終わって帰ったら、パソコンでアニメをぼーっとみてるんだもんなあ。


 最近はアニメを見ていても、途中で羽黒のことを考えちゃって集中できなかったりもするんだけど。


 んでもってアニメを見ながらスクワットとか始めちゃったりするんだけどな。



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