4-5 むしろ、お前はよかったのか?
「……ねえ。変じゃない? これ」
「そーか? そうでもねえだろ?」
訊かれ、ヤナギは素直にそう答えた。脱衣場の鏡で服を確かめているアマツマは不安そうだが、あまりこういう服を着ないからだろうと察する。
ヤナギがアマツマに貸したのは、以前なんとなく買ってみたジージャンとスキニーだ。ヤナギが着ても似合わなかったのでタンスの肥やしになっていたのだが、アマツマに着せてみたら予想以上に似合ってしまった。これでなぜ不安に思うのかと、むしろ首を傾げたくなるほどの出来だ。
元が違うとこうまで違うのかと、いっそ感心までしてしまう。
「まあ仮に変だったとしても、どーせそれ着て歩くのは十分か二十分かだろ? それくらいなら諦めて我慢しろ」
「……それ、やっぱりこの格好が変だって言ってない?」
「言ってねえ言ってねえ。普通に似合ってるから安心しろ。なんならくれてやってもいいくらいだ」
どうせ着ない服だ。服はやっぱり似合うやつが来てこそだと思うので、くれてやっても本当によかったのだが。
あれだけ言ってもアマツマは安心できないのか、眉間を寄せて鏡をじっと見入っていた。時々ポーズを変えて見栄えを確認するが、見えるものが変わるわけでもない。少なくとも、ヤナギの目にはモデル顔負けの美形が微妙な顔をしている姿しか映ってなかった。
と――不意にアマツマは何かに気づくと、唐突に身動きを止める。
そうして本当に何を考えているのか、服の袖で顔を覆って、その匂いをかぎ始めた。
「……おいマテ何やってんだお前」
「洗剤が違うのかな。ちょっと不思議な匂いがするなと思って」
「……前に洗ってタンスに突っ込んだままだったからな。そのせいかも」
間違っても体臭とかじゃありませんように、とひそかに願う。まあ袖を通したのは最初の一回だけなので、匂いが付くはずはないのだが。
どちらにしても、自分の服の匂いを目の前でかがれて面白いはずもなく。ついつっけんどんに唇を尖らせた。
「匂いかぐのやめろ。いつまでやってんだ」
「あれ、なんか不機嫌? 別に気にしなくていいんじゃないかな。そこまで変な臭いじゃないと思うし」
「だからってかぐな。お前、俺がお前の服の匂い目の前でかいでるとこ想像してみ? どんな気持ちになる?」
「うーん? ……なんだか、インモラルな感じ?」
「うるせえそういうこと聞きてえんじゃねえんだよ」
何かがズレてるとしか思えない回答に、思わず頭を抱える。
だがすぐにため息一つで諦めると、ふと話題を変えた。
「そーいやお前、パジャマどうすんだ? バッグとか持ってきてなかったよな?」
「あー……置いておいてもらっていい? また今度取りに来るから」
「わかった……んじゃ、とっとと行くか」
「あ、待ってよ」
追いかけてくる声も無視して外に出る。
肌寒さに空を見上げたが、暗闇があるだけで何も見つけられない。どうやら天気はまだ曇天らしい。厚い雲の色をにらむように見つめてうめいた。
「……雨降りそうだな」
「そうだね。いつもよりちょっと寒いかも」
「上着もう一枚羽織るか?」
「大丈夫だよ。でも、ありがとう」
それじゃあ行こう、と。どちらからともなく呟いて、二人は歩き出した。
すでに時刻は八時過ぎ。住宅街には明かりが灯り、走る車の喧騒はない。街頭にだけ照らされた道を、しばらくは無言で進んだ。
その沈黙を先に破ったのは、ヤナギのほうだった。ふと思ったことを尋ねる。
「そういやついてこいって言われたからついてきたけど、俺、なんかすることあるか?」
「やることは……特にないかな。ただついてきてほしかっただけ」
「ん。わかった」
「……もしかして、嫌だった?」
「いや。ただ、なんで? とは思ってた」
ヤナギにはやることも、やれることもない。なのにどうしてついてきてほしかったのか。わからなかったのはそれだ。
別に、いる必要はない。そう思っていたからこその質問だったが。
アマツマはどこか恥ずかしがるように、小さく呟いた。
「独りで帰りたくなかったんだ。それだけ……かな」
「……そうか」
気の利いた返しができるわけでもなく、ヤナギはそっけなく言い返した。
そしてまた、別のことを訊いた。
「結局、家出の原因は何だったんだ?」
「……父親と、喧嘩したんだ」
父さんやパパではなく“父親”と、突き放したような言い方をした。
少しだけ、声の温度が下がった。それを感じた。
「さっき、ちょっとだけ言ったっけ。ボクの家は、あの人の家じゃないって」
「ああ、そういやそんなことも言ってたな」
「あの人、別の家庭を持ってるんだ」
「……はっ?」
言われた言葉の意味が一瞬わからず、素っ頓狂な声を上げる。
複雑な家庭ってやつだよ、と。皮肉げにアマツマは笑った。
「元々母さんと付き合ってたらしいんだけどね。家の事情だか家業がどうとかで、別れさせられたらしい。その頃にはもう母さんのお腹に子供がいたらしいけど……父親は別の人と結婚させられることが決まってて、母さんは誰にも相談できないまま、独りでその子供を産んだ」
「……それが?」
「うん。ボクだ……非嫡出子って言うんだっけ。父親のいない子供だったんだよ、ボクは」
これもまた、突き放したような言い方だ。
ただそれは先ほどの父親への言及とは違って、自身への嘲りが含まれていた――愛されなかった子供だと。そう言いたげな、寂しげな微笑みが。
その顔でアマツマは先を続けた。
「四年前に、母さんが事故で亡くなって……どこから知ったんだか、あの人がボクの親になった。けど、ボクは受け入れられなくて……だから、普段は一緒には住んでない。会っても、まともに話なんてできないし。今回も、喧嘩しちゃったし」
「……予想以上に重いな」
「ごめんね……聞きたくなかった?」
「……どうかな。よくわからん。どう思えばいいのかまで含めてさっぱりだ。人の家庭事情なんて、他人がどうこう言っていいもんじゃないだろうし」
「……そっか」
「むしろ、お前はよかったのか?」
「え?」
きょとんとした彼女に、ほんの少しだけ苦笑する。
そうしてヤナギは繰り返した。
「お前にとっては大事な話だろ、それ。俺に話してよかったのか」
「……どうだろ。わかんないや」
「……そうかい」
曖昧な返事に曖昧な言葉を返して、また前を向く――
と。
「あれ……雨?」
「降ってきやがったな。少し急ぐか」
「急がなくても大丈夫だよ。もう見えてるし。あそこだよ。あの灰色の屋根の家――」
「……?」
不意にアマツマが言葉を止めたので、怪訝にヤナギは眉根を寄せた。
呆然とするアマツマの視線と指の先を追って、ヤナギもそちらを見やる――
確かに、指の先にそれはあった。アマツマが言った、灰色の屋根の家。小さな一軒家だ。ただそれだけの、普通の一軒家。
その玄関前に、一つの人影があった。
長身の、スーツの男。打ちひしがれるようにうつむいていたが、ふとこちらに気づいて大きく目を見開いた。
「――テンマっ! 帰ってきたのか!!」
顔立ちがアマツマによく似ていたので、その男がアマツマの父親だとわかった。
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