3-2 答えられないんだよ。好きだって言われても

 図書館は校舎の隅の隅という、立地的にはあんまりな場所にある。

 教室からも昇降口からも遠い上に、勉強関係の本はほとんど置いてないので物好きしか来ない。加えて時代性とでも思えばいいのか、いわゆる文学少女は絶滅危惧種。利用者もいないので普段から薄暗く、用事がないならほとんど誰も近寄らない日陰スポットだ。

 というわけで、今日もヤナギが図書館に行っても利用者は誰もいなかった。というか、本来ならいるはずの司書すらどこにもいない。鍵は開いているが、明かりすらついていなかった。

 明かりをつけてから受付に寄ると、メモ書きが一枚置いてある――“急用のため帰宅します。鍵は帰り際にかけておいてください。”


「……先生サボりかよ」


 思わず愚痴る。実際にサボりかは知らないが、それなら最初から閉館しておけと思わないでもない。

 ひとまず小さくため息をつくと、受付の傍にある返却ボックスの中身を確かめた。物好きな誰かが借りたのだろう、シリーズもののミステリー小説が数冊入っている。先生も利用者もいないのだから、仕事らしい仕事といえばそれを片付けることくらいだ。

 小説を手に取って娯楽小説の棚まで持っていくと、棚の一画にごっそりと穴が開いている。そこに本を戻せば、それだけで今日の仕事はもう終わりだ。


(下手すると一時間もかかるとか、嘘っぱちもいいところだったな)


 このまま帰ったら、下手したら帰宅途中でタカトたちと鉢合わせしかねない。誘いを断ってしまった手前、それもなんだか気まずい。

 ならば問題は、どうやって時間を潰すかだが――


「――どうしても、ダメですか?」

「……?」


 と。

 図書館の外から――今にも泣き出しそうな声が聞こえて、きょとんとヤナギはそちらを見やった。

 部活は休みで昇降口やグラウンドとは逆側の校舎裏となれば、人気などないのが当たり前だが。窓の外には二人分の人影があった。こちらに背中を向けている少女と、遠くにいるもう一人。

 長身で猫っ毛な短髪の――見覚えのある顔。


(アマツマ?)


 何でこんな人気のないところに? と怪訝に見やる。

 何かをするためにこんな場所に来たのかとも思ったが、違うらしい。アマツマはただそこに、困ったような顔をして立っている。もう一方の少女は後姿しか見えず、何をしようとしているのかわからない――

 いや。

 察して、さっとヤナギはしゃがみ込んだ。窓の下の死角に隠れる――これは自分が居合わせていいものではない。

 その証拠にとでも言えばいいのか。少女の泣きそうな声はこう続いた。


「どうして、ダメなんですか……? 誰か、好きな人がいるんですか? それとも……私が、女だから?」

「そうじゃない。そうじゃないよ……ごめんね。キミのせいじゃないんだ」


“王子様”にしては珍しく、返す声は弱い。

 微笑んでいるのだろう、とはわかる。だがいつもと同じ声ではない。

 震えるほどに弱くはない。だが明朗な彼女らしい声でもない――そんな声で。

 

「だけど……ごめん。キミの想いには、答えられない」


 それでも明確に、アマツマは彼女を拒絶した。


「――っ! どうして……! だったら、なんで“王子様”なんか……!!」


 続く少女の悲痛な悲鳴に、アマツマは何を思ったのか。

 最初から居合わせたわけではないが、ヤナギは薄々状況を察していた。つまりは告白だ。あの少女が、アマツマに――そして少女はアマツマにフラれた。

 少女の言葉は非難だった。“王子様”なんて呼ばれて、その通りに振舞ってきたアマツマへの。だが身勝手な非難だ。アマツマが“王子様”のように振舞って見せていたことと、少女の好意そのものには何の関連もないのだから。

 それでもアマツマは言い訳しなかった。ただ静かにこう言うのだけが聞こえてきた。


「……それしか、息の仕方を知らないんだ」

(……?)


 それはどういう意味か。奇妙な言い回しに、不思議と胸がざわついた。

 その間も、少女とアマツマの会話は続いている。だがもう叫ぶほどの強さはない。囁くほどの声量となった会話をヤナギが聞き取ることは、もうできなかった。

 聞き取れない声のやり取りを数分ほど聞いて――タッ、と。声以外の音を聞いた。

 砂を擦ったような音だ。それが一度だけ強く響いて、そこから遠ざかっていく。それが足音だったのだと気づいたのは、その音が完全に聞こえなくなってからだった。


(今のは……)


 と。


「――ヒメノ。いる?」

「……っ!?」


 不意に声をかけられて、ヤナギは思わず悲鳴を上げかけた。

 顔を上げれば、窓の外からアマツマがこちらを覗き込んでいる――が、後になって失敗したと気づいた。死角に隠れていたのだから、顔を上げなければ知らんぷりができた。これでは自分から見つかりに行ったようなものだ。

 視線の先、アマツマは最初に見たのと同じ、困ったような苦笑を顔に張り付けていた。窓をノックして言ってくる。


「開けて。ちょっと話をしようか」

「…………」


 無視できるか、あるいは無視していいかどうか。わずかばかり迷って、だがすぐにヤナギは観念した。この状況で逃げるという選択肢はない。

 窓を開けると、アマツマは身を乗り出すようにして窓の桟にもたれかかる。そうして下から見上げるようにこちらの顔を覗き込むと、前置きもなしにこう訊いてきた。


「聞こえてた? さっきの話」

「……すまん。盗み聞きするつもりはなかった」

「だろうね。キミが盗み聞きのためにここに来るとも思えないし。なんでこんなところに?」

「図書委員の仕事だよ。本を戻してたんだ」


 言いながら、観察するようなアマツマの目から顔を逸らす。

 感じていたのは気まずさだ。嫌な場面に居合わせてしまった。相手の少女もヤナギが聞いていたと知れば、いい思いはしないに違いない……

 と、いやに沈黙が長くて視線を戻す。アマツマは変わらず、こちらを観察していたようだが。


「……なんだよ」

「訊かないんだね。さっきのは何だったのか、とか、何をしてたんだ、とかさ」

「そこまで鈍くはないよ。訊ける空気だと思うか?」


 半眼で見やると、アマツマは肩をすくめてみせた。こちらが状況を察していると、アマツマも理解したようだが。


「内緒にしておいてね。言いふらされて楽しい話じゃないだろうから」

「茶化して楽しい話題じゃない。誰にも言ったりしねえよ」

「そっか……うん。ありがとう」

「礼を言われるようなことはしてない」


 むしろ、謝るべきなのだろう。盗み聞きしてしまったのだから。だが実際に、ではどう謝ればいいのかというと、答えが出ない。

 ごまかすように、ヤナギは訊いた。


「よくあることなのか? ああいうの」

「そうだね……あると言えばあるし、そんなにないと言えばないかな」

「……意味がわからんぞ」

「テンマくん大好きーとか、王子さまー付き合ってーとか、そういうのならたくさんあるってことだよ。それが遊びだってわかってるから、ボクも遊びでそれっぽい言葉を返す。その場限りの冗談だってわかってるからね。そういう遊びやごっこ遊びなら、たくさんある」

「…………」

「だけど時々、本気で好きだって言ってくる子もいる」


 さっきの子みたいにか――と、言いそうになってやめた。明らかに言う意味のない言葉だったからだ。

 だから代わりに口から出たのは、もっと別の言葉だった。


「付き合ったことはあるのか? 本気で好きだって言われて」


 返答はあまりにもあっさりとした、素っ気ないものだった。


「ないよ」

「ないのか?」

「……なんでそこで意外そうな顔をするのさ?」

「いや、だってな……」


 思わず口ごもったのは、“王子様”のイメージなら別に何人と付き合っててもおかしくないと思ったからだが。


「ヒメノがボクのことどう思ってるのか、よくわかったよ」

「うっ……」


 見透かされたらしい。ジト目で睨まれて、思わずヤナギは息を詰まらせた。ごまかそうにも何も思いつかない。

 観念してジト目を甘受すると、アマツマは不意にふっと微笑んで――


「――答えられないんだよ。好きだって言われても」

「……?」

「ボクは……


 ――たぶん、狂っちゃうから。

 そう消え入りそうな声で、ぽつりと呟いた。

 その言葉の意味と、その表情のらしくなさに、しばしの間ヤナギは言葉を失うが。

 呟いたのと同じだけの唐突さで、アマツマはばっと窓から離れた。


「つまらない話になっちゃった。ごめんね、忘れて?」

「あ、ああ……それは別に、構わないけど」

「ありがとう。ヒメノは図書委員、がんばってね。それじゃ!」


 そう言い置くと、速足でアマツマは去っていく。その姿もすぐに校舎の影に消えた。

 もはや誰もいなくなった窓の外を呆然と見つめながら、ヤナギは小さくぼやいた。


「結局、なんだったんだかな……特に最後のアレは」


 誰かに好かれたくはあっても、誰かを好きになりたくはない――アマツマはそう言っていた。しかもその理由が、自分が狂ってしまうからだと。

 思い出すのは、そう言っていた時のアマツマの顔だ。

 あの時、アマツマはヤナギを見ていなかった。ヤナギからわずかに視線を逸らして、どこか遠くを見つめて。誰もいない虚空に向けて、寂しそうに言ったのだ。

 その物憂げな微笑みが、どうにも脳裏にこびりついて離れない――


「……あーもう、やめだやめ。考えたって仕方ない」


 自分とアマツマの間には何もないのだから。ヤナギが彼女のことで悩む筋合いはない。変な奴が変な悩みを抱えているかもというだけの話だ。自分には関係ない。

 その程度に割り切って、ヤナギは窓を閉めた。

 頑張れと言われた図書委員の仕事も、結局は十分も経たずに終わらせた。

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