判子屋が潰れない理由

そうざ

The Reason Why Hanko Shops do not Go out of Business

 町の判子屋が潰れないのは何故か。世間では不思議に思われてるみたいだね。理由は幾つかあるよ。

 景気や流行に左右されないから、実印や銀行印等で高価な印材を用いた商品を販売しているから、各種印刷物や朱肉等の関連商品も取り扱っているから、法人契約で受注しているから、会社では意外と判子は消耗品だから、商品が場所を取らず腐りもしないので在庫管理に経費が掛からないから――一般的にはこんなところだろうね。内情を知ってしまえば大抵の事柄は、なーんだ、でお仕舞。別段、面白くも何ともないのが世の中ってもんさ。


 あんた、立て看板の『新規お客様に判子を無料サービス』って謳い文句に誘われて来たんだろう?

 一応、判子を並べてはいるけどね、これは単に判子屋としての体裁を整えてるだけで、本当は他で稼いでる訳よ。さっき言った一般的な儲け方とはちょいと違うけどね。

 副業なんて飛んでもない。先祖代々、判子これ一筋で食ってるんだ。私でもう八代目さね。

 だったらその絡繰からくりを知りたいってのが人情だろうね。よし、大学合格と新生活スタートのお祝いにあんたには教えちゃおう。

 じゃあ、先ずは判子を作らないと。商売上手? 体裁は整えないとね。大丈夫、お代は頂かないよ。看板に偽りなしさ。

 ほう、中々珍しいお名前だね。既製品にはないだろうな。折角だからフルネームで作ってみんかい? あんまり知られてないけど、判子は苗字だけじゃなくて、名前だけでも、フルネームでも良いんだ。時間は掛からんよ、今時は機械であっと言う間に完成さ。


 さぁさぁ、これで契約成立だ。判子の作製は契約の証。これであんたも正式な顧客だ。一生涯うちに使用料を納めて貰うよ。

 何の使用料? 名前だよ、名前。うちで判子を作った者は、その引き換えに名前の権利をうちに譲るんだ。何でそうなるのかは私もよく解らんけど、初代がと契約して編み出した商法さ。

 なぁに、大した額じゃない。悪どく儲けるつもりはないんだ。先祖代々、何百年分もの顧客が居るから、一件当たりの徴収は僅かで構わんのさ。サブスクだっけ? 昨今はそういう儲け方が流行ってるらしいけど、似たようなもんだよ。

 冗談だと思うかい? 信じるか否かはあんた次第だけど、支払わないと名前は使えないよ。そうなってから慌てるのは利口じゃないな。

 名前を使えないってのは想像以上に不便だよ。時々居るだろう? 自分の名前を思い出せなくなる、私はだぁれって奴がさ。ああいうのは元々うちの顧客なんだ。うちで判子を作った事まで綺麗さっぱり忘れちゃうから、永遠に名無しの権兵衛さ。

 一度でも滞納したら二度と名前は使えないから、くれぐれも気を付けなさいよ。毎度あり、末長くご贔屓を。

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