第5話 四章

「とりあえず、散らばるか」


 怪物に比べて、こちらの機体はかなり小さく作られている。それが意味することは、敵の攻撃を受けるときに固まっていれば一網打尽にされる可能性があるし、敵の攻撃はかなり重たい。力任せに爪を振りかざしてくるだけでも、大きさを比べればおそらく致命傷だ。


 だが、悪いことだけではない。相手の体は大きく、さらにはフェンリルのようだから肉食動物と同じ構造である。草食動物と肉食動物の大きな違いとして目の位置があげられるが、草食動物は視界が広く平面的に、肉食動物は視界が前方に狭く広がっており、立体的に見える。たしか、理科の授業で習ったはずだ。


 だから、俺たちはとりあえず散らばって背後を取りながら戦うことを選択した。

 幸い、怪物はまだこちらの存在に気が付いていないらしく、きょろきょろとあたりを見渡しては、時々うめき声をあげている。その隙を狙って、一気に距離を詰めて攻撃を仕掛けた。しかし、怪物の視界に入った瞬間、こちらに向かって突進してきた。


「くそっ!」


 予想外の攻撃に反応が遅れてしまい、回避することはできなかった。なんとか機体の腕を交差させてガードするが、その衝撃に耐えられず後方へ吹き飛ばされる。しかし、そのすきに天草が動くのが視界の端で見えた。


「喰らえ!」


 天草が思い切り怪物の腹部に向かって、光線を放った。まあ、一般的に犬とか猫みたいな四足歩行の動物がボスである場合の弱点というのは腹部だ。さすがにゲームをそこまでプレイしなくても、天草はそのくらい知っている。

 社交的な人は、自分の精通していない分野にもそれなりに知識の幅を広げている。だから、俺よりもゲームに詳しいんだろうな。


 天草の攻撃を受けて、怪物は一瞬ひるむもののすぐに態勢を立て直す。やはり、この程度のダメージでは倒すことはできないらしい。それどころか、天草のことを敵と認識してしまったのか、今度は標的を天草に変えた。


「やばいぞ! こっちに来る!」


 俺は必死になって叫ぶも、どうすることもできない。今更逃げようにも、もう遅いのだ。こうなってしまえば、あとは天草を信じることしかできないだろう。


 天草の方を見ると、必死に避けようと動き回っている。だけど、完全によけ切ることはできていないようで、少しずつダメージを受けていた。このままじゃまずいと思った俺は、怪物の背後に回り込んで再び攻撃をしようとした時だった。


「うわぁぁあああっ!!」


 突然、悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。何事かと思い後ろを振り返ると、そこには先ほどまで一緒に戦っていたはずの天草の姿があった。そして、それと同時に天草の乗っていた機体は大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。


「おい、大丈夫か!?」


 急いで駆け寄ると、機体の頭部にはぽっかりと穴が開いていてそこから血のようなものが流れ出していた。これは明らかに敵の攻撃を受けている証拠だ。


「危ないぞ!」


 慌てて駆け寄った俺を、怪物は狙う。その足に森本が光線を命中させてなんとか防いでくれた。狙撃が上手い森本は後衛向きだ。


「ありがとう」


「礼なら後にしろ。今はあいつを倒すことを考えろ」


「ああ、わかっている……」


 そう言ったものの、今の状況は最悪だ。怪物の狙いが次に悠介へと定められ、天草は動けない。石川さんも機体に乗ってはいるが、背中を任せるには不安だ。

 つまり、自由に動けるのは俺しかいない。


 だけど、一体どうやってあの怪物を倒せばいいんだ?

 その時、頭の中に一つの考えが浮かぶ。怪物を転ばすしかない。犬と同じ形だとしても、かなり起き上がるのには時間がかかるし森本が起き上がろうと使った足を狙い撃ちにすればかなりの時間は動きを拘束できるはずだ。

 森本ならおそらく、そこを理解してくれるはずだと信じて、悠介を動かすために救出へと向かった。


 怪物が前足を振り上げた。その足は、間違いなく悠介を狙っている。だが、悠介の反応が明らかに遅い。このままではやられる!

 そう思った俺は、悠介に向かって飛び込んだ。そのまま、二人はごろごろと転がっていく。悠介が先ほどまでいた場所には、怪物の爪が深く突き刺さっていた。


「逃げるぞ!」


 俺はそう言うと、悠介の手を引いて走り出した。天草たちのことを心配していたが、石川さんがうまく立ち回って逃がしてくれているみたいで無事なようだ。しかし、そんな安心感もつかの間、背後から恐ろしいほどの殺気を感じた。振り返ると、そこには大きく口を開けた怪物がいた。


「嘘……だろ?」


 思わず口から言葉が漏れる。あんなものを喰らってしまったらひとたまりもない。だが、俺が諦めかけた瞬間、何かに引っ張られて横に吹き飛ばされた。


「大丈夫?」


 その先には、光線銃を構えた石川さんが立っていた。どうやら、石川さんの放った光線にぶつかって飛ばされたようだ。すこしダメージが入ったが、まだ動ける。石川さんはゲームをしたことがないからこそ、味方に向かって攻撃するということを思いついたのかもしれない。

 まあ、本人はかなり申し訳なさそうで今にも泣きだしそうだ。別に気にしないでもいいが、やはり味方に銃を向けるのは気が引けるのだろう。


「ありがとう! 助かった」


 俺は石川さんに届くように大声で言った。そして、悠介を連れて距離をとり簡単に作戦を説明する。森本の近くにまで行って伝える余裕はない。


「わかった。でも、本当にあれを転ばせる自信はあるのか?」


「正直、わからない。だけど、何もせずに死ぬよりはましだろ」


「確かにな……。よし、やってみよう」


「頼む」


 俺と悠介は、同時に左右へと散らばった。怪物はその光景に少し困惑したが、それでも俺に狙いを定めて襲い掛かってくる。そして、俺が立ち止まった瞬間に目をきらきらと輝かせて思い切り右前足を上げた。


「いまだ!」


 俺はそう言って、光線銃を構える。そして、思い切り怪物の右後ろ脚へ向けて光線を放った。それと同時に悠介がもう片方の左後ろ脚へ向けて光線を放った。その光線は見事に直撃し、怪物はうなり声をあげながら姿勢を崩した。しかし、右前足を上げているせいでちょうど柔道で使う受け身のように左前足のみで回転し、腹を見せた。


「今だ! 撃ってくれ!」


 俺が叫ぶと同時に、石川さんは引き金を引いた。森本もそれに合わせる。放たれた二つの光線のうち一つが怪物の腹部に命中し、もう一つが左後ろ足に当たった。再び、怪物がうなり声をあげる。


「やったか!?」


 悠介が嬉しそうな表情を浮かべるが、すぐに気持ちを切り替えて高所へ移動してそこから怪物に向かって光線を放ち続けた。怪物は先ほどまでとは違い、必死に避けようとしているが体勢が悪いのか上手く避けきれず、徐々に体力を奪われていく。そして、ついに怪物は気絶した。


「あれがコアだ!」


 怪物が動かなくなると同時に、眉間のところに赤い光が宿った。明らかに他の場所とは違う。もう動かないから、狙いを定めるのは楽だった。俺が放った光線がコアを貫くと、大きな爆発音をたててゲーム画面が切り替わる。


『GAMECLEAR』


 そこにはゲームクリアを祝う文字が浮かび上がった。それと同時に、俺たちは喜びの声を上げる。


「勝った……」


「ああ、やっと終わったんだ……」


 どっと疲れた。あまりにもリアルな体験は、夢ではなく現実ではないかと錯覚してしまうほどだった。だが、この疲労感は決して嫌なものではない。達成感があるからだ。たまにはこういうのも悪くない。


 そのまま、意識は現実へと引き戻された。目が覚めると、そこはパソコン室の天井が広がっていた。やっぱり、夢じゃなかったんだな。隣では悠介、石川さんたちも目覚めている。みんな無事に生還できたようでよかった。


「お疲れ様。みんな、見事な戦いぶりだったよ」


 海堂さんがそう言って、顔を覗き込んでくる。なんだか、その顔には感情がこもっていなくて怖かった。だけど、それに対して何かを考えられるほど体力が残っているわけでもない。ただ、海堂さんの言葉を耳に流しながら、俺は床に体を預ける。


「よく頑張ってくれたね。ゆっくり休んでくれ」


 その言葉を最後に、俺は眠りについた。時間もわからないけど、それでも疲労が起き上がることを許してはくれなかった。そんな中で、ある声が響く。悠介でも、石川さんでも無くてアリスの声が。


『お疲れさまでした。かっこよかったです』


 いったいなんなのだろう。


「う~ん、いったい何をしてたんだっけ」


 次に目を覚ました時には、月明かりがパソコン室の窓から降り注いでいた。隣を見ると、悠介が眠っている。とりあえず体を起こすと、そこには水川さんがいた。まるでアナウンサーのように足を揃えて流している。他に誰も起きている人がいない状態でもこの姿勢を保っているのだからすごい。


「おはよう。申し訳ないけど、他の子たちも起こしてあげてくれる?」


「はい、わかりました」


 まず、俺が不思議に感じたのは電脳世界にいた水川さんの存在だった。ゲームが始まる前に海堂さんとした会話の中では、彼女は生徒会の会議に参加していたはずだが、ゲームの中には確かに存在してこちらに指示を出していた。

 それだと、話がおかしくなる。


「何かわからないことでもあった?」


 悠介と石川さんを起こしていると、水川さんがこちらに問いかけて来る。月明かりに照らされた水川さんの姿はあまりに幻想的で、彼女の名前である蛍という言葉は、この景色を見てから後付けされたと言われても信じられるほどだった。


「いえ、何でもありません」


「そう、ならいいんだけど」


「あの、どうしてここにいるんですか? さっき、ゲームの中にいましたけど」


 俺は何も質問が無いと言いながらも、彼女に質問をした。彼女はそれに対してなんの感情も浮かべずに答えた。


「あれは、サポート用のプログラムで私とは違う。彼女は、私の思考をコピーして作られた贋作でしかないわ」


 贋作……つまり偽物ということか。

 でも、あそこまでリアルに作りこまれていたのに偽物とはどういう意味だ。あそこで会った水川さんは本物と何も変わらないように見えた。


「あなたが見ていたのは、私が考えた通りに動く人形のようなもの。だけど、私はあんな風に行動したりしない。私なら自分一人でも十分だから。だけど、それは作られたプログラムによって制限されている。あそこにいる彼女は、私の能力を引き継いだけれども行動に制限をかけられた存在なの」


「へぇ、そうなんですか……」


 正直、まだ納得できない部分もある。だが、本人がそう言うのであればそうなのかもしれない。俺は水川さんが嘘をついているようにも思えなかった。


「あら、意外と簡単に信じるね。もっと、色々聞かれるかと思ったのに」


「はい、正直、完全に理解できたわけではないんですけど、水川さんの言う事を否定することもできないんで」


「それはいい考え方ね」


 そう言って彼女はくすりと笑った。そして、こういった。


「まあ、みんな同じようなものよ」


 その言葉の意味は、俺にはわからなかった。


 帰り道の途中、ふと気になってスマホを確認すると、メールが届いていた。差出人は海堂さんだ。

 内容は、労いと明日も放課後にパソコン室へ来るようにというものだった。


「すごいゲームだったけど。別にわざわざ毎日のように集まってするほどかなあ」


 悠介がぼそっとつぶやく。確かに、ものすごいゲームだった。まるでアニメの世界みたいな、リアルなVR。俺は歩きながら考える。あの世界で見た光景を思い出す。剣を振るう感覚、モンスターと戦う高揚感、それがだんだんと身に染みてきた。だけど、時間的な拘束と疲労感はすさまじい。

 そもそも、現実世界でVRが流行っていないのは体がそれに拒否感を示すから。そのため、毎日のようによりリアルな別世界に入ることへの怖さがあった。


 そんなことを考えていたらいつの間にか全員と別れ、いつの間にか家に着いた。玄関を開けると、母さんの靴がある。どうやら仕事から帰っているようだ。

 居間に入ると、ソファーに座ってテレビを見る母の姿が見える。

 いつも通りの母さんの姿だが、今日は少しだけ違って見えた。

 なぜだかはわからない。


「あら、おかえり。冷蔵庫にジュースがあるわよ」


 そう言った母は、別に違和感がなかった。

 俺は適当に返事をして二階にある自室に荷物を置きに行く。そして、着替え終わると階段を下る。すると、ジューッという音とともにいい匂いが鼻腔を刺激した。どうやら夕飯を作っているみたいだった。


 今日のメニューはハンバーグらしい。テーブルの上にはすでにサラダが用意されている。そこに盛り付けられているのはレタスとトマト。なんとも普通の野菜たちである。席に着くと、すぐにご飯が出てきた。ほかほかの白米に味噌汁、そして焼き魚。実にシンプルな食事だ。


 いただきますと言うと、箸を手に取る。

 そして口に運び、咀しゃくする。味に変化はない。

 ふと思う。どうして、こんなにも普通なのだろうか。あんなにも非現実的なゲームをしたばかりなのに、今こうして食べている料理は何の変哲もない日常の一部だ。なんだか変な感じがした。そして、気が付くと涙を流していた。慌てて涙を拭く。なぜ自分が泣いているのか自分でもよくわからなかった。


 しかし、その答えはすぐにわかった。俺はきっと怖いんだ。ゲームの中で、あまりにもリアルすぎる体験をした。だから、その記憶がまだ脳裏にこびりついて離れないのだ。あの恐怖が忘れられなくて、今もなお怯えている。それはきっと俺だけじゃないはずだ。だって、俺と同じ状況なら誰しも同じことを思うはずなのだから。

 

  翌日、学校へ行くと教室内が騒然としていた。それは、クラスのみんなが手に持っている紙切れが原因だろう。

 何事かと思って、近くの女子に話しかけると、彼女は興奮気味に口を開いた。

 その手には一枚の紙きれを持っている。そこには、こう書かれていた。


《VRMMORPG Fantasia Dive Online正式サービス開始決定!!》


 昨日の今日でまさかとは思ったが、やはりその予想は当たっていた。どうやら、正式にサービスが開始されるらしい。

 俺も早速自分のスマホで公式サイトを開く。すると、すでにトップページに情報が記載されていた。それによると、来週月曜日に正式サービスを開始するらしい。また、それに伴い事前登録を開始しており、登録者数は約十万人。


 これは、かなりの大盛況といえるのではないか。俺はもう一度、クラス内のざわめきに耳を傾ける。どうやら、この情報はネットでも話題になっているらしく、どのサイトを見てもこのニュースが取り上げられている。まあ、それだけ注目されているということだろう。それにしても、本当にすごいゲームだと思う。まだ開始前だというのに、こんなにも期待されているのだから。


 しかし、それはあまりにも異様な光景だった。ゲームと言えば、昔はいわゆるオタクと呼ばれる部類の人たちがするものだったはずだ。しかし、いつの間にかクラスの男子は全員がプレイしていることがもはや当たり前で、女子でも数人は話が通じるレベルにはゲームをしている。


 ここ数年の間に、アニメもゲームも漫画も、オタク文化と呼ばれるものはすさまじい発展をとげて人気を得た。そのおかげで、ゲームをプレイすることを仕事にする人が出てきて、アニメが社会現象となり現実世界へと影響を及ぼすこととなった。

 今では、日本に住む人は皆何かしらのゲームをプレイしているといっても過言ではないほどだ。かくいう俺もその中の一人だ。


「ねえねえ、祐奈も一緒にやろうよ!」


 人気者の石川さんは、女子に取り囲まれてゲームに勧誘を受けている。彼女はどう対応してもいいのかわからないというようで困っていた。だが、それに救いの手を差し伸べることはできない。海堂さんの言う学校生活での立場を保証するというのは、こういう時にクラスへ影響を及ぼすことができるようになるのだろうか。


 もちろん、ゲームのデバックやVR世界でのことも気になったけれども、やはり問題となるのは学校生活での立場。それは、学校という世界が自分にとってのほとんどである高校での生活とその立場。それが日常生活において大きなウェートを占める時間を海堂さんがどうやって充実させるのか。


 考えることがあまりにも多すぎる。こうなれば、感じるうちでははるか昔になってしまったときに戻りたい。そうすれば、悩むことなんて何もなかったから。

 授業中、俺は窓の外を眺めながらそんなことを考えていた。


「それじゃあ、今日はここまで」


 そう言って先生は教室から出て行く。さっきまで静まり返った空間に一気に喧騒が訪れる。俺は教科書をしまってパソコン室へと向かう準備をする。教室を出ると、後ろから声をかけられた。


「荒木君! ちょっといいかな?」


 振り返ると、そこには石川さんの姿があった。俺はいつも通りに三人でパソコン室に向かうつもりだったけれども、教室の中はゲームの話題ばかりでなんだか気が滅入るから外に出ただけだ。それを、先に一人で行こうとしていると勘違いしたのだろうか。石川さんはかなり慌てているように見えた。


「えっと、その、一緒に行かない?  いろいろ話したいし」


 その言葉を聞いても別にどうということも無い。元々がそのつもりだった。だが、そうはさせてくれないのが周りの空気だ。普段は目立たない俺と、クラスどころか学年一の美少女。


 文化祭でミスコンなんて下世話なグランプリがあれば一位をとってもなんら不思議ではないような石川さんが何かを話していて、それもなんだか色々話したいというピンクにも色を塗れるような言葉を出したのだ。俺も逆の立場なら気にしてしまうので強くは言えないけれども。


 こういうふうにクラスが湧きたっているのは、あまりいい気分がしない。たとえ、俺が石川さんとそういう関係だったとしてもだ。


「……悪いけど先に行ってて。俺は後で合流するから。ほら、時間なくなるし?」


 俺はなるべく自然に見えるように笑顔を作って、できるだけ優しい声で言った。あくまでこれは彼女に迷惑をかけないためであって、俺自身が彼女を嫌いとかそういうわけでもない。


 だけど、表面上は優しくても内実としてはかなり冷たい口調だった。俺はいつの間にこんな声を思ったとおりに出せるようになったのだろうか。きっと、昨日の臨死体験にも似た恐怖がもたらした恩恵なのではないか。彼女は俺の言葉を聞くと、少し寂しげに微笑んで小さくうなずいた。


「わかった。ごめんね」


「いや、大丈夫だよ。こっちこそ、なんか変なこと言ってゴメン」


 やっぱり、その言葉も冷たい。石川さんもどこか悲しそうにしていた。あとで謝っておこうと思う。クラスメイトたちは僕の声が異様なまでに冷たかったことに何かを感じたのか、すぐさまクラスの空気は冷めて熱狂はどこかへ行ってしまった。教室を出て行く際、彼女の背中はとても寂しく見えた。


 俺は教室を出ようとすると、一人の男子生徒に呼び止められる。それは、同じクラスの男子で名前は確か、佐藤健司だったはずだ。彼はサッカー部に所属しており、それなりにイケメンなので女子の間では人気者らしい。


「おい、お前どういうつもりだよ。あんな言い方したら、あの子だって傷つくだろうが。そういうのやめろよ」


「……どうもこうもないよ。ただ、ああいう状況が嫌だっただけ。特に石川さんと一緒に行動しているところを見られているからなおさらね」


「何が言いたいんだよ」


 そういえば、佐藤は石川さんのことを好きらしいという話を聞いていた気がする。 

 もしかして、この状況をチャンスと見ているのだろうか。

 だとすれば、面倒くさいことになるかもしれない。


「いや、なんでもないよ。とにかく、俺は行くから」


 そう言って、俺は教室を後にする。しかし、その足はすぐに止まった。


「待てよ! 俺が石川のこと好きなの知ってんだろ!」


 その言葉を聞いて、俺はため息を吐きそうになった。まさか、こんなところでカミングアウトするとは思わなかった。確かに、彼が石川さんを好きだということは知っていた。だが、それは俺にとってはどうでもいいことだった。もう、恋愛とかそういうことを考えるのも面倒だ。


「だから、なに?」


「はぁ!?  ふざけんなって!  人の気持ちを踏みにじりやがって!」


 はあ、本当にこの手合いは苦手だ。どうしてみんな自分の思い通りにならないとすぐにキレてしまうのか。

 しかも、それが正論だと思っているところが余計に嫌だ。たとえ、こちらが石川さんと何かがあったとしても交際もしていない身ででしゃばるのはやめてほしい。


「じゃあ、どうしろっていうのさ。そもそも、君は石川さんが好きなの?  それとも、付き合って欲しいの?  どっちかはっきりしてくれないかな。俺には君が何を言いたいのかわからないんだけど」


 俺がそう言うと、彼は顔を真っ赤にして怒り出した。そして、渾身の右ストレートが飛んでくる。その瞬間に少しの悲鳴と、驚嘆の声が上がる。俺は避けるつもりも無かった。もう、普通の生活には戻れないんだとそう確信したからだ。


「おっと、暴力は生徒会長として見過ごせないなあ」


 しかし、そのこぶしがぶつかることはなかった。そこには、海堂さんがいた。彼は涼しい顔でこぶしを受け止めている。


「離せよ! 関係ないだろ!」


「まあまあ、落ち着こう。とりあえず、荒木君の話を聞こうじゃないか」


 海堂さんは俺の方を見る。まるで、俺の心の中を読んでいるかのような目だ。そんな目を向けられて、俺は何も言えなくなってしまう。


「荒木君も挑発するのはよくないよ。ほら、握手で仲直りだ」


 俺は適当に手を差し出す。佐藤も抵抗しようと腕を振っていたけれど、海堂さんの体はびくともしない。彼はしぶしぶ手を差し出して、俺の手を握った。

 そのタイミングで彼は力を入れようとしたけれど、海堂さんがそれを制するように彼の手首を強く握りしめた。


「痛っ!」


 佐藤は痛がっている。

 海堂さんが手を離すと、佐藤の手首には青黒い痣が残っていた。


「すまない。ちょっと強くやりすぎたようだね」


 海堂さんは笑みを浮かべながら言った。だけど、目は笑ってはいなかった。


「行こうか」


 そう言って、俺の腕を引っ張った。俺は彼にされるがままについて行った。


「大丈夫かい?」


「はい、ありがとうございます」


「気にしないでくれ。生徒の暴力を止めるのは、生徒会長の仕事だからな」


 彼は爽やかな笑顔で答える。


「それにしても、なかなか勇気があるね。殴られることを受け入れているなんて」


「殴られることなんかよりもよっぽど怖い体験をしましたから」


 俺は皮肉を込めてそういった。

 海堂さんもそれに気が付かないわけがない。乾いた笑い声が聞こえる。


「はは、そうだね。安心してくれ、今日はゲームをしてもらうために集まるわけじゃあない。みんなには話があるんだ」


 そう言われて、俺は安心する。だけど、次に聞こえた言葉はより怖いものだった。


「今日は、君たちの願い事について話をしようと思う。もちろん、時間をとるつもりはないよ。君たちも忙しいだろうからね」


 俺は、何も言えない。だって、それは俺が最も恐れていたことだからだ。すでに、あの騒動で俺の立場は大きく変わった。それを元に戻すことができるのならそれを望むのはありかもしれない。だけど、それは現実的ではなかった。きっと、海堂さんならば学校にいる誰を相手にしても学校から追放するのにそこまでの労力を要しないだろう。だけど、それは違う。それは俺の望んだ平穏な学校生活ではない。


「どうしたんだい?」


「いえ、なんでもありません」


「そうか」


 絶対になんでもないという言葉が嘘であるということはわかっていたけれど、海堂さんはそれにつっこんではこなかった。

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