賜物が墜ちて来る
そうざ
The Gift Falls from Somewhere
その物体は、正確な正二十面体を呈していた。二十枚の正三角形で形作られた凸多面体で、その一辺だけで百メートル程もある代物だった。
当初は地球外から飛来したものと目されたが、どの国の観測所も感知していなかった。航空機から投下された可能性も探られたが、この巨大な物体を積載、または機外吊り下げが可能な機体は世界中の何処にも存在しないと結論付けられた。
つまり、北緯27度、東経86度辺りの中空から突如として出現したとしか説明が付かないのである。
落下視点が人里を遠く離れたヒマラヤ山脈の一角だったのは幸いだった。また、エベレストの中腹を掠めた事で物体は軌道を逸らし、ネパール領内に落下した事も、隣国との国境問題に絡む危惧を回避したのと同時に、もし山頂に接触していたら
物体は
〔Ico〕が人工物である事は、国連の名に於いて結成された調査団の見解を待つまでもなかったが、物体の化学組成や内部構造の解析には最低でも半年に亘る精査を見守るしかなかった。
やがて、それは強化炭素複合材を基本素材にした耐熱仕様であり、X線等に依る調査の結果、その内部にはまた別の物質が収まっている可能性が明らかにされた。
放射線等の人体に悪影響を及ぼす要素は皆無である。となれば、箱の中身を見たくなるのが人類の
外装の一枚を慎重に剥がすと、内部は常に摂氏2度程度に冷やされており、〔Ico〕の正体が巨大な冷蔵庫である事が判明した。
放出されたのは、冷気だけではない。目一杯詰め込まれた内容物から、得も言われぬ芳香が調査団を包み込んだのである。
団員の中に
今度は〔Denbu〕の成分分析が急がれ、組成の主は水分、蛋白質、脂質等である事が判明した。
であるならば、口にしても害はないのではないか、との思いに至った大きな理由は、〔Denbu〕の名称が加工食品に由来している事と無縁ではなかろうが、人類の食料枯渇問題がいよいよ深刻の度合いを深めた時代だったからである。
一時期、究極の未来食と持て囃された人工肉や昆虫食も、栄養価の偏りや生産コスト等、様々なデメリットが問題の根本的解決への道を阻んだままだった。
自らの破滅を予見しながらも日々をやり過ごすしかない憐れな種、それが包み隠さざる人類の姿なのである。
試食の使命を負ったのは、調査団の責、または権限から、件の日本人だった。
その結果、〔Denbu〕は予め連想された桜田麩の味や食感を遥かに凌ぐものであり、調査団の総意として、人種を問わず万人の舌を愉しませると太鼓判を押した。
〔Ico〕の容積から概算するに、〔Denbu〕の総量は100万トンを下らない。が、全人類に分配するには余りにも少な過ぎる。かと言って、このまま無駄にして良いものか。ここでも日本語の『
国連での討議の結果、世界各地で飢餓に苦しむ人々の中から600万人を選抜し、等しく配給される事が決定した。
この采配に対し、一部で批判が起きた。
しかしながら、〔Denbu〕の恩恵を受けた人々の止め処なく滴る涎を目の当たりにするに付け、是非とも相伴に預かりたいと指を銜える者が続出した。
僅か一ヶ月余りで〔Denbu〕が綺麗に食べ尽くされてしまうと、人類は心の底から残念がった。
そして思った。
もっと食べたい。
もっともっと食べたい。
もっともっともっと食べたい。
フォンリン旅団と名乗る正体不明の組織が全世界に向けて文章及び音声に依る声明を発表したのは、それから間もなくの事である。
世界の主要な言語に対応した声明は、大手マスメディアからウェブ上に至るまでを瞬時に席巻し、全人類の過半数に衝撃と混乱とを与えた。
冒頭こそ〔Ico〕の落下事案に対する謝罪が述べられたが、続く内容は〔Denbu〕を承諾なく食した人類の不当行為に関して苦言を呈する主旨だった。
相対的に鑑みても非は人類側にある――フォンリン旅団は飽くまでも『旅団』と『人類』との対立構図を強調した。
急遽、フォンリン旅団と人類とのリモート会談が非公開で執り行われる事になった。
全人類が杞憂を抱えながら静観した約一ヶ月の後、国連は全世界へ向け、両者が良好な関係を築く事に成功したと華々しく公表した。
また、フォンリン旅団が反社会的な組織ではない事を保証し、彼等が人類との友好の証として〔Denbu〕の永続的な無償提供を約束した事も明るみにした。
具体的には、以下の取り決めである。
地球時間単位で十日に一度、五大陸
これで人類は遠からず食料枯渇問題から解放されるに違いない。世界各地にて予祝のような歓喜の祭典が繰り返された。
――今般、我々は別宇宙に存在する一つの星を、引いてはそこに住まう主要種の救済に成功した。これは我々の慈善事業であり、彼等自身の互助の賜物でもある。
少なくとも当該星の時間感覚で言うところの一千年は経過観察を続ける必要があるが、この
そこで、我々の志を継ごうとする後進の育成も兼ね、今般実施した試験の手順の概要を示しておく――。
1.先ず、対象星の時間軸に於いて最低でも一千年後まで転移し、主要種が過剰繁殖に拠る絶滅の可能性ありと認む場合に限り事業に着手すべし。
2.一千年後の時間軸に於いて主要種を捕獲せし際、その手段として出来得る限り電気を用いるべし。因みに、今般の対象種は一個体当たり0.1A程度で絶命に至らしめた事実を参考値として挙げおく。
また、事業の恒久的運営を鑑み、捕獲上限は総個体数の半数を超えぬよう留意せよ。
3.飼料への加工工程に於いては、対象種本来の原形を留めぬ事を最優先とす。低文明指数種の多くに同種間の摂食を禁忌とする因習を有す事例を散見せし故、『水分』『淡泊質』『脂質』等の成分名を与うるまで微塵に加工すべし。調味に関しては、素材そのものを活かす他は微量の香料及びモノアミン神経伝達物質の注入で敢へなむ。
4.飼料の第一次配布に際しては不意打ちを旨とし、先ずは対象種社会の反応を静観せよ。接近遭遇は、対象種が好奇に駆られて飼料を摂食するその機に乗じて行い、我等の優位性を演出すべし。その上で、平和的解決、相互理解に至れりと錯覚させ、懐柔せしめるべし。
5.第二次配布以降に関しては、一定量、一定間隔を厳守して遂行すべし。低文明指数社会に於いて大容量の一括配布は無用な紛争を呼び込むものと理解すべし。
生かさず殺さず、が慈善事業の本質と心得よ。
――最後に、事業の発展を期し、結びの言葉として惹句を示す。『
賜物が墜ちて来る そうざ @so-za
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