暴風雨ガール 20


        二十


 翌日、真鈴の父が経営していた「沢井化成株式会社」の当時の役員を確認するため、地下鉄谷町線の天満橋駅近くにある法務局本庁に出向き、商業登記の閉鎖謄本を閲覧した。


 役員は監査役を含めて男性四人が登記されており、それらをメモしたあと真鈴に電話をかけてみた。


「今、授業中なの。昼休みに電話して」


 真鈴は囁くような声で言って電話を切った。


 なぜ授業中に電話に出られたのかが不思議だったが、キチンと学校に行っていたことに私は安堵し、訊きたいことを簡単に要約してメッセージで送っておいた。


 南森町にある大手探偵調査会社のT社へ向かって天満橋を渡っている途中、ブルブルとスマホが震えた。

 真鈴からの電話だ。


「メッセージ見たよ。お父さんの会社の役員だった人のことね?」


「そう、四人の役員がいたようだけど、その中で知ってる人がいないかな?」


「佐久間という人なら知ってる。確かお正月に何度か年始の挨拶に家に来て、私にお年玉をくれた人。お父さんと一番親しかったと思う。泉大津というところに住んでいたはずよ」


 真鈴は記憶に間違いないと言った。


「午後の授業も頑張れよ」


「全然つまんないよ。岡田さんとマックへ行きたい」


 今度ビッグマックを食べようと約束して電話を切り、T社に顔を出した。


 事務所には七、八人の社員が忙しくしていたが、元いた職場なので皆が私に声をかけてきた。


 部長は私の姿を見ると、「ちょうどよかった。ちょっと一件仕事を頼みたいと思っていたところや」と言って、愛媛県宇和島市の調査を依頼してきてきた。


 私はありがたく頂戴して、調査指示書と資料を受け取った。


「部長、ちょっとEノートを使わせてもらえますか?」


「そこらにあるから、好きに使ってくれてええよ」


 Eノートとは、大手通信会社の電話を架設している利用者の名前と住所の一部を打ち込んで、電話番号を検索できる端末だ。


 サービス自体はすでに終了しているが、既存の情報はまだ検索できる。

 

 いちいち各地の電話帳を見なくとも捜せるから便利なのだが、利用者が電話帳に非掲載希望なら絶対に出てこないから個人情報は守られている。


 佐久間氏の氏名と概略住所で検索をしてみると、該当するものがひとり出てきた。


 事務所の電話を借りてすぐにかけてみた。

 すると、電話には佐久間氏の妻が出て「主人は仕事に出ています」と言った。


 前に沢井氏の会社にいた佐久間氏宅であることを確認し、あらためる旨を伝えて電話を切った。

 そしてその夜、同氏と話すことができた。


 一度お会いしたい旨を伝えると、当然ながら最初は不審に思っているフシが窺えたが、「沢井氏を捜すのはご家族からの依頼です」と説明すると同氏は快諾し、三日後に会うことになった。


 佐久間氏は真鈴の父の会社が倒産したあと、大阪市中央区の北久太郎町というところにある薬品会社に勤めていた。


 約束の日の十八時半ごろに地下鉄御堂筋線本町駅に着くと、待ち合わせ場所とした改札口前の売店横で彼はすでに待っていた。

 少し白髪が混ざった五十半ばの人物で、挨拶を交わしたあとわれわれは地下の飲食店街にある大衆的な居酒屋に入った。


「このあたりは相変わらず賑やかですね。私は以前、この近くの会社にいたのですが、当時と全く変わっていません。もうずいぶん昔のことですが」


「そうですな、このあたりはビジネス街なのでサラリーマン相手の居酒屋が多いですな。

 私が世話になった沢井さんの会社があったのは、北浜と堺筋本町の中間でした。大阪証券取引所や大阪国際ビルなどが近くにありましたから、ここと同じような飲み屋がたくさんありました。

 いずれにしてもサラリーマンというものは、仕事の憂さや同僚や部下とのコミュニケーションに酒は切り離せません」


 佐久間氏は生ビールを飲みながらそう言った。


 そういえば私は今、同僚や上司や部下というものとは全く縁のない仕事環境にあるのだ。


 でも、金融会社にいたころを思い出すことはあるが、戻りたいとは決して思わなかった。


 佐久間氏は学卒後就職した大手企業で化学製品や薬品関係の研究をしていたらしいが、途中から営業に回されたため退職し、中堅の化学品会社に転職した。


 そこで真鈴の父とは上司と部下の関係にあり、「沢井さんが独立するというので、それならとついていったのです」と彼は言った。

 もう十五年以上も前のことらしい。


「岡田さんのような職業が本当にお有りだとは知りませんでした。尾行や家出人の調査もされるのですか・・・。これは大変なお仕事だ。体力がないとできませんな」


 佐久間氏は私の名刺の裏に書かれている「調査項目」を見て言った。


 真鈴の父、沢井圭一が突然姿を消してしまったのは、もう六年以上も前のことだ。

 会社が行き詰まり、支払手形の決済の目処が立たないまま突然消えた。


 手形は資金不足で落ちなかったが、幸いにもいわゆる筋の悪い金融会社からの借り入れがなかったことと、支払先がすべて自社の取引銀行で手形を取り立てたことなどで、大きなトラブルにはならなかった。


 ただ、不渡り手形をつかまされた取引先の中には、たちまち資金繰りの悪化に陥った零細企業もあったようだ。


 会社整理は佐久間氏や社員が弁護士に相談して事務的に行われた。

 真鈴が十二歳、ちょうど小学校を卒業した春休みのことだった。


 当時、沢井家が住んでいた堺市の泉北ニュータウンの土地家屋は銀行に差し押さえられ、真鈴と母は現在の兎我野町のマンションに引越してきた。


「もうずいぶん前のことなので、お忘れになったことも多いと思いますが、沢井さんが失踪される前に何か変わったことはなかったでしょうか?」


「会社は事務の女性が三人と、営業が四人、そして私ともう一人の役員を入れても十人ほどのものでした。

 家族的な雰囲気の会社だったのです。皆が親しかったといえばそうなのですが、沢井さんの失踪について心当たりはまったくありませんな」


 目を少し細めて、昔を思い起こすような表情で佐久間氏は言った。


「警察に捜索願いを出したのはどなたでしょうか?」


「手形決済日の翌日、銀行がもうこれ以上待てないと不渡り処理がなされ、午後から取引先から次々に手形が落ちなかったことについて問い合わせが入り、会社はあくる日の夜遅くまで混乱しました。ようやく三日目に私が奥さんと話し合って警察に届け出ました」


 佐久間氏はビールを飲み干して言った。

 店内は冷房があまり効いておらず蒸し暑い夜だった。


「なんとか見つかりませんかなあ。会社は倒産しましたけど、どうにかこうにかカタがついたようだし、整理したあと特に借金が残ったわけでもありませんからな」


 佐久間氏はそう言い、そのあとも難しい表情で何かを思い起こそうとしてくれたが、ヒントになる話は得られず、一時間半ほどで店を出た。


 別れ際に、当時の女性社員の名前と連絡先を念のため訊いた。


 帰ってから資料を探してみますと、佐久間氏は心やすく引き受けてくれた。

 女性社員ついて訊いたのは、私の「勘」以外に理由はなかった。

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