暴風雨ガール ③


        三


 事務所としての機能が整うまで約一週間を要した。


 電話とインターネット回線の敷設が終わり、パソコンを設定してファクシミリも設置、いつでも動ける体制になったが、営業をかけるとすぐにオファーが来ると踏んでいたので慌てなかった。


 事務と電話番を手伝ってもらう人を一人だけでも雇わなければならないが、しばらくはひとりでゆっくりと進めていこうと考えた。


 私はとりあえず追い出された妻に連絡をとった。

 妻は私を追い出してから、ふたりで長年住んでいた北摂の団地を引き払い、奈良県生駒市の実家に帰っていた。


 スマホから妻の携帯番号にかけると、待っていたかのようにすぐに出た。


「すぐに電話に出るんだな」


「だって、一応は心配していたのよ」


「ようやく事務所らしくなったよ。そろそろ仕事をはじめる」


「どこなの、事務所は」


「前に事務所を持っていたところのすぐ近くだよ、兎我野町」


「なんで同じところにしたの?またすぐ潰れるよ」


「縁起でもないこと言うなよ」


「だって、そうでしょ。もっと他の場所がなかったの?」


 容赦ない妻の言葉に少し戸惑いながらも、何とか今度は頑張るからと言って、事務所の電話番号と所在地を教え、電話を切ろうとした。


「両親がね、離れて暮らしてるんだったら、もう離婚したらどうかって言うのよ」


 考えてみれば、ふたりの間に子供がないことが、お互いの自由な動きを可能にしていた。


 子供もいないのに、離れて暮らしながら婚姻関係を保つ意味がないというのも理解できた。私は少し考えてみると言って電話を切った。



 翌日、七時半に部屋を出て京都へ向かった。

 開業したらすぐに仕事を回してもらうために、業界では比較的古い業容を持つA社への挨拶である。


 ここから安定した仕事をもらえるようになれば、この前まで勤めていたT社へ挨拶に行こうと考えていた。


 阪急梅田駅の改札を入って京都線のホームへ歩いていると、売店で見たことのある顔が視界に飛び込んできた。

 あの少女であった。


 男性とラブホテルから出てきたところに遭遇した夜以来しばらく見かけなかったのだが、今朝は女子高生の姿、白いシャツと紺のベストとスカート、手には大きなカバンを持っていた。


 私は気付かなかったふりをして、大きな駅構内の最も隅に位置する京都線のホームへ歩こうとした。

 だが、彼女が売店での用をすませて振り向いたとき、バシッと顔が合ってしまった。


「おはよう、こんなところで遭うなんてね、まったく」


「学校です」


 彼女は一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐに表情を戻して冷静に言った。


「知ってるよ、その制服」


「行ってきます」


 そう言い残して、宝塚線のホームへ速足で去った。

 彼女の制服は、十三駅近くにある有名校のものだった。やっぱりまだ高校生だったのだ。


 京都市内の大阪寄りにある西院という駅を出て、道路を向かい側へ渡ったところにある五階建ビルの三階にA社がある。


 私は金融業を失敗したあと大手の探偵調査会社に勤務して六年余りの経験を積み、もともとが独立したがりの性分が、凝りもせずに再びこころの奥底から湧き出て来てはやし立てはじめたので、世話になった調査会社を退職して自分の事務所を出すことにしたのだ。


 これから訪ねる調査会社はビルの一室と言っても、私の居宅兼事務所の広さとは比べ物にならず、相談室や応接室、事務室を含めて四つの部屋に区切られていた。


 社長は五十代の女性で、業界の会合などで何度か面識はあったが、直接訪ねていくのは初めてである。

 事務室には三人の若い女性とひとりの中年男性が、パソコンと向き合って忙しそうに業務をしていた。


「岡田です。よろしくお願いします。さすがに御社ほどになれば朝から皆さんお忙しくされていますね」


「忙しいのは事務関係だけね。私のところは調査員を抱えていないから、外注ばかりでちっとも儲からないのよ」


 名刺交換のあと、社長は苦笑いをしながら言った。


 調査の仕事はすべて下請け、つまり外注に出すのがこの調査会社のやり方で、暇なときのリスクは軽減できるが、ひとつの案件の純利益は少なくなる。


 自社の調査員を抱えて利益を優先するか、外注中心で売り上げを優先しリスクを減らすか、どちらが良いかは分からない。


「岡田さん、早速だけど急ぎの尾行調査が入ってるのよ。外注さんが皆目いっぱいの状態で頼めないの。すぐにやっていただけないかしら」


 いきなりの依頼はありがたいが、まだ各種調査案件別の下請け金額や取り決めなど、何も話し合っていない。


「車の尾行ですか、歩きですか?」


「歩きなのよ。男子高校生の尾行で依頼人はご両親。朝自宅を出てから帰って来るまでを十日間、とりあえず追って欲しいという内容ね」


 私は断る理由もなく引き受け、依頼内容を確認し、簡単な契約書を交わして、早速翌日から調査開始となった。


「ご存知かもしれませんが、私の得意分野は結婚調査と所在調査や家出人捜索、それと企業です。まあ何でもやらせていただきますけどね」


「知ってるわよ、どんどんお願いするからよろしくね」


 朝からの営業訪問は、思いがけず翌日からの尾行調査が舞い込んできた。


 梅田に着いて自宅兼事務所に帰り、明日からの尾行調査の準備をした。

 準備といっても歩きの男子高校生の尾行なので特にはない、カメラ位のものである。


 調査の指示書を読むと、ときどき家を出てから学校に行っていない日があるので、いったい何をしているのか、という依頼内容である。

 おそらくゲームセンターなどで遊んでいるのだろう。


 あまり気がすすまなかったが、金で割り切ろうと考えた。



 依頼人宅は兵庫県宝塚市の高級住宅街、息子が家を出てから帰宅するまでの行動を十日間追ってくれというもの。


 彼はお坊ちゃん高校といわれているN学園の三年生になったばかり、来年は大学受験を控えていた。


 もともと真面目でおとなしい性格で、二年生の二学期の前半までは何の問題もなかったが、昨年の十一月ごろから親には内緒でときどき学校をサボるようになった。


 学校から通知が来て三者面談となったが、学校をサボった理由は「公園で本を読んでいた」と言うだけだった。


 彼は親から毎月それなりの小遣いをもらっていたが、本を購入するからと言ってさらに何度かまとまった金を求めた。


 だが購入した様子はなく、母親がこっそり部屋を調べてみたところ、お年玉やこれまで郵便局で何度かバイトをして貯めた預金が定期的に引き出されていた。


 金の使途は?そして学校をサボってどこで何をしているのか?という調査依頼だった。


 高校三年生といえばもうおとなだ。

 金はおそらくゲームセンターや遊びに使っているのだろう。


 放っておけばいずれ本人が馬鹿馬鹿しく思ってやめるだろうにと、私は調査指示書に目を通して呆れてしまった

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