第2話:引きこもって、それから

 第2話:引きこもって、それから


 乙女にフラれたショックで部屋から一歩も出られなかった。

 ドアをノックする音が微かに聞こえた気がした。

 まるで死んでしまったようにベッドで過ごした。


 隣の部屋から壁をノックする音が聞こえた。

 隣の部屋は優香の部屋。

 強い音じゃなかったけど、はっきりと大きく耳に響いた。


「お兄ちゃん……ちょっとだけ話せない?」


 ハッとした。

 家に帰ってからどれくらい時間が経ったのか分からない。

 感覚的には一日経っていない。

 スマホを見ると電池が切れていた。


「無理かな……」


 寂しそうな声が耳に刺さった。

 優香の部屋に行って話をしようと思って、鍵をカチャッと開けてドアを開いた。

 隣からバタバタドタドタと音がした。


「お兄ちゃん!」


 目の前に優香が現れてビックリした。

 泣きながら飛びついてきたのを抱きとめられなくて、二人で一緒に床に倒れた。

 一階からバタバタドタドタと音がした。


「正ちゃん!」

「正優!」


 お母さんとお父さんが、開かれたドアの向こうでビックリしてた。

 なんだろう、みんなの声がひどく懐かしく感じた。


「鍵……ごめんなさい……」

「本当だよ! お兄ちゃんのバカ!」


 僕の胸で泣く優香が吠えた。

 本当に申し訳なくて、頭を撫でた。


「正ちゃん、あなた二日も籠って何してたの? 心配したのよ?」

「二日……?」

「そうよ? 慌ただしく帰ってきて引きこもって、次の日も、その次の日も出てこないし……ノックしても呼んでも反応ないし」

「わからない……ずっと寝てたんだと……思うけど……。 一日経ってないと……思ってた……」

「流石に寝すぎよ、まったく」

「まったくだ」


 お母さんとお父さんに呆れられてしまった。

 覚えてないけど、一瞬起きて寝てを繰り返してたのかもしれない。

 それをずっと寝てたって勘違いしてたのかな。

 頭の中でまとめたけど、自分に呆れてしまう。


「ごめんなさい……」

「もういいわよ、無事だって分かったし」

「お兄ちゃんのバカァ……」

「ごめんね……優香……」


 ゆっくり撫でてあげると、だんだん落ち着いてきたのか涙が止んだ。


「正ちゃん」


 お母さんに呼ばれてドアの方を向く。


「乙女ちゃんから事情は聞いてるから、引きこもってたのには怒ってないわよ」

「え……」

「正直に答えなさいね? ……学校行けそう?」

「……ごめんなさい……無理……」

「そう、分かったわ。 無理強いしないから安心なさい」

「ごめん……なさ……い……」


 胸がズキリと傷んで声が掠れて、ちゃんと喋れなくなっていく。

 話……聞いたんだ……。

 口をパクパク動かすけど、声が出ない。


「大丈夫、大丈夫だから。 ゆっくりでいいから」


 お母さんが優しく抱きしめてくれる。

 優香が抱きしめる腕に力を込める。

 お父さんが頭を撫でてくれる。

 僕は、あうあうと掠れた声で泣いた。


 きっと大多数には理解されないんだと思う。

 くだらないと、メンタル弱すぎと笑われるんだと思う。

 それでも僕にとっては大事なんだ。

 すぐには立ち直れないくらい、大泣きしてしまうくらい大変な大事なんだ。


 もう一度心が立ち上がれるまで時間がほしい。

 その時間を家族みんなが与えてくれている。

 申し訳なくて、でも嬉しくて、余計に涙が止まらなかった。



 ----


 正ちゃんは一頻り泣くと、すうすうと眠ってしまった。

 こんなに、目を腫らしちゃって、まったく。

 ベッドに移してあげて、私たちはリビングに移動した。


 泣くだろうなとは思ってたけど、あそこまでとは思わなかった。

 私たちの想像以上に傷付いてたのね。


「担任の先生に電話しないとね」

「そうだな」


 学校には風邪が長引いてることにしてたけど、長期の休みはそうもいかないものね。

 電話帳を取り出して学校へ電話をかける。


 <はい、涼鈴りょうりん高等学校です>

「お世話になってます、一年B組の小山内正優の母です。 芹崎せんざき先生はお手隙でしょうか?」

 <少々お待ちください。 ~♪>


 保留音が流れてくる。

 この時間授業中だったかしら?


 <お待たせしました、芹崎です。 小山内くんのお母様でしょうか>

「そうです、お世話になってます」

 <小山内くん元気になりましたか?>

「えっとですね……」


 どこまで話していいか分からないわね、これ。

 とりあえず、掻い摘んで事情を説明することにする。

 正ちゃんがどういう子なのか、何があったのか、今どういう状態なのか。

 後で正ちゃんが恥をかかないで済むようにざっくりと。


「ということでして……」

 <ずずっ……うう……ずびっ……>

「え? あの、芹崎先生? 大丈夫ですか?」

 <ずずずーーっ! ずびばぜん、大丈夫でず!>

「ええ~……」


 受話器の向こうから鼻を啜る音が聞こえてくる。

 めちゃくちゃ泣いてるんだけど、なんで?


 <え! 芹崎先生どうしたんですか! もしもし? 何かありましたか?>

「え、あ、大丈夫! 芹崎先生でないと分からない話の途中だったので、泣き止むまで待っててあげてください!」


 なんで私が気を遣う感じになってるのか分からない。

 困って優さんの方を見るけど、音が聞こえなくて状況が分からないのか首を傾げられる。

 うん、そりゃそうよね。


 <ずずっ……はあ……大変失礼しました、お待たせ致しました>

「い、いえ、大丈夫です」

 <ちょっと過去の失恋経験とダブりまして……小山内くんの心を思ったらつい……>

「息子のために泣いてくださりありがとうございます。 良い先生だと知れたので安心しました」

 <いえ……。 事情は把握しましたので、復帰後に授業についてこれるよう対策を考えます。 今日中に決めて明日ご連絡致します>

「わかりました、よろしくお願いします」

 <では、本日はこれで失礼致します>

「失礼致します」


 ふう……泣かれた時は焦ったけど、良い先生みたいで本当に安心したわ。

 ちょっと過剰だとは思うけど……。

 受話器を置いて、優さんと優香に電話で話したことを説明するためにソファーに向かった。



 ----


 何やら職員室が騒がしかったようですが、何かあったんですかね?

 そんな事を考えながら窓の外に視線を向けると、ドアがノックされた。


「はい、どうぞ」

「「失礼します」」


 ドアが開くと、一年の学年主任と芹崎先生が入室する。

 ああ、聞こえてきた声は学年主任の声でしたか。


権田原ごんだわら校長、私のクラスの生徒について相談がございまして」

「一年B組でしたかな、何かありましたか?」

「風邪で入学式から欠席している小山内正優という生徒なのですが、先程お母様から電話がありまして……」


 話を聞くと、大人しく非常に内気な少年が恋愛事で深く傷付いてしまったと。

 その恋愛事が本人にとってとても大きく大切な物で、それが破れてしまい声が出せない状態に陥っていると。

 立ち直れるまで休ませて欲しい、ですか……これは判断が難しい問題ですね。


「恋だなんだとくだらない、明日にも復帰できるように厳しく接するべきです」

「学年主任! そんな酷い言い方しないでください!」

「まあまあお二人共、落ち着いてください」


 恋愛事で学業を疎かにしてはいけない、その考えは正しいんですがね。

 繊細な問題でもありますし、そう事を急いてしまうのもよろしくないですな。


「心の問題というのは、人によってはくだらない事でも本人にとっては死んでしまいたくなるほど重大な事であったりします。 原因が恋愛事であるかどうかで判断するのはよろしくないと、私は思いますよ」

「……失礼致しました」

「今回の件は【心のケアが必要な状態にある】という点のみで対応しましょう。 授業の遅れが懸念されますので、ノートを取ってくれる生徒を募ってください。 配布されるプリントもあると思いますので、それらを定期的に届けてあげてください」


 本来であれば失恋したから休学します、というのは許されないでしょう。

 そんな事を許してしまってはほかの例外も全て許さないといけなくなりますからね。

 今回はその生徒の性格面を考慮して、許容範囲ギリギリに収めるのが無難でしょう。

 学年主任は納得しないでしょうが、悪戯に傷を広げて退学に追い込んでしまう可能性も十二分にありますから、無理を通してもらうしかありませんね。


「分かりました、相談に乗っていただきありがとうございます」

「初めての担任ですからね、また何かありましたら遠慮なく私に相談してください」

「ありがとうございます」


 ちゃんと私の意図は伝わりましたかね?

 非常に繊細な生徒のようですし、失敗する前に相談してくれると嬉しいのですがね……。

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