47話

「——あぁそうだ」


 無骨で重厚な扉を押し開ける。

 ぎぃと音を立てつつ泰華は思い出したと振り返った。

 気絶した虎沢の隣で、弁明もなく項垂れる男に微笑みかける。


 まったく、場に似合わぬ雰囲気を纏いながら言った。


「きみの妻子だが、無事だ」

「——は」


 断罪を待つ男が、勢いよく顔を上げた。

 限界まで見開かれた瞳がこぼれ落ちそうになるが、泰華を見つめるのを止めない。瞬きせず、ぽかんと口を開いた。

 言われた意味を理解しきれないように固まる。


「裏切り者には制裁を。それを覆すのは示しがつかない、だからお前はこの街から出ていってもらう。家族と共に」

「……か、ぞく?」

「あぁ」

「な、なん、だって」


 瞳から一粒、涙がこぼれると、堰を切ったように次々と頬に流れた。抜けていた表情に色が戻り始めて、それでもまだ信じ切れないのか首を横に振る。

 震えた声で「どうし、……だめだっておも、……俺は、裏切ったから、月花に殺され」と支離滅裂に募る。


 様子を傍観に徹した誠司は、そうかと頷く。


 彼を躾けるため虎沢は、飴として妻子との面会は許していたらしい。安否を確認させて、彼女を守りたければ下僕になれと鞭を振るう。洗脳のように手懐けていた。


 しかし泰華に全てバレた瞬間、妻子もろとも粛清として殺されると思っていたようだ。

 彼は「ころされないのですか、あの子は、あいつは」と今にも叫び出しそうだ。あり得ないと目が語っている。


 ……泰華は案外、誤解されているらしい。

 確かに残酷で冷酷で裏切り者には凄惨な手段で報復するが。


「ちゃんと保護したさ。虎沢の居場所を掴んだ時点で、彼を捕らえる前にね」

「そ、そんな——だって俺は」

「愚問だな。裏切り者になる前に妻子を誘拐された。ならば、それは俺の部下で『裏切り者ではないお前』の事件だ。助ける義務がある」


 ……仲間ならば。

 月花の部下ならば敬意を払う。

 泰華は存外、義理堅い男なのだ。

 策謀、敵に対する態度、非道な決断。特に彼女以外には、殆ど氷のように解けない表情から少々分かりづらいのだろう。

 

 一応笑いはするのだが、わざと甘さは含めない。

 毒華の、悪人のそれである。

 美しいくせにえげつなく氷華だ。


 おそらく気付かれているだろうが、誠司は泰華の笑顔が苦手である。

 怖いのに、恐ろしいのに惹き込まれる。

 自分の意志すら変質する気がして直視できないのだ。


「は、……な、へ、屁理屈では」

「はは、それでもだ。当主がやるべきことに従った。……しかし、あとの裏切りは許されない。何があろうと人質が取られようと、裏切りだけは絶対駄目だ。それが月花の掟——最優先は己ではなく、月花だ」


 忌々しい。

 ぽつりと呟かれた憎しみは、男には届かなかった。


 隣で聞いた誠司は、込められた呪いに息が詰まりそうになる。華の顔がどろりと泥のように淀んだ気がする。


「裏切ったならば町にいる権利はない。今すぐ家族と出ていけ」

「それ、だけですか」

「この町に、肩まで使った人間が他の場所で、まともに生きていけると思うか? ある意味、死よりも残酷な罰だ」

「……——あ、りがとうございます、ありがと、……っございます……ッ」


 裏切り者はごつんと額を地面に叩きつけて、何度も擦り付ける。


 嗚咽混じりの礼に泰華は、初めて顔を歪ませると嫌そうにため息をついた。

 それから、外で待機していた部下を引き入れる。


 その後ろに。


「おとーさん!」


 子供が泣きじゃくりながら足元を駆けて、滑り込んだ。

 飛びつく少年の見た目から、まだ幼稚園に通う年頃だと推測する。後に続く若い女も涙に滲んだ声で、男の名前を呼ぶ。


 感動の再会を邪魔する気はない。

 泰華も同じ気持ちらしくアイコンタクトで部下に指示してするりと部屋から抜け出した。

 誠司も黙ってついていった。


 防音対策がしっかり施された部屋だ。

 ばたんと閉まった扉の向こうからは物音はない。

 それでも目に浮かぶ心温まる光景に、誠司は口元を緩めた。


「さて、最後の仕上げだ」

「仕上げって?」

「凪之の混乱と暴走、裏切り者を捕らえに行くんだよ」

「あー……え、もしかしてそれって」

「あぁ。虎沢秀樹に刺された親父。その復讐に燃えて組織の仕組みを忘れた馬鹿な奴らを揃えてある。ついでに探しきれてない裏切り者もな」

「も、しかして」

「月音が、そいつらに攫われるようにしといたからな。うちの奴もスパイとして紛らせておいたから場所もわかる」

「……いや、いやいやいや。襲わせて月花の裏切り者と虎沢秀樹を炙り出しただけじゃなくて、狂言でもなくマジで攫わせたのかよっ!」

「そうだが?」


 キョトンとした顔。それがどうしたと問いかけてくる男が、歪んで霞んでよく見えない。


 輪郭がぼやけて、彼という人間が理解できなくなっていく。勝手に誠司の中で形を作っていた彼が崩れていく。


 では、今も彼女は——。


 震える唇から、無意識に言葉がこぼれた。


「お前のそれは、それ、は」


 浮かんだ疑惑は浮き彫りになり頭の中を占領する。

 しかし口にするのを躊躇い、口籠る。


 らしくもなく目の前の男の心に気づかっていた。

 惰性の延長で生きる男が、ようやく見つけた道すじを潰す言葉ではないか。


 誠司が苦悶の表情を浮かべていたら、泰華は全て察したように肩を揺らした。


 喉を鳴らして笑う、涼やかな声音と麗しき美貌は——やはり毒々しく、危うい蜜のように相手を誘惑する。

 触れれば、ただでは済まないと思うのに、手を伸ばしたくなるような。


「愛だ。これは何て言おうと、愛以外ではありえない」

「……」


 見透かされた言葉に、誠司は頭を振った。


 確かに彼は恋に恋している乙女にも、愛に溺れる男にも見えた。反する姿の均衡を保つ、異様な彼に誠司は一抹の不安を抱いていた。


 彼はトラウマを飼っている。


 自分の命は他のものと同等でありたいという、普通の男でありたいという願望を彼は気づかないうちに抱いていた。


 だからこそきっと願望を抱かせた、友と思っていた男に価値が違うと否定されたのが、今もなお苦しめているのだろう。


 それから逃げるために、理想を押し付けるために、最良の相手が現れた。


 ちょうどよく、計られたように。


 愛に似合う言葉を選ぶならば運命のように。泰華自身の命を犠牲にしてでも、己の生存を求める存在が。


 それは愛ではなく——羨望と期待、執着に近い。

 決して愛ではない。



「——いいや、愛だよ」



 泰華は迷わない。


 唄うように語る彼は歩を進める。

 はらりと長い黒髪をなびかせて、夜の街を進む。

 彼の愛する相手の元へ。


「俺は、愛の定義など興味がない。本人がそう思えば愛なんだ。他人など関係ない——愛とはそういうものだろう?」


 独りよがりであり、執着とも理解しているのが余計にたちが悪い。


 悠々と闊歩する泰華の後ろで、誠司はそれ以上は続けなかった。

 納得しているなら、後悔などしないなら、それでいい。

 何も言う必要はない。

 泰華ならば、後悔などしないよう裏から手を回すだろう。


 だから、何も問題ないのだ。

 誠司にとっては彼女に思い入れなどないので、助ける義理も義務もない。


 ただ。

 泰華を止める気もない誠司でも、少女に——僅かながらの同情と、哀憐を捧げた。


 彼女の『生きる』という目的は果たされるだろう。


 泰華の仄暗い願望『彼女を守って死にたい』という破滅と共に。



 夢見ている、いつか彼女を守って死ぬことを。

 それでようやく自分の価値は変化して、あの日を覆せる。

 平凡でその辺にいる男へとなれる。ただの泰華になれる。


 その日をずっと、泰華は待ち続ける。

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