23話
冷静な返しに月音は意を決して、卵焼きと呼ぶにもおこがましい炭を写真に収めた。
まじまじ観察したが、作った本人ですら物体がなんなのかわからない。
そっと添付して素早く謝罪をつけた。
数十秒。死刑宣告を待つ時間とは、こんなにも長く感じるものなのか。冷や汗が頬を伝った。
「これは、卵焼きか?」
「えっ大丈夫ですか」
衝撃。
この炭を見て、なぜ卵焼きと判断できたのか。
あまりの不思議に反射で答えてしまった。失礼にもほどがあるが、送ってしまったのだから仕方ない。まさか月音の目がおかしくて、他人にはしっかりと卵焼きに見える――あり得ない。炭は炭である。
「やっぱりそうなのか。卵を使ったらしいし、きみなら卵焼きを作ると思ったからな」
なんだ、ただの推測か。謎の安堵感を覚えて息をつく。
しかし。『きみなら』とはどういう意味だろうか。
「残しておいてくれ、帰ったら食べる」
首をひねった瞬間、ぽこんと間の抜けた音ともに、おそろしい文面が飛び込んだ。
これを? 本気か?
作った月音が言うことではないが、正気を疑ってしまった。まず口に入れるのすら躊躇う代物、それを。彼は。
「私が処理します。安心してください。これ以上、あなたに迷惑はかけません」
「爆弾処理みたいな言い方だな」
「あなたの命を奪うのは本意ではありません」
「死ぬのか? 食べたら死ぬのか?」
「私の不始末、ならば私がきっちりと責任をとります」
「罪の意識が高すぎるな」
食べられるもので作り上げた炭だ。
三途の川を渡るような状況にはならないだろう。
胃痛程度で済むはず、多分。
だからといって渡すなどあり得ない。
もし、彼が倒れたらと思うと、まだ食べていないのに胃が痛い。彼が傷つくのは見たくないし、彼の仲間からの報復だって恐ろしい。
必死あまりに言っていることがおかしいのは理解しているが、とまらない。
どうにか諦めてくれと縋り付く勢いで頼み込んだ。
そんな懇願もむなしく、彼は「残しておかないと許さない」と残酷に言いつけた。
もう腹をくくるしかないのだと、月音は肩を落とした。
時刻は七時。
いつもより二時間も早い帰宅。いわく手料理が楽しみで強引に終わらせたらしい。部下もこんなゲテモノのためだと知れば卒倒するだろう。
彼はいつも以上に楽しげに手を洗う。
その間に写真が卵焼きだと気がついたのか問いかけた。
「きみにとって、卵焼きは思い出の味だろう?」
だから、作るならばそれだと思っただけだ。
スーツを脱いで、ネクタイをほどく。
カフスボタンを外して、椅子に座る。
着崩した姿ですら絵になる彼は、笑顔のまま手を合わせた。
疑問を、さも当然のように答えたのち躊躇なく箸で炭をつまむ。重くないのか軽々と持ち上げるのに目を見張った。
泰華は無駄なく、美しい所作でそれを食む。
まるで高級レストランで、とろけるような美味を相手するかのようにじっくりと味わっていた。
彼の纏う透き通った空気のおかげで炭が――いや、どうあがいても炭は炭だな。
「うん、おいしい」
「いや……嘘はつかなくてもいいいですよ」
じゃりじゃりと音がする。
塩やら砂糖など入っているが、苦い以外の味はないだろう。お世辞もわかりや過ぎると嫌みになる。
彼が倒れないか、ハラハラと見守っていると彼は苦笑する。困ったような、子供を慈しむような瞳に居心地が悪くなった。
「嘘じゃないさ。きみは俺のために作ってくれたんだろう」
――たまには私が作ろうと思ったんです。いつも任せっきりでしたから。
そう伝えた内容に間違いはない。
善意を押しつける形になってしまった罪悪感に、ぎこちなく頷く。
泰華は、からりと夏の太陽のように眩しく、すがすがしいほどきらめく笑顔をむけた。普段の艶やかさとは違う、裏のない美しさに、一瞬だけ目を奪われた。
「なら、この世界のどんなものよりご馳走だ」
「す、炭でも、そんなこと」
「関係ないさ。俺にとって大事なのは君が作った、という事実だけだ」
「う、でも」
「どうしても気になるなら、今度は一緒にすればいい」
「ご迷惑では」
「俺はきみといられる上に手料理がもらえるんだ。いいことしかない」
ぽん、と頭をなでる手の大きさ、暖かさが伝わる。
するりと黒髪を細い指に絡ませて弄ぶ。ふわりと花の香りが、かすかに鼻腔をくすぐった。
おいしくないからしら。
ふとよみがった声にはっとする。
幻聴だ、強ばって緊張を押し出した声音は昔聞いた。もう二度と月音に語りかけることはない。
あの人が、持ってきた卵焼き。焦げていて、塩辛くて。じゃりじゃりしていて。
それでもおいしい、と無意識にこぼれた言葉。
あの人は本当に幸せそうに、心からの笑顔を浮かべていた。
過去の景色と、今ある彼がいる部屋が色づいていく。
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