【参】武田観柳と共に政府の金庫をブチ壊した男

 †

 その家には広大と言えるほどではないが客人を待つには適当な和室が設けられている。中央の座敷より奥の方には四畳半の茶室、表の方は六畳の床の間、これより先には個室への通路がある。まさに和を感じさせる日本家屋だ。

 庭には花畑や、鯉が住まう池や、雲を貫く大樹、などという物は存在しないけれども、生い茂る草木と古めかしい春日かすが燈籠どうろうが置かれてある。


 この明治めいぢ時代、センサーで自動点灯する照明などというハイカラならぬハイテクなものは当然、存在しない。

 一話にて街中にある多種多様の照明を詳述したが、一般家庭にはガス灯も電灯も普及していない。

 なので玄関に灯篭どうろうを置くことで、夜に客人が来訪・帰宅する際にあかり点火つけて、明るく送り迎えしているのである。


 玄関から厨房まで全てを清潔に極めている。

 この立派な家が新富しんとみ町三丁目にある、潮多うしおた寛三かんぞうの現在の住宅である。


 潮多うしおた寛三かんぞうは元々、幕府の評定所の留め役をつとめていた。

 幕末から明治に維新した際に、斎藤さいとう龍吉たつきち武田たけだ観柳かんりゅう達と共に、早々と闕所蔵けっしょぐらをブチ壊して、決所金けっしょきん数多あまたを分かち取った。罪人等から没収して肥えに肥えた政府の財物を自他共にバラまいたのである。

 その後、潮多うしおたはたちまち裕福な身となり、故郷の静岡に戻った。


 斎藤さいとうの行方は分からない。


 武田たけだは人斬り抜刀斎ばっとうさいに捕まって没落したらしい。


 故郷にいる長女の姉には器量ある婿を迎えさせ、彼女達は遠州掛川えんしゅうかけがわ(現在の静岡しずおか掛川かけがわ市)にて材木ざいもく問屋とんやを営んでいる。

 特に不自由のない生活をしていたが、寛三かんぞうは江戸が恋しくなった。数年前に上京し、手下の玄七げんななと共に、老後の生業なりわいとして金貸しをしている。


「老後って、阿父おとうさま。まだ二十九歳じゃない。ふぅも私もまだまだ頼りにしていますよ」

生死しょうじ不定ふじょう(人間はいつ死ぬか分からない。なんせ今の明治じだいの寿命は50代だ。それにあの頃の仲間はどんどんと消え失せている。ならば私も明日亡くなってもおかしくはない)」


 財を成し、家庭を築いた。

 後ろめたいことを沢山した。表の家業は立派に興した。


 ――『生死しょうじ不定ふじょう


 だからこそ、寛三はに焦っていたのかもしれない。


 †

 座敷には盃などが散乱しており酒宴から賓客が帰り去った跡が残っていた。まさに杯盤狼藉、夢の跡。

 おふきは小間使いの女中と共に座敷にある食器や皿等を片付けていた。今は箒で床を掃いている。

 奥の方から母のおみきが「ふぅや、そこが片付いたらちょいとおいで」と呼びかけてきた。

 「はい、ただ今……」

 おふきは応えながら、かんざしを持って頭を掻き、柳のような眉をひそめた。

(また、あの話のことかヨ……?)

 顔をしかめるも思い正し、足を重たげに向かった。

 茶室に入り、母が掻きならす火鉢の前に座る。

阿母おかあさん、何か御用でございますか?」

「いつもいつも同じ事を言うようだけれど、よくまぁお前の気持ちを聞いてみなくっちゃあ分からないが……。まぁお前は何するつもりだい? 私は心配でしょうがないよ」

 おふきはまたもやその話か、と眉をひそめるも、ただ一言の返答もせずうつむきながら火鉢の端を撫でまわすのみ。

「この事を問うとお前は黙ってばかりいるが、母親である私にやぁお前の考えがさっぱり分からないよ。これは親同士の相談でまとまるもんじゃないし。お前のに落ちない事があるようならあるようにそう言わなくっては先様さきさまにご返答できないではないか。これについて望みでもあるなら、なおの事。打ち明けてくれないと何をどう運んだらいいか分からないしねェ」

 おふきはそのお説教を耐えるように黙って聞いている。

「ふぅ、お前はもう十八歳になったのだから、そういうくらいの分別の付かない事もあるまい。ねえ? ふぅ」

 おふきは絞り出すかのように声を出した。

「だってわたしには……」

「え? 『わたしには』、どうしたの?」

わたしは今、ご返答出来ませんヨ」

「何故? それじゃあ明日になったら出来るのかい?」

 言い淀んでいたが、ハッキリと答えることにした。

「はい、明日とは言わずに今晩はご返答致します」

 だがその言葉におみきはガッカリした。

「何? 今晩……それが私には了解わかりません。今晩と言うからはあの今朝雄けさおの事を想っているのだろう?」

 呆れたような口調で「あの食言家ウソツキが当てになるものですか」と吐き捨てる。

「よく考えてごらん。水口みなくちさんはあの通り仕事も家もチャンとしているし、若いし、何処をとっても非の打ちどころが無いじゃあないか。それに阿父おとうさまもこうおっつしゃってなさる」


安分あんぶん守己しゅき懇意こんいづくだからか迂闊うっかりと野口の老婆と約束したが、良い塩梅にあちらから不義理をしてくれて助かったよ。こちらから断る理由が出来たというもんだ。それに水口みなくちの所なら自身の財産と名誉に誓ってそんな事はしないから安心だ)』


「と、大喜びでいらっしゃるのに……。まだお前があんな食言家ウソツキの事を想って我儘わがままを言っていては。お前さん、親を不幸にするというものだよそういうことは。よく考えて御覧ごらんなさい」

 その聞き捨てならない言葉に、おふきは顔を真っ赤に染めて母の方を睨みつけた。


阿母おかあさん。阿父様おとうさまは本当にそんなことを仰ったんですか? きっとですね? 嘘にもしろ親の口からそんな言葉が出るなんて、ちょっと道理に外れてはいませんか!?」


 突然の憤慨ふんがいにおみきは言葉を失った。

「だってそうじゃありませんか。大晦日の晩に阿母おかあさんは何と仰いました?」


 ――


「そう仰ったじゃあありませんか! それからあの方がこちらに何時いつ嘘を吐きました? 何時いつ義理をきました? 大晦日の晩にも利息だけでも持って来ましたし、元日の日にも成らぬ内からああして御年玉おとしだまを持って立派に御年始ごねんしに来られましたじゃあありませんか! それで今晩にも御約束の物を持って来て頂き、十五日に残りのお金を持ってお出でなされば、何も嘘も吐かず義理もかないというものでしょう! それでもあの方を……いいえ、それではまるで阿母おかあさんが嘘を吐いて義理をお缺きなさるのじゃァありませんか! エェ!? 阿母おかあさん!」


 に刃向かえる名刀は無し。

 証拠しょうこを打ち破れる鉄槌は無し。

 道理を通し言質を取った反論はなしを受けて、流石のおみきも言い返せなかった。


 愛娘の怒気が込められた眼差しにタジタジとなり、火鉢の墨も今や燃え尽きてしまった。

「そりゃあァ……まあそうだけれど……。だって水口みなくちさんも古くから御懇意ごこんいにしている人だし……まあどちらも懇意こんい懇意こんいだけれども……同じなら青澄はるずみさんの方が本当に安心が出来て良かろうと思うからねェ……」

 そんな母親おみきの曖昧な弁明を聞き、おふきはいよいよ決心を固めた。

 あいらしき薔薇色の口が僅かに笑みを浮かべて。

「不幸だと仰いますが、わたしは親の不義理を世間へ晒すのはイヤでございますから、今夜もしお出でになったらもう野口さんとは申しませんよ。以前のように彼を『阿兄様おにィさま』とお呼びします。ぅございますか? へーぅございますね!?」

 いつも反抗しなかった娘がことを振りかざし断然と言い放つ、それを返す言葉をおみきは持たない。

「ダメ」と言うのは容易たやすいけれども納得させられる答えは無い。「いいよ」と言うには夫と自身の意に満たない。

 密かにおふきの方を見ると『返答は如何に!』と鬼気迫った表情で待っている。どうしたらいいものか、考えたが結論は出ない。

 おみきは、ふと暮れかかった日の光を仰ぎ見て「……もう夜になるよ。早く晩御飯の支度したくをなさい」と僅かに用を命じただけであった。



 今に答えが出なくとも、明日の夜には決着が付く。

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