本尊欠けたか兄■し

目々

哭いて血を吐く、そのまま笑う

 靴ひもを上手く蝶結びにできたり、シャツをきちんと畳めたり、自分の部屋の床を物で埋めずに快適に保ったり。そういう生活、みたいなことが本当に下手なんですよ、俺。

 見えます? 今日も右足縦結びなんですよね、ほら。慌てて結んだとかじゃなくて、余裕持ってちゃんとやってこう。ね?


 で、まあ。そうやって駄目でも、兄さんが全部なんとかしてくれたんです。

 小さいときは靴紐も結んでくれたし、シャツだって休みの日に俺の分まで畳んでくれるし、部屋の片づけだって母さんに叱られる前に手伝いにきてくれる。

 兄さん、そうやって助けてくれるたびにいつも言ってたんです。こんなことができたってちっともすごくない、俺は好きで手伝ってるだけだし、お前は気にしなくていいんだ──そう言って、俺の分までやってくれたんです。

 いや、今は流石に自力でやってますけど。でも上達はしてません。日によってはすぐほどけますしね。

 でも、俺ずっと嫌でした。

 そんなことができないから、すごくない普通のことができないから、嫌なんですよね。自分のことも、それを実感させる毎日も、助けてくれる兄さんも、全部。


 あ、その──大丈夫です。ちゃんと先輩が聞きたいことに答えてます。

 済みません、先輩だって今年は受験とかで忙しいのに、こんなことで時間使わせちゃって。帰り際にマックに連れてこられたの、びっくりしてますけど……嫌とかそういうんじゃないです。いきなり放課後付き合えとか言われたらほら、やらかしたとしか思えないじゃないですか俺が。そういうんじゃないんですね。今更ですけど、安心しました。限定のやつも食えましたし。気になってはいたんですけど、自分だけだとどうしても、早く帰んないとって気になっちゃって来られなかったんですよ。

 俺がその、部活に最近顔出してないとかそういうのは、普通に家のほうがちょっと立て込んでてってことなんで。はい、部誌の原稿はちゃんと出すんで、もうちょっと落ち着くまでは待ってもらえると嬉しいです。一応文学部入ったからにはそういうノルマはこなしますよ。退部とか休学とかはしませんよ。内申にも響くし。先輩にも申し訳ないですし。


 で、ええと──そうです、家のほうが立て込んでる理由をですね、話してます。俺の兄さんが出来がよくって俺が駄目っていうので、大枠は説明できちゃうんですけど。もうちょっと話したほうがいいですよね、きっと。


 その、俺が駄目だっていうのは大前提で。兄さんがすごいって話の続きなんですけど。

 義務教育なんて言うまでもないんですけど、高校でもちゃんと優等生してたんですよ。

 地方の学校ったってその地元の人間ならみんな知ってるような進学校で、真面目に授業出て課題やってるだけで学年十位内に入るんですよね、あの人。部活もずーっとレギュラーだったし。小学生から習ってる習字だって何かの賞? 取って授賞式とか出てました。すごいんですよ。やったことをやったなりに、やった以上にできちゃうっていうか。

 もちろんちゃんと国立の大学行って、一番金かかんない実家から通学してそのくせ学費の足しにって近所の居酒屋でバイトしてて、それなのに単位もきっちり取って、なのにサークルやなんやで顔も広くて人付き合いも上手いからしょっちゅう飲み会や遊びに誘われてて──ほら、この財布だって兄さんからのプレゼントなんです。サークルの先輩と一緒に、夏休み使って県外で温泉旅行してきたときに買ってきてくれて。何だっけな、そんときはその直前、俺が中学の期末で、総合が350超えたお祝いだったかな。俺としてはめちゃくちゃ頑張ったんですよ。徹夜とかやって……そういう人の努力? なんかも見逃さないでいい感じに祝えるっての、兄どころか人として理想的ですよね。


 でも、そんなことできて当たり前なんですよ。あの人からすれば。


 普通にやれば普通にできることだし、できなくっても別段問題ない。兄さんの基準じゃあ、できたところで価値にもならないんです。二本の足でまっすぐ歩けることを自慢する馬鹿はいないでしょ? だから別にできない他人や、俺のことを見下す気なんかちっともなくって──そうなんです。なんとも思ってないんです。

 靴ひもが上手く結べるのと一緒。勉強ができたって字が上手くたって、そんなことできたって何の自慢にもならないし、大したことでもないし、誰だってやればできることだと思っている。自分はたまたま運が良かっただけだって思ってるんですよ、もしかしたら。


 でも俺にはその大したことでもない普通のことが何一つ兄さんみたいにできないんですよねずっと。


 分かってます。先輩がそういう顔すんの、間違ってないです。愚痴ですよね。俺何聞かされてんの、っていう感想で合ってます。自信持ってください。でもこれ必要なんで、もうちょっと我慢してください。

 俺だって、無茶苦茶言ってるってのは理解してます。兄さんだって困るのは分かってるんです。だってこれ言いがかりじゃないですか。妬み嫉み僻み恨み、そういう類のやつですよ。正当な理由がひとつもない。逆恨みの一言で済む。その通りです。分かってます。俺だってそこまで馬鹿じゃないですから。

 でも、駄目なんです。駄目だったんです。あの人が持ってる勲章みたいな何もかもを、俺はどう頑張っても手に入れられない。それが俺はどうしても、っていうか先輩だってそういうこと経験あるんじゃないですか──済みません。めちゃくちゃ失礼なこと、言いました。


 すみません。話、続けます。大丈夫です、あとちょっとで終わりますから。


 で、十二月の末に。兄さん、サークルの忘年会に行ったんですよ。

 さっき言いましたけど、友達、多いんですよね。いいのも悪いのも……悪い友達、なんていったら兄さんすごく怒るんですけどね。人のことをよく知りもしないでそういうことを言うのは失礼だろって。いい人なんですよ。そういうところがまた、ね。


 そんで忘年会なんで、九時回るまで飲んで。解散するか二次会行くか一人暮らしのやつのところで家飲みするか、みたいな状況になったときに、兄さん目つけられて誘われたんです。

 悪い友達と先輩たちに連れられて、兄の家に行ったんです。がいるって知ってたから、そいつら。話してたらしいんですよね兄さん。自慢の弟、みたいな感じで。とんでもない話ですよね。


 知ってます? 兄の家。あるんですよね市内に。普通に町中で、周りだってちょっと柄が悪いかな? って感じの住宅街に建ってるんですよ。行ったやつが駄目になるとか気が狂うとか、そういう普通の心霊スポットです。噂とか聞いたこと……あるんですね、やっぱり。だって先輩そういうの好きそうですし。いや、悪口じゃなくて。趣味の方向の話です。

 コンビニに並んでるうさんくさい雑誌に載ってるの、見たことがあります。ほら、二年の平宮。あいつその手の話好きじゃないですか。朝コンビニ寄って昼飯と一緒にそういう雑誌買ってくるんですよ。趣味が悪いですよね。

 載ってた曰く、結構色々あって──取りまとめると、心霊スポットになったの『が』兄のせいって場所なんですよね。

 ロクでもない兄のせいで一家が破滅したとか、兄になりたくてどうかしちゃったやつが行きずりの他人を引きずり込んで弟扱いして殺してたとか、弟がいなくなった兄を復活させるために親殴ったり血で儀式ごっことかしてたらバチが当たってたくさん死んだとか。こうやってまとめると怖くもなんともないですね。俺、怖い話とかうまくないんですよね、雰囲気がないっていうか。

 で、心霊スポットなんで。祟りとかあるって話ではあったんですよ。百発百中ってわけじゃなくて、何ともないやつが大多数だけども、クジに当たるみたいにひどい目に遭うやつが出るっていう感じです。曖昧ですよね。だからこそ否定もできないし、諸手を挙げて信じるわけにもいかないっていうか、そういう微妙なスポット。

 でもまあ、危ないは危ないっていうかリスクい場所なんですよ。身内が行こうとしたら止めた方がいいよね、って感じの。


 俺止めなかったんですよね兄さんが行くっていうのを。


 行く前にね、律義に電話くれたんです。帰りが遅くなるっていうのと、その理由を。理由はね、俺にだけ教えてくれたんです。兄さんもちょっと酔ってたんですよね、俺お前の兄ちゃんだからぴったりの場所だよな、とか言ってたんですよ電話の向こうで。両親には内緒にしてくれって、俺に言って。

 信じてなかったってのもありますけど。本当は──どうなってもいいと思っていたんですよ。バケモノでもなんでも、祟られてひどい目に遭えばいい。不良かなんかとかち合って病院沙汰になってもいい。通報かなんかされて、警察の世話になればいい。

 俺、そんなことを思っていました。


 はい。

 きちんと祟られました。だって、わざわざそういう場所に行ったんだから。


 兄さん、何もできなくなりました。何も、普通のことは、ひとつも。

 靴ひもも結べない、シャツも脱ぎっぱなし、部屋なんか散らかってるかどうかも分からない。そういう人になりました。俺より、俺どころか誰よりも、何もできない人になりました。


 祟り、って言い方、ちょっと正しくないかもしれませんね。だってどれだか分からないから。

 心霊スポットでかち合ったやつにに遭わされたのかもしれないし、連れてった先輩方がだったのかもしれないし、それこそ兄の家のお化けがのかもしれない。

 でも、どれだって別に構わないんですよね。結果が変わりませんから。じゃあ、どうでもいいんですよね俺には。


 分かりますか、先輩。分かってますよねそういう表情してますもん。

 俺、めちゃくちゃ嬉しいんです。こんなに嬉しかったこと、生まれて初めてかもしれません。


 だから先輩、誘ってもらって悪いんですけど、俺もう帰ります。今日、両親遅いんで……兄さんの面倒みられるひと、俺しかいないんですよ。兄さん、俺のこと頼りにするしかないんです。俺なんかのことを。


 じゃあ、先輩。俺の話を聞いてくれて、ありがとうございました。

 それともあれですかね、お礼よりかは謝ったほうが、良かったりしますかね。そういう顔なら。

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