第30話 涼 29歳 秋 ポートレイト

「じゃぁ、しばらく寛いでおいてくれ、この部屋のCDは僕のコレクションだけど、気に入ったものがあれば貸してあげるよ」

 そう言ってジュリアンはいったん部屋から出て言った。

 この部屋の棚には、本ではなくてCDがコレクションされていた。ジュリアンは几帳面な性格らしく、CDはジャンル別にきちんと仕分けされている。涼はCDの棚の前に立ち、まるでCD店のごとく、ありとあらゆるジャンルの音楽があるコレクションを感心しながら眺めていた。


 涼がそのCDを手に取ったのは偶然だったのか、必然だったのか。

 涼がオペラ歌手たちの、天から、あるいは地から響いてくるような声量と、声を空間に広げる歌い方に感銘を受け、いつかオペラの発声を習ってみたいと思っていたからなのだろう。涼は棚の中から、知っているオペラのタイトルのCDを抜き出した。

 手にとってレーベルを見る。その瞬間、涼は思わず息を呑んだ。

 輝く銀の髪の中から鋭いまなざしでこちらを見ているポートレイトは、まぎれもなく、あのロウだ。

 涼の人生、涼の歌声を根本から変えてしまった、長野の山奥に住んでいる、あのロウだ。

 写真のロウは、涼が知っているロウよりはるかに若いが、すでにすべての髪は銀色に変わっており、鋭い双眸のせいで、東洋人というよりは国籍不詳の容姿に見える。


 ロウはオペラ歌手だったのか!


 思いもかけずロウの正体を知って、涼は愕然とした。

 いや、気づかないほうがどうかしているのだ。あの迫力のある容姿、空間を圧する歌声。なぜ一度も、本物の歌手であると気づかなかったのだろう。いや、歌を仕事にしていたかもしれない、と考えたことくらいはあった。

 思い込みだ。有名な歌手なら、知っているはずだと思っていた。有名な俳優であっても、知っているはずだと。だから、歌がうまいだけの人だと思い込んだのだ。いくらでもおかしいと考えることはできたはずなのに。

 最初に出会ったときから、あの歌声には魅せられた。だが、人生を変えてくれる不思議な力のほうに意識がいってしまっていた。人の人生を変えることを使命としながら、田舎に隠遁している仙人のような気がしていた。ジャンルは違えども、自分は同じ舞台俳優なのに、あれだけ同じ空間にいて、気づかないのはどうかしていたとしか思えない。

 ピアニストですか?と聞いたことはあるくせに、歌手ですか?とどうして聞かなかったのか。だが、西洋の舞台で活躍したオペラ歌手のことなど、日本で過ごしていれば知りようもない。


 竪琴ではなく、歌を学べばよかったな・・・。

 涼はそう思った。だが、ロウと過ごしている時間はいつも密度の濃い、気が抜けないハリケーンの中のようだった。歌を教わろうと思い立つことはなかった。


 ジュリアンが戻ってきて涼が手にしているCDを見たが、顔を上げなかったので涼の動揺には気づいていなかった。

「ああ、その歌手、僕の好きな歌手なんだよ。もともと録音嫌いで知られていて、ほとんどCDもない。しかも早くに引退してしまったから、僕は結局、生歌を聴くチャンスもなかったよ。いい声だよ、そのCDを貸してあげるから聴けばいい」

 自分は生歌をすぐそばで聴いた、と思いながら、涼は口に出さなかった。ロウのことは、言ってはいけない気がした。おそらくロウは、自分の来歴を隠して長野に隠遁しているのだろう。

 涼は動揺をさとられないように聞いた。

「なぜ早く引退してしまったんだろう?」

「本当のところはわからないが、政治的な問題も絡んでいると言われている。見ての通り、彼は中国人だからね。オペラ歌手は、人それぞれだが、だいたい七十歳で引退するものだが彼は六十で引退してしまったよ。いまどうしてるんだろうな。死亡記事は見ないから、どこかで静かに暮らしているんじゃないか」


 涼はジュリアンにこれ以上あれこれ聞くのはやめておこう、と思った。名前がわかったんだ、調べればどんな人生をたどった人かわかるだろう。CDの端にWienの文字が見えた。それが音楽の都ウィーンのドイツ語だということは涼も知っている。

 たとえウィーンで活躍した歌手だとしても、普通の日本人が気づかないのは仕方ない。ヨーロッパの舞台で活躍するオペラ歌手のことを知っている日本人などまずいない。世界最高のテノールと称されたパヴァロッティのことすら、知らない人のほうが多い。日本ではオペラは根付いていない。ましてやほとんどCDがなく、ヨーロッパの舞台に立っているだけの歌手なら、知りようがないともいえるだろう。

 伊那が「いつか涼さんにはお話しするわ」と言っていたことを思い出した。だが、伊那とロウから打ち明け話を聞く前に、涼は真実を知ってしまった。いや、涼がアメリカに行くと言ったとき、こうやって知られる日が来ることを二人は予想していたかもしれない。


 いったい、ロウと伊那の間に何があって、長野に暮らすことになったんだろう。


 涼は、ジュリアンの家から帰ると、さっそくCDをもとにロウの来歴を調べてみた。


 CDはほとんどドイツ語で表記されており、読み解くのに苦労はしたが、インターネットも駆使しながら、涼はロウの来歴を調べていった。


 ロウの本名は、潘彪という。潘田彪河はつまり日本名だったのだ。よく考えてみれば、潘田彪河という名前は日本人としてはやや違和感がある。中国名を日本名に直しただけと思えば納得できる名前だ。潘彪の音は日本語ではファーン・ピヨウと表記するのが近そうだが、ローマ字でも表記は揺れていた。中国語の名前は発音しにくい。

 驚いたことに、舞台に立っていた頃から親しい仲間には「ロウ」と呼ばれていたそうだ。ロウというニックネームは昔からだったのだ。潘彪の名前をうまく発音できる人がいなかったのも理由らしい。ロウは「老」の字だが、日本語の老の意味とは違っていて、中国語の老には、親しみのある人、目上の人、というような意味がある。つまり、日本語で言うところの「兄貴」をもう少し上品にした感じ、というところだろうか。中国語では「ロウ」より「ラオ」と発音するのが正しそうだが、似たような音といえばいえる。

 生まれは1945年だ。太平洋戦争の終戦の年だ。歴史でしかなかった太平洋戦争が、急に身近なものとなって迫ってきた。


 しかし、あの日本語の流暢さはどうしたことだろう。イタリアオペラ、フランスオペラ、ドイツオペラと、オペラ歌手は何か国語も操るのが普通だが、どう考えてもロウは日本語をほとんど母語としているとしか思えない。だが、来歴には中国人としか書かれておらず、日本との関係がない。涼は日中関係を調べてみたが、日中関係は戦後からずっと断絶しており、戦争から27年も経過し、ようやく1972年に国交が結ばれた。つまり、ロウが生まれて27歳になるまで、日本と中国は国交断絶していたの だ。それでいて、あの母語のような日本語はどうしたことだろうか。

 涼自身は国籍が外国籍なだけで、日本生まれだ。だから日本語を母語のように操るのは当然だが、ロウの来歴には、日本とのかかわりは出てこない。


 潘彪はジュリアンが話した通り、2003年、59歳でのリサイタルを最後に引退している。それ以降、どの記録を探しても出てこない。それでは、59歳のときに日本に来たということだろうか。


 涼はふと気づいた。オペラ式の発声や歌を習ってみたい、と思い立ったのは、結局ロウの影響ということか。


 涼はさらに潘彪の記録を調べてみた。出身校:パリ音楽院、ピアノ科と記されており、涼はぎょっとした。では、ロウがヴァイオリンやチェロを借りて練習した、という相手は、基本的にパリ音楽院の同級生なのか、それともパリ交響楽団やウィーンフィルハーモニーの弦楽器奏者なのか、世界に通用する一流の音楽家だということだ。涼はヴァイオリンが弾けるといっても、ヴァイオリン奏者になろうと思ったことも、音大に行こうと思ったこともない。とんだ人にヴァイオリンを教えてしまった、と涼は背中から冷たい汗が流れる気がした。ロウは楽しそうに聞いてくれていたが。別に楽しそうな顔を作っていたわけではなく、その状況を楽しんでいたんだろう。そうとでも思わなければ、この気まずさから抜けられそうもない。なんてことだ、と涼は感じた。

 ピアノ科を出て、ピアニストにはならなかったのだから、「ピアニストのなりそこない」と笑っていたロウの言葉は正しい。ピアニストにならずにオペラ歌手になったんだよ、と言わなかっただけだ。


 潘彪はアメリカの舞台にも立っている。英語でもたくさんの情報がでてきた。

 あの髪は三十代半ばにはすでに今の色になってしまったらしい。黒髪がみられるのはほんの若い頃だけだ。スターになる頃には、銀色になってしまったせいで、逆に役のレパートリーが増えている。東洋人らしさがなくなってしまい、大柄な体躯もあいまって、西洋人の役でも違和感がない。銀の髪で、古代の王の扮装をしている写真が出てきたが、大柄で国籍不詳のロウの外見をまるで引き立てるかのように似合っている。

 潘彪、という名前がトラの意味を持つことと、大柄で迫力のある外見、低音で重厚な声が「獅子の咆哮のよう」と称され、「銀の獅子」という愛称がある。


 潘彪が二十代のときに、中国では文化大革命が始まっている。外国との貿易をしていた潘彪の父親は、混乱の中で行方不明になっている。処刑されたと言われている、という記録が出てきた。潘彪はすでにフランスにいたが、父親の行方を探そうとかなり政治的な活動をした。そのため潘彪は中国政府と決裂し、永久に母国に帰れなくなった。母親はそれより前に病気で亡くなっている。


 若い頃の潘彪は、かなり激しやすい性格だったらしい。それもまた「獅子」と呼ばれることになった一因だ。人種差別をする指揮者に殴りかかり、大けがを負わせたことがある。あやうく収監される危機だったが、潘彪の才能を惜しむ有力者たちが間に入り、示談に持ち込んだそうだ。


 来歴の問題、政治的な問題、国籍の問題などを抱え、結婚歴はない。長年、フランス人のパートナーがいたらしいが、その女性も病気で亡くなっている。華々しい舞台での活動にひきかえ、家庭運には恵まれていない。


 ひととおり来歴を調べた後で、涼はようやくCDを聴いてみた。すぐそばで聴いたロウの歌声、だが若い頃はもっと正確にオペラそのものの歌い方をしている。オペラ歌手なのだから、当然といえば当然だ。おそらく引退した後、オペラの正式な歌い方から、より自由な歌い方に変わったのだろう。


 エリクサがオープンしたのは2005年だ。涼が初めてロウに出会ったのが2008年の秋。となると、ロウが日本にやってきたのは引退した2003年から2005年の間ということになる。それとも、日本に来るために引退したのだろうか。

 伊那は大学生のときにパリでロウに出会ったと言っていた。逆算して、2000年前後に二十歳前後の伊那と、五十代のロウが出会ったことになる。ロウのフランス人のパートナーが亡くなったのは1996年のようだ。となると、伊那に出会ったとき、すでにロウは独身に戻っていたことになる。


 涼は、伊那とロウに自分が知ったことを報告するべきかどうか迷っていた。いままで二人が隠していたことを知ってしまったという事実を、どうやって知らせればいいのだろう。そもそも、涼はあまり手紙やメールというものが得意ではない。文章で自分が感じたことを上手に表現する自信がなかった。電話をかけるという方法もあるが、どちらにしても、どう表現すればいいのか迷っていた。

 涼は、次に二人と会うときか、二人と話さなければならないときにしよう、と決めた。そう決めると少し心が楽になった。きっとロウは、こんな風に僕がロウの正体を知ってしまうことを予想している。きっと驚くことはないだろう。


 おそらく知っている人は知っていたんだ。そうか、エリクサに来ていた政財界の男性たちは、ロウの友人たちや支援者だったのかもしれない。もと高名なオペラ歌手だということを隠すために、一般の客に対しては伊那の霊感のほうを表に出して、隠遁者のように後ろに隠れていたんだろう。


 あの長野の簡素な家が、あまりにも高名なオペラ歌手という過去とそぐわなかった、ということもある。あの住居から、元世界的な歌手だと気づくのは難しいかもしれない。

 ロウはきっと、「オペラ歌手」という人生の配役から下りたのだ。そして「田舎に隠遁する仙人のような老人」という配役を演じたのだ。唯一、ロウの昔の姿を思い出させるものは、民家にふさわしくないグランドピアノだけかもしれない。


 涼はいろいろなことが腑に落ちてきた。今まで島国である日本で生きてきた自分が、突然「世界一流の歌」に出会ったら、衝撃を受け、影響を受けるのは当たり前だ。霊的には違う意味があるかもしれないが、現実的にも理由はある。そもそも世界的には小柄な部類に属するアジア人では、ロウのような魅力ある低音の声の持ち主は少ない。自分は小柄ではないが、それでもテノールだ。それに運として考えてみても、世界に通用していた人が、他者の成功へ通じる扉を開けるのはたやすいことに思える。結局、ロウとの出会いが涼の人生を変えていったということだ。エリクサにどうしても行きたい、と思った自分の直感がスタートだったのだ。

 だが、そもそもロウとは前世を通じて縁があった。スペインで出会った前世しか見てはいないが、他にもあるだろう、とロウも伊那も言っていた。その中のどこかで、伊那も一緒に出会っているのかもしれない。


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