第24話 涼 26歳 春 前世を見て
「涼さん、そんな化け物を見ているような顔をしないで」
伊那が苦笑した。
「そういうわけでは・・・すみません」
「薬を盛ったわけではないわよ。体は平気でしょう?」
涼は思わず深呼吸した。体は軽い。疲労感もない。遊びで煙草や深酒をしたときのような気怠さもない。もっとも涼は、それ以外のタブーとされている薬を試してみたことはないのだが、よく危険薬物に言われるような、いわゆるハイという状態もなさそうだ。いつもの日常の空間、いつもと変わらない体の感覚。
「どう・・・何が起こったんですか」
「涼さんは、何か見えたの?」
伊那は質問で返した。涼は、伊那は同じものを見ていたわけではないのか、と思いながら、いま体験したことを伊那に伝えた。
「そうだったの。やっぱりロウは、涼さんの前世に関っていたのね。いつ、どこで出会ったんだろうとは思っていたのだけど。スペイン人か・・・それは見たことはなかったわ」
「今のは・・・つまり、僕は自分の前世を自分で体験したということですか?」
「そうなるわね」
どうなったんだろう、いま、涼は、自分が「高瀬涼」であるという現実から離れ、違う世界の自分に入り込んでしまっていた。弟の瞳、父の瞳、そしてロウの瞳。
「あれは、いつの時代ですか?」
「フランスにスペインが関わっているとすると、16世紀くらいかな。スペインの黄金期よね。あの頃は、ヨーロッパの中で一番スペインの衣装が美しいと言われていたの。いまでは考えられないけど、スペインがヨーロッパの覇者で、フランス人までスペイン人の真似をしたのよ。スペイン人が美しく粋に見えたのよね、あの斜めの黒い帽子も」
「よくわかりますね」
「前世を見るって、結局は歴史と文化の勉強みたいなものよ。直感で、現在のどのあたりの場所なのか、とても古いのか、最近なのかくらいはわかるのだけど、最終の特定には歴史を知っていないと間違えるわ。ほとんどの人の前世は、政治には関わらない市井の人なのだから、自分の政治的・文化的背景はよくわからずに自分の人生を見ている。私が、起きている事件を見て、これはあの時代のあの事件の前後の話かしら、と判断する感じね。もっともこれは私がその人の記憶から読む読み方で、宇宙図書館で読むのとはまた違うわ」
「宇宙図書館?」
「宇宙図書館って、アカシックレコードのことよ。知っている?」
「聞いたことはあります」
「その人の記憶から読みやすい人と、読みにくい人がいるのよ。読みにくい場合は、宇宙図書館まで行って読んでくるの」
「読みやすい人と、読みにくい人と、何が違うのですか?」
「縁と相性の問題といえるかしら。縁が深い人は、会った瞬間に読めたりするのよ。共通の前世だったりするから。縁が深くても問題を秘めている場合は読めないけれど」
「問題?」
「カルマみたいなものよ。もっとも私もカルマの正体はまだつかめていないから、ちゃんと涼さんに説明することができないわ。正体のつかめない、対処の難しい種類のエネルギーが存在するという感じね」
そう言って、伊那は一瞬、言葉を切った。涼は、ロウと前世で出会ったことはわかったが、伊那さんは見なかったな、と思った。
「今、何が起きていたかを説明するわね。私は、涼さんの過去世の記憶を、自分のエネルギーに流していたの。そのエネルギーは、反時計回りに私の体の中に流れ込んでくる。たとえていうなら、映画のフィルムのようにね。その反時計回りの映像を、私は第三の目をつかって読み解いていく。つまり、私の第三の目が映写機の役割をするの。別空間が私の中で重なる感じ。色があり、空気があり、熱気があり、感情があり、エネルギーがあるわ。私は別世界の出来事を追体験するのだけど、それは私の体験ではないから、私の中を通りすぎていくだけ。まさに映画と同じ。
そんな風にただ静かに、別空間を私の中で流していく途中で、私は静かに右手に意識を向ける。そして、そっと右手の先から、逆回転のエネルギーを、流れに逆らわないように流していくの。どういえばいいのかしら。それは、高速で回る車輪が、ふとした瞬間に逆回りに見えるのと同じようなものよ。高速で回転しながら流れていくエネルギーには、気づかれずに逆方向のエネルギーを流すことができるの。その逆回転のエネルギーが、私が受け取った情報と同じ道を戻っていき、そして、もともとの情報があった場所・・・涼さんのハートの中にたどり着いて、涼さんのハートの扉を叩く。そうすれば、涼さんが、涼さん自身の情報を受け取ることになるのよ。
これはハートといっても心臓のハートではなくて、もう少し上。胸腺のところにあるエネルギーポイントよ。胸腺は子供のときには活発に動いているけれど、大人になると動きを止める。たいていはね。胸腺には、生まれる前の情報がしまわれているのよ。大人になるにつれ、ほとんどの人はその情報を必要とせずに胸腺の動きは止まる。だけどなんらかの刺激があれば、もう一度動くものなのよ。だってそれは、その人の魂が熱望している記憶だから。
でも、どんな風にその記憶を受け取るかは人それぞれだから、涼さんがどう受け取るのかは私には予想がつかなかったわ。涼さんが無事に受け取ることができて、私もほっとしたわ」
話し終わると、伊那はふっと息をついた。
涼は伊那の顔に疲れがよぎっていることに気づいた。このやり方というのは、こちらが想像する以上にエネルギーを消耗するものなのではないか?そう、涼は疑った。
「このやり方はロウと一緒に覚えたの」
「ロウさんと?」
「といっても、ロウは私と同じことができるわけではないのよ。そうではなくて、私が『そうできる』ことを見抜いたというのかしら。そうね。たとえて言えば、ロウの歌の才能を見抜いた先生には、歌う才能はまったくなかった。それでも先生は、ロウに歌の才能があることがわかった。それと同じようなものかしら。ロウは、自分にはできないけれど、私がそうできることがわかったのよ。だから、ロウと一緒に、ロウにはできないことを、ロウにやってみせたの。不思議な話ね」
そう言いながら、伊那は遠くを思い出すような目をした。それからふと表情を和らげて言った。
「ここだけの話だけど、涼さんの世界はロウより楽しかったわ。涼さんのエネルギーは明るいのね。それに柔らかい。ふんわりした綿毛のような、もしくは淡雪のような、透明な花びらのような光がところどころに浮かんでいるのよ。きっと涼さんのファンたちは、あのエネルギーを感じているのね。あの柔らかいエネルギーに触れたいから、みんな涼さんの歌を聴くのだわ。
ロウのエネルギーはとても鋭いの。まるで見えない白刃の中を進んでいくような、殺伐とした空間が延々と続いている。いったいいつになったら目的地に着けるのか、本当にたどり着けるのか、それまで私の心は『保てる』のか・・・。そんな風に感じたわ」
そんな風に話す伊那から、不思議に涼は、伊那のロウへの愛情を感じていた。
涼の空間が明るく柔らかく、ロウの空間が殺伐としているのだとしたら、その暗い空間を延々と進んで行けたのは、ひとえにロウへの信頼があったからではないのか。
「涼さん、お茶を入れてくるわ。ちょっと待っていてね」
そう言いおいて、伊那は隣の厨房に消えていった。
涼は、お茶を飲んだら部屋に帰らなくては、と思った。伊那はやはり疲れているようだ。
戻ってきた伊那が、涼の前と自分の前にお茶を置く。
「カモミールティーにしたわ」
伊那はそう言った。リラックスのためのお茶だという知識は涼にもあった。
「伊那さん、すごく疲れていませんか?」
伊那はふっと笑った。
「そうね。涼さんに嘘をついても仕方ないし。少し疲れたわ。私は、あまり人のエネルギーを動かすのは得意ではないのよ。ただ単に人のエネルギーを受け取るほうが得意。かといってロウがこの方法を人にできるか、というと、ロウはエネルギーが強すぎて無理なのよ。ロウが他人のエネルギーを逆回転にしようとしたら、波動が強すぎてみんな警戒態勢に入っちゃうから、うまくいかないわ」
「僕、お茶を飲んだら部屋に戻ります」
「気を遣ってくれてありがとう」
早めにお茶を飲み、涼は二階の天窓のある部屋に移動した。なつかしい北極星の見える部屋。でも、いまはまだ陽の光が射している。裏山のどこかで、あの一本角の鹿が悠々と歩いている姿が見える気がした。今回は、山の王と山の神に会えるだろうか。
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