第三十二話 提案



     ✢



「あ、はは、あははは」


 シュナは笑いだした。背後にいる≪模倣犯≫も薄ら笑いを浮かべ、静かにシュナを見守っている。業は。業も、ただ見つめていた。「心配」と言いながら、やっていることは果たしてその言葉の行動と言えるだろうか。どうしてそうなったのか、業には見当がつかない。口を開きかけた。


「シュナ」


 ≪模倣犯≫が先手を取った。恋人を抱きしめるように。シュナの背中から優しく両手で抱きしめた。≪模倣犯≫の影が、シュナを日光から隠す。


「君は、今の所は『悪』だ」


 抱きしめる一本の腕が、シュナの細い首を握る。小さく苦しそうに唸り声を上げた。浅く呼吸を繰り返している。完全に絞められてはいないのだろう。真綿のような締め心地を想像する。


「兄のためと言っていた君は、嘘だったのかなぁ? どういうことかな?」

「うそ、じゃ、な……い。まだ、きいて」


 ≪模倣犯≫の手が緩む。足りなくなった酸素を取り戻すように咳き込み、大きく呼吸する。一つ大きく息を吐いて、うっすらと目を開けた。


「私は『伝えた』だけ。『お願い』しただけ。それを正しい情報かそうでないととるか、それはその人次第でしょう? 間違った情報を信じて誤った行動をする馬鹿は『悪』でしょ? 情報に左右される馬鹿がいるから、世間は荒れて、結果被害者が出て、『悪』が生まれるのよ」

「そうだねぇ」

「私の言葉を鵜呑みにして、疑問も、確認もしなかった人たち。そんな人たちがいるから被害者がでる。ねえ、あなたも被害者なんだよ。お兄ちゃん・・・・・


 シュナは潤んだ瞳で、業を見る。業も、耳障りのいい言葉に騙された母親の被害者だと。そう言いたいらしい。


 業は見つめる。こちらを見る目を見つめ続ける。いろんな目を見てきた。嘘を吐く目も、本当のことを言っても裏がある目も。正直すぎる目も。シュナの目は、本気の目だった。泣きそうになりながら必死に問いかける。


「お兄ちゃん、辛かったでしょ? お母さんとの生活は普通じゃなかったでしょ? 施設の暮らしはどうだった? 辛かった? 食事は? お風呂は? 勉強は? 睡眠は? 学校は? お母さんとの暮らしに比べて、どうだった?」


 思案した。聞かれて、比べて、業は「施設の方が幸せな暮らしではあった」という結論に達した。不思議なことではないだろう。劣悪な環境で育った人間が行くことが多い施設。似たような境遇の人間がいて、補助があって。自由は少ないが、母親と一緒に暮らしていた時よりも確実に整っていた。


 そうなったのは、シュナが動いたからだ。理由はどうであれ、シュナが実際に手を下しているわけではなく、ただ『嘘』を言っただけ。それがきっかけで誰かが死んでも

 、それは世間的には少なくない。


 直接じゃなくとも。ネットでも。誰かが他人について吐いた言葉が、巡り巡ってその人を殺す。そんなこと、普通にあるのだ。


「俺は」


 いつの間にか握られていた業の手が、いつの間にかほどけていた。施設の暮らしを思い出し、きっかけを聞いて、同時に思い出すのは、彼女・・のこと。


「楽しかった」


 業の顔から、緊張が抜ける。無表情はそのままだが、雰囲気は日の光で溶けたように柔らかくなっていった。シュナも、どこか業と似た顔で、眉を緩める。


 ≪模倣犯≫だけは納得のいかない顔をして、けれどシュナを抱きしめる腕を解いた。


 シュナの言うことに完全の同意はできない。けれど、≪模倣犯≫の『正義』と『悪』の理論とは合致していた。『悪』を生む根源を断つ。そのための『悪』ならば喜んでなろう。それは≪模倣犯≫が『囚人』という立場であることも表していることに他ならない。


「けど」


 業は拳を握り直した。無表情なはずの顔に滲む狂気が、シュナを見つめる。


「っ~~~~!!!!」


 シュナはおののき、同時に快感を得た。同意を得た。自分は兄を幸せにしたのだと。けれど、兄はここにいる。『復讐者』という立場で。兄は落ちたのだ。幸せだった場所から地獄の底まで。自分の努力で。自分が上げて、落とした。


 動悸がする。ときめく。鼓動が高鳴る。血圧が上がる。手先が痺れる。視界が歪む。


「ああ……それが見たかった……♡」


 恍惚に表情を染め、シュナは呟いた。それを≪模倣犯≫は冷めた目で見つめる。


 ≪模倣犯≫は『悪』を殺し回った故に島流しにあった。結果的にはその方が効率が良かった。『悪』が集まる島は、『悪』を殺すのに効率的だった。一度でも一方的に『悪』を犯した人間を、生かしたままで許すというのが許せなかった。


 けれど一つ問題がある。それは、本土での『悪』が野放しになっていることだ。どうするか、考えた。そして見つけた。その方法のためには技術を持った冷静な人材が必要だった。そして見つけた。そのための『囚人側のルール』の開示だった。


 けれど、今なら。

 そんなことは必要ない。


「ねぇ」


 ≪模倣犯≫が、シュナのことを抱きしめる。強く。強く。

 快感の波に囚われたままのシュナは抵抗なくその抱擁を受け止める。


「シュナのこと、殺しなよ」 

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