第十四話  ≪毒殺≫

 背後の音が小さく響く。結局、業の安全圏内まで戻ってきてしまった。ここまで来たとしても、二人が争ったままここまで来る可能性もある。生きる残ることを考えればチョーカーを使って室内に入るべきだろう。業は、部屋を通り過ぎた。


「業さん……」

「行くぞ」

「誰を狙うんですか?」

「≪毒殺≫」

「どうやって……?」

「お前に動いてもらう」

「……私?」


 業はシュナに耳打ちした。


「……本当に?」

「ああ」

「でも……え、でも、や、それは……最悪、死にますよ?」

「だからどうした」

「え……」

「そんなのは今さらだ。人間はいつでも死ぬ。殺しあわずとも、どこかで誰かが死んでいるし、殺されているんだ」


 そう言い放った業の目には、光が宿っていた。黒く光り、何かを思い出すような、決意したような、決して揺るがない強い光だった。


 作戦を聞いて、さらにそんな様子の業を見て、シュナはおぞましく思った。このゲームに参加している人間だ。遊び半分で申し込むものはいても、参加し、ここまで生きている人間で執念のない者はそうそういないだろう。業という人間は、どうしても人間らしい。驚くし、脅えるし、固まるし、逃げるし、疑うし、信じる。むやみに殺したがらない。殺そうとはしているが、あくまでこのゲームに勝ち抜こうとしているのだ。勝つために、最小限の活動、最小限の非情を持っている。きっと根は優しいのだろう、そう、勝手に思った。助けられた恩が、『復讐者』に優しいというレッテルを張り付けた。



     ✢



 コンコンコン。

 控えめなノックが、無音の通路に響いた。あるものを片手に化学室前に一人、シュナが佇んでいる。扉はオートロックだが、構造は特別なものではない。防音とはいえノックすれば中の人間は気づくだろう。ただし、防音のため声は届かない。届くように大きい声を出せば、ほかの生き残りが寄ってくる可能性がある。シュナは何度かノックする。反応はない。仕方なく、扉の目の前に持っていた物を置いて、離れた場所、しかし動きがわかる場所まで引いた。


 ――数十分後。扉が開いた。シュナは三角座りのまま、扉を見つめる。人の頭がありそうなところにそれがない。引いているのかもしれない。立ち上がり、扉に近づいた。


「くくくくくくるなよおおぉぉぉぉぉおお!!」

「! す、すみません……!」

「おま、おまおまおまえええ!?」

「あ、あの、話を聞いてほしくて……!」

「死ねええええええええっ!!」

「助けてください!!」

「っ!?」


 叫びの応酬の後の、静寂。≪毒殺≫は自身の耳を疑った。まさか。自分が殺そうとした相手が、助けを求めてきた。かつて自身をいじめていた人間たちと、世代はそう変わらないだろうと思っていた相手が。惨めに苦しめてやろうと思っていた相手が。

 戸惑いは口を噤む。その様子を見て、シュナは口を開く。


「さっきの人……私を……わ、わたし、を……っ、脱がせ……て、ぅ……」

「……ぁ」


 涙を流すシュナ。ガスマスクの内側で顔面を白くする≪毒殺≫。自身のトラウマが蘇ったのだ。自分が復讐したいと思っている相手にされたこと。一番嫌だったこと。一番ではなくとも思い出したくない記憶。相手の笑い声が聞こえてくる。幾重にも重なった不快な音。


 あの時の記録媒体はどうなったのだろう。ネットに上がっていないか、怖くて確認した。自分のは見つからなかったが、似たような動画がたくさん出てきた。自分に置き換えてしまった。見つけてないだけで、同じようにアップされているかもしれない。それを見た人が、さらに笑っているかもしれない。怖い。いやだ。怖い。怖い。いやだ。怖い。怖い怖い怖い怖い。いやだこわいこわいいやだこわいやだ。


「お願い!!」

「ひっ!?」


 シュナが抱き着いた。腰の引けている≪毒殺≫を、力強く抱きしめる。


「私、あなたが落とした薬を、あの人にかけたんです!」

「な……」

「そしてらあの人苦しみだして……その隙に逃げてきたんです! でも……あの人に追いかけられたらもう逃げる自信がなくて……今のうちに殺さなきゃと思って……お願いします! あの人を殺してください! でないと……私、またあの人に……っ」


 嗚咽が漏れる。抑えているつもりなのだろうが殺し切れていない声が漏れる。

 ≪毒殺≫にとって、こんな風に人に頼られたのは初めてだ。虐げられてばかりだった。だから、自分の手で復讐しようと思った。自分をいじめた人間も。自分を見えない振りをした人間も。


「……お前も……」


 僕と、同じなのか。ふとして沸いた、同族意識。自分を重ねる。誰にも助けてもらえなかったかつての自分。今の自分には、助けられる力がある。

 シュナの両肩を、そっと抱いた。


「どこに、いる?」

「……この階の、真ん中あたり」


 シュナは≪毒殺≫の手を引いて、反対側の階段の方向へ歩き出した。



     ✢



「ぐ……ぁ……」

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