僕は思う

 翌日の事だ。


 僕は放課後になると、冬花に声をかけて誘った。勿論そこは生徒指導室ではない。あんな陰気な場所で話したら、無邪気なタンポポだって悲し気に枯れ果ててしまう様な、そんな暗い結論に達するに決まっている。だから僕は冬花にこう言った。


「先生とみちくさをして帰ろう! 買い食いもしたい! 冬花は塾とかある?」


 突然の僕からの誘いに、冬花は戸惑い驚いてその瞳を見開くと、俯いてモジモジする。


「あ、あの、その……」


 まぁ、昨日の今日だ、照れるのは十分にわかるし、それ以外の感情もその表情から見て取れる。でも、僕は気にしない、いや、してはいけない。


 僕は少し屈んで、彼女と視線を合わせる。


「あのね、とても申し訳ないけど冬花ひとりじゃないからね、ほら、もつ鍋とフェアリーも一緒」


 僕が教室の外で待っている二人を指差すと、彼らが笑顔を浮かべて窓越しに手をブンブン振った。


「だからね、これはいきなりのデートの誘いじゃないから安心して。先生はとても真面目な紳士なんだ。だからもし良かったら、みんなで遊ばない?」


 僕がそうお願いすると、冬花は少しだけ顔を上げ、それからすぐにちょっとだけ微笑んだ。


「お、お願いします」


 彼女は生真面目にそう言うと、頭を下げて、それから嬉しそうに笑った。








 僕は昨日の夜に考えた。


 とても深く考えた。


 いじめの問題と言うのは、世間ではデリケートな事と言う。


 はっきりいって僕は、そんな事を言う駄目な大人達に怒りを覚える。


 激しく目を覚ませと言いたい。


 もういい加減、誰もがその本質をしっかり捉えられないのかと思う。


 いじめとは実に単純な事に過ぎない。


 それは犯罪だ。


 しかも相当悪質な犯罪だ。場合によっては無期懲役でもいい。


 子供のする事だからと、物事の根幹に目をつぶるから、あらゆる対応が歪み、多くの悲劇を生んでしまうのだ。


 大人の社会で考えればいい。


 数年間に渡り誰かに暴行を加える人物を、それによって被害者に自殺までさせてしまう人物を、周囲はまぁまぁと放置するだろうか?


 幼少期にそう言う傾向のある人物を曖昧に放置する事により、社会においても同様の歪みを作っている事に、何故気が付かないのだろうか?


 そして許される理由が「子供」から変わり、「権力」であったり、「社会的地位」であったり、「押しの強さ」であったり、時には「恐怖」であったりする。


 政治家からパートのおばちゃんまでの幅広い職場において、そういう人物が野放しにされ、真面目に働く人を苦しめ、社会を混乱させている。


 僕はとても異常な光景だと思う。


「いじめ」と言う、なんだか許してあげられそうな、子供の悪戯の様な、そんな弱い意味合いを含んだ言葉で、巧妙に誤魔化されてはいけない。


 これは明確に、凶悪で醜悪で最低で、尚且つ悪質で獰猛で救いのない、絶対に断罪すべき犯罪行為であり、キチンと社会的な責任を追及すべき事だ。愚昧な少年法の例外として、制定しておかねばならない案件だと思う。


 駄目な大人達がデリケートという言葉で、自らの認識の曖昧さ、その根幹を把握せずに目をつぶり、愚かにも誤魔化し続けるから、子供達の悲劇は起こり続けるのだ。


 いじめは、人を死に追いやる極めて危険な犯罪だ。


 もう一度書く、大人で考えて欲しい。同じ会社のオフィイスで、毎日誰かが殴られ蹴られ、さらに自慰行為を強要され、裸にされ、動画撮影され、水をかけられ、金を取られ、世間に晒され、その人としての尊厳を徹底的に踏みにじられ、気持ち悪い声で笑われる姿が、延々と繰り返されていたとする。


 見て見ぬふりをして、楽しいかい?


 まだ精神的に成熟してない同僚だからと、気楽に許すのかい?


 それが怒りに我を忘れた一時の精神錯乱でなく、


 純然たる「恒例」行事として、数年間続けられていて、


 計画的に快楽を求める行為であっても、曖昧に許すのかい?


 もしそうなら、あなたは駄目な大人だ。






 僕の様な教員の世界には、「いじめ防止対策推進法」という法律があって、簡単に言えばみんなで話し合わないといけない。僕達教員だけでなく、第三者を立てて調査する。


 ここでまず「あれっ?」って疑問に思う人もいるだろう。


 教員は当事者ではないから、第三者じゃないの? って。


 でも今時は子供から「いじめで相談が……」、と言われても「今日はデートだからまたね」と断る教師がいるらしいから仕方のない事だし、学校ぐるみで誤魔化す、いや教育委員会絡みかな。なぜなら問題があるという事が出世の妨げになるから。


 それで、僕がおかしいなぁ、と思うのは「いじめ防止対策推進法」と言う名の割に、いじめが発生した場合の対応マニュアルが充実していて、事前に防ごうという意志が薄いという事。これは防止とは違うのかなと僕は思う。


 だから受け取り方を間違ってはいけない。


 「いじめ防止対策推進法」というのは、いじめと言う問題を学校から失くす事が主な目的であり、さらに世間からのバッシングを受けた場合、その責任をちらすのも目的じゃないかな、と僕は思う。


 つまり、いじめの救済は結果論であり、根幹はいじめ問題を世間体が悪くない様に処理する、そういうベクトルの法律だと理解している。別にそれはそれで人が動くのならば悪い事ではないし、学校を信用していないスタンスは評価出来る。でもベクトルが絶対に違うと僕は思う。


 いじめ防止対策推進法とはそういうもの。








 後、よくユーチューブとかで、いじめを受ける原因は被害者側にも問題がある、と訴える駄目な大人がいる。


 僕はその見識の浅さに、やっぱり怒りを覚えてしまう。


 そういう人間は戦争で家にミサイルを撃ち込まれたらわかると思う。ミサイルが飛んで来るのは、自分に原因があると考え続ければいいだろう。戦争責任はそういう政治家を選んだ国民にあると言うのと同じ暴論。根幹を誤魔化す、単なるすり替え話法でしかない。こういうのに長けた人って、案外多い。


 いじめの原因は被害者側にもあるという理屈は、駄目な大人が自分の浅い知恵を自己顕示欲と承認欲求で披露して、さも道理を理解していると閲覧を稼ぐだけのモノ。僕から見れば、迷惑行為以外の何物でもない。


 実際にいじめを受けている人を救うフリをして、問題を歪めている。


 へこむ弱い自分とか、言い返すテクニックとか、そんな事はどうでもいい。


 単純に、暗いから、ブスだから、太ってるから、痩せているから、よくそんな容姿を元にした原因。さらにはみんなの輪に入れないから、みんなと違う行動をとるから、いつも一人でいるから、などの行動原則からという発言もある。


 でもね、いじめを行なう側からすれば、実はそんな事は関係ない。彼らはただ何でもいいから理由を探しているだけ。容姿や行動が目に付くのは結果に過ぎない。


 彼らは誰かを攻撃するという快楽を得る時に、批判を受けたくない。だから、みんなが黙ってやり過ごす、そんな相手を探しているに過ぎない。


 周囲が黙ってしまうなら、どんな人間だって標的にされてしまうのが現実。


 美人でも、性格がよくても、頭がよくても、素晴らしい人格者でも、必ずアンチ要素はある。


 それがたまたま標的になっただけ。ここを理解しておかないといけない。


 だから、SNSを見ればわかると思う。


 自殺した人間にさえ文句を言う人間、コンプライアンスがぁ、とか文句を言う人間、俺の方がもっと不幸だと文句を言う人間、そんなどんなアングルからでも、一定数の人間は何が何でも他人を攻撃しようとする。


 いじめは誰にでも起こり得る事だ。


 そのツッコみどころを、意地の悪い人間が「発明」してしまうだけなんだ。


 小学校の時の人気者が、高校ではいじめられて不登校になるなんて普通にある。


 ではいじめを行なうやつらがのさぼるのは、何が原因なのか。


 僕ははっきりと見えている。


 それは被害者にあるのでは断じてない。


 その原因とは、


 周囲で見過ごす情けなくも主体性に欠けた卑怯な人間が多いせいだ、と僕は思う。


 いじめを容認してしまう人間が多い環境があると、いじめは容易に発生してしまうのだ。そこが根幹の原因だ。


 ここが実はいじめを防止する基本的な条件となる。






 僕は子供達を、決して黙って見過ごす人間には教育したくない。


 嫌な奴が駄目な事をした時、声をあげ「それ駄目でしょ!」と言える人間を一人でも多く育てたい。


 別に難しい事ではない。自分の心を正しく使うだけだ。


 僕は人間の善意を信じている。


 駄目なものは駄目。これを言うだけでいい。


 怖い相手なら、全力で逃げながら叫んでもいい。


 一人で言うのが怖いなら集団で言えばいい。


 報復が怖くとも、数が揃えば報復だって間に合わない。


 それでも怖いなら、匿名の張り紙を無数にばらまくのだって構わない。


 SNSで叫び続けるのもありだし、動画を流すのもありだ。


 マスコミに言ってもいいし、警察に訴えてもいい。


 一人より二人、二人より三人、多くの頭と知恵が、様々な方法論を生み出して、卑劣で醜悪な行為を行う人間を許さない事が大事だと思う。


 だから、決して黙ったままでやり過ごさないで。


 お願いだから。







 でも、いじめを犯罪と考え、その原因を周囲の環境だと定め、いくら防止を考えても、実際にいじめを受けた人間の心の傷に向かい合うものではない。


 少年法に守られて、いじめを行なった人間は図太く生きてゆく。


 数年にも及び、一人の人間をいたぶり続ける子供達に、もはや救済とは明確な罰を与える以外残っていない。スクールカウンセラーや、甘い判断の周囲が、未成熟や家庭環境だからと、いとも容易く情状酌量を見出してしまう。まるで殺人犯を刑期数年で釈放してしまう理不尽さと、何一つ変わらない。


 法とは解釈次第でいくらでも判決を誘導出来るのだ。


 司法の矛盾性とは、そういう危険性を帯びている。


 裁判官の思考パターンを熟知したインテリジェンスさえ持っていれば、どう組み立てれば、その判決を誘導出来るのか、容易く推論出来る。それは正義を行なう裁判でなく、チェスみたいなものに成り下がる。


 現在のいじめ対策とは、加害者側が受けるべき罰を与えられない、そういうモノでしかない。


 子供であろうと罰はキチンと与える。僕は教育者としてそう考えるが、現在の仕組みでは、どう抗っても無理だ。


 だから、いじめを行なう子供達を救う術がない。罰を与えるというこの厳しさを理解せず、妙な平等と言う実は不条理で処理しようとするから、歪にその子達は歪み続ける。その後、社会に出ても同じ事を繰り返すのは明白だ。


 ただし、社会には既に図太く生きている姑息な人間がうようよいるから、少々の意地の悪い人間は、彼らの悪意に潰され軽く淘汰されしまうけど。


 現在の状況、いじめを行なった子供達を明確に罰する事が出来ないのは歯がゆい現実だ。


 何かをしようと、結局は上手に逃げ切られ、被害者の心の傷を大きくしてしまうだけ。


 会社だと落ち度さえ立証できれば、簡単に不穏分子をクビに出来るし、高校なら退学させられる。でも義務教育ではそれが出来ない。結局多くの親御さんが選択するのは、環境を変える事に希望を見出し、引っ越しを行ない転校させるのが唯一の方法でしかない。


 本当に最低な世界だと、僕は思っている。


 何をしても、加害者は図太く開き直り、傷ついた被害者が救われる事はない。







 僕は彼女の、美咲冬花の心の傷をこれ以上大きくしたくない。


 復讐なんて馬鹿な事をしても、結局は傷は消えない。


 僕は聖人君子じゃないからわかっている。


 一度受けた傷は消えない、失くせない、生涯残る。


 記憶と言うものがある限り、決してそれは拭えない悲しい傷跡なんだ。


 それでも、僕は教師だ。


 苦しむ子を目の前にする教師だ。


 だから、僕は考えた。


 僕に出来る事はほんの僅かな事だ。


 それは、


「自殺さえも考えてしまいそうな女の子の苦しみを、せめて失恋程度の苦しみに落とせないだろうか?」


 そう考えた。


 僕は決して彼女の傷を消す事は出来ないけど、少しでも和らげてあげる事を目指そうと思う。


 だから、僕の考えた選択は美咲冬花という女の子を溺愛してあげる事だ。


 えこひいきと言われても構わない。


 僕に出来る愛情を、考え得る様々な好意を、


 彼女にひたすら徹底的に注いであげる。


 僕はそうしてあげる事しか、思い浮かばない。














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