朝は猫、枕元にはチョコレート。

野生いくみ

第1話

 あと一ヵ月で取り壊しになる『ばあちゃん』の家。昔、世話になったから遊びに行って来たらどうだと父に言われた。大学も春休みに入ったことだし、旅行がてら九州へ足を伸ばした。

 懐かしい玄関先に立つと隣の家から「よう来たね」とニコニコ笑って叔父が出てきた。一晩この家で過ごしたいといった俺の願いを聞き届けてくれた。

「世話かけてすみません」

「いやいや、大事に思ってくれとると、嬉しか」

 いまは誰も住んでいないばあちゃんの家を、叔父さんはふり仰いだ。

 叔父さんの家でお茶をもらう。ばあちゃんはいま叔父の家にいる。昔と同じ笑顔で迎えてくれた。深呼吸をすると独特の煙のにおいで目の奥がつんとした。

「大きゅうなったね、誠一くん! ここにおった頃はまだ中学生やったっけ?」

「はい。でも五年かそこらですよ」

「子どもの五年は大きか。背も伸びて、落ち着いて」

 叔父の言葉で黒歴史を思い出して苦笑いをしてしまった。

「鍵は開けたけん、自由に過ごしてよかよ。ごはんの時は呼ぶけんね」

 頭を下げて、久しぶりのばあちゃんの家に入った。懐かしい家の中を一部屋ずつ見て回る。誰もいないと思えないほどあの頃のまま。苦手だった筑前煮が意外と美味しいと発見した台所。ばあちゃんの座椅子が変わらぬ場所に置いてある居間。導かれるように二階へ上がる。叔父が子どもの頃使っていた部屋。一時期俺が住まわせてもらった部屋だ。東向きの窓のそばに置いてあるベッドに乗る。埃もあまりなくて、そのまま横になって目を閉じた。

 中学の頃、母が病気で長く入院した。仕事で海外を飛び回る父は俺の面倒をみれず父方の祖母の家に預けられた。それまで俺は反抗期の真っ只中で、母とは口も利かず、出された食事をそのままゴミ箱に突っ込んだこともあった。朝起こしに来てくれた母に目覚まし時計を投げつけたこともある。どうしてあんなに気持ちが荒ぶっていたのか。

 ショックだった。母は入院するほど悪くなっていたのか。散々当たり散らした俺のせいだと目の前が真っ暗になった。青白い顔で眠っていた母が目の前にちらつき罪悪感でいっぱいになった。そのせいだろうか、転校先の中学に登校できなかった。ふとんにうずくまり、ばあちゃんが用意してくれた目覚まし時計を隠した。学校に行かない俺をばあちゃんがどう思っていたのか知らない。いつからか目覚まし時計は消え、俺の上に三毛猫が乗るようになった。温かいふとんに入りたい時は、上に乗って重みをかければ主は目を覚ます。わざとばあちゃんが部屋に入れていたのだろう。

 毎朝、猫が重くて仕方なく起きた。するといつからか枕元に個包装の小さなチョコレートが一粒置かれるようになった。大容量袋入りのひと口チョコ。ばあちゃんにそのことを聞いたら「ばあちゃんじゃなかよー」と見るからに怪しい仕草で手を振った。

 ふとんに乗ってきて重みで人を呼吸困難に陥れる猫と、枕元に置かれたチョコレート。いつしかそれが日常になった。最初は意味不明だとためらったけど、包みを解いて口に入れるようになった。質より量の子ども向けの甘さが優しかった。

 ばあちゃんはチョコの理由を言わなかったけれど、ある時、最初で最後の海外旅行の話をしてくれた。

 『じいちゃんと二人、ヨーロッパのホテルで驚いたと。ベッドのテーブルに高級そうなチョコレートがそれぞれ一粒ずつ置いてあって』

 観光より何よりそれがいちばん印象に残ったらしい。『土産に持って帰ろうか』『ここで食べろって意味じゃなかと?』『夜に食べるとやろうか、朝に食べるとやろうか?』とじいちゃんと二人で首を傾げ、結局、元気よく観光に行けるようにと朝食べた。その日は、出会った人がみんないい人で、ごはんが美味しくて、景色は最高でお天気までよかった。これはきっとチョコレートのおかげだと後々までじいちゃんと話していたらしい。じいちゃんが亡くなって十五年。それを話すばあちゃんは恋する乙女のようにうれしそうだった。

 毎朝、目が覚めると置かれている一粒チョコ。高級ではないけど、ばあちゃんの話を思い出しながら口に入れた。朝チョコを食べたらいい日になる。胸の中に刷り込まれた暗示が俺を少しずつ外へ向かわせた。学校へ行った。話しかけてきた子と会話した。勉強したらちょっといい点が取れた。そうこうするうちに母が退院し、両親のもとへ戻った。その日の朝、枕元に置いてあったチョコを食べて新幹線に乗った。不思議なほど両親としっくりなじんだ。

 持っていたリュックからあの頃の同じチョコの大容量袋をごそごそと引っぱり出し、一粒を口に入れた。眠ったふりした俺の枕元に、そっとチョコを置いて離れていくばあちゃんの足音が聞こえた気がした。

 もうあの三毛猫はいない。ばあちゃんも天国に逝った。でも、チョコレートのまじないは俺の中に生きている。

 朝、チョコを食べた日は、いい日になる。それは一生変わらない。



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朝は猫、枕元にはチョコレート。 野生いくみ @snowdrop_love

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