第5話 君色ノ音色

 天音くんが時々私に見せる少し意地悪な表情かおだったり、子供みたいに無邪気な笑顔だったり、あの日音楽室で見せた、どこか切なそうな表情かおだったり…。

 最近、私は彼のことを思い浮かべると、胸が苦しくなってしまう。

それが罪悪感からなのか、恋心なのか…それもわからなくて…。そんな風にすっかり天音くんという存在に振り回されているうちに、彼が転入してきてから一か月、二か月と過ぎ、季節は夏休みに突入していた。

 今年の夏休みは、久しぶりに田舎のお婆ちゃんのところで過ごすことになっていた。

 お婆ちゃんの家は周りが田んぼと畑ばかりで、少し歩けば木々が鬱蒼と茂る森や山にたどり着くようなそんな大自然の中にある。

 あまり覚えていないのだけど、私が小さい頃、両親が同時に入院してしまったことがあって、その間お婆ちゃんの家で面倒を見て貰っていたのだという。

 だから、だろうか?今では毎年お盆とお正月に顔を出すくらいの場所なのだけど、何となく愛着があって、この田舎を私は嫌いにはなれなかった。

 朝起きて、お婆ちゃんとお爺ちゃんとご飯を食べて、食器洗いをして、洗濯物を干すのを手伝って、宿題をして、読書をして、お昼を食べて、午後はのんびりお散歩をする。

 そんな風にのんびりのんびり田舎暮らしを満喫していた私は、その日もいつも通り、昼下がりの散歩に出かけていた。

 夏の暑い日差しがじりじりと大地を照り付けていて、どこかでセミが鳴いてる。

 そんな中、田んぼ道をのんびり歩いていると、小学生低学年くらいの子供たちがキャーキャーと楽しそうにはしゃぎながら走っていくのが見えた。

 ちょっと前までは私も、あっちの立場だったはずなのに、今ではなんだか自分がずーっとお姉さんになった気持ちになって、くすぐったいような気持ちになった。


(……そう言えば、前にお婆ちゃんの家に預けられてた時、私も同じくらいの年の遊び友達が居たって聞いたことあったな…)


 いつだっただろうか、私の子供時代の話になった時に、その頃の私は、近所の子供たちとすぐに仲良くなって、お別れする時には大泣きして大変だった…なんてことを話していたのだ。

 顔も名前も思い出せないのだけど、森の中や川辺で小枝を拾って走り回ったり、おままごとをした時の楽しかった記憶が断片的にだが思い出せてきた。


(……そう言えば、森の奥の山の方に古い廃屋があって…皆で肝試しに行って…)


絡まった糸が解けるように、少しずつ思い出してくる。

私の足は、自然と思い出の場所へと向かい始めていた。

 田んぼ道を抜けて、小さな川辺を川沿いに登って、林を抜けて、森の中。

鬱蒼と木々が生い茂った森の中は、昼間だと言うのに薄暗い。

 雰囲気に少し気圧されつつも、私は思い出を辿って森の中を進んでいた。

なんの根拠もなかったけれど、何故かそこへ行けば、"何か"を思い出せそうな気がして…。

 そして私は森の中の廃屋を見つけた。それは小さな教会のような建物だった。

周りは雑草だらけで、壁や屋根にも蔦が伸び放題。

 私はそこに自分の忘れている"何か"が眠っている気がして、ドキドキしながらその教会の扉を押した。


―———ギィィィ。


重たい音と一緒に古い扉が開く。


 中はすっかり荒れ果てていて、まさに廃墟…と言う感じだった。ボロボロの椅子とテーブルがいくつか置かれていて、正面には綺麗なステンドグラスが飾れている。

 ステンドグラスから光が差し込んで、赤や青、黄色や緑、紫に…と様々な色が地面に映し出されている光景は、とても幻想的に見えた。


「…あ」


 そして、私は部屋の奥に、古く小さなパイプオルガンが置かれているのを見つけた。


「………」


 近づいて、鍵盤を指でそっと叩いてみたら、ポーン…と独特の柔らかさのある音が飛び出してきた。

 もう随分と長い間、調律されていないからだろう。きちんと整備してあるものと比べたら、なんだかちょっとおかしな音がしてしまっている。

 それでも、こんな廃墟に放置されているオルガンがまだ音が鳴る状態であることが… なんだかこの子が「生きてる」みたいに感じて少しだけ感動しちゃった。


(……あ、そっか…。そうだ… あの時も…)


 暗い廃屋の中に差し込む、ステンドグラスの色とりどりの光。

 壊れかけのはずなのに、何処か優しいパイプオルガンの音色。


 あの時、仲良くなった友達みんなで廃屋に肝試しにきたのに、変な物音がしたってみんなが逃げ帰ってしまって、のろまな私は一人、置いて行かれてしまった。

 私は一人ぼっちになってしまって、不安で、心細くなってしまって、泣いてしまったんだ。


「一人にしちゃってごめんね」

 そうだ。あの時一人だけ、戻って来てくれた子がいたんだ。

「…泣かないで。怖くないよ。大丈夫」

 その子は、泣いている私の髪を優しく撫でてくれて、パイプオルガンを私に弾いてくれた。


「……わぁ!」


 私は、その男の子が指を動かす度、オルガンからあふれ出すその音色に、旋律に、すっかり心を奪われてしまった。自分が泣いていたこともすっかり忘れて、男の子の演奏に聞き入っていた。

 男の子は、泣き止んだ私を見て、はにかんだ顔で微笑んだ。

 その男の子の顔を、私は知ってる――――――――――。


 私は居ても経っても居られなくなって、教会を飛び出すと慌ててお婆ちゃんの家に戻り、自分の家に戻りたいことを伝えた。

 お婆ちゃんは酷く驚いていたけれど、すぐに会いに行かなきゃいけない人がいるって私が伝えると、あらあら…って少し楽しそうに納得してくれた。

 そこからはもう、本当にジェットコースターみたいだった。お爺ちゃんの車で駅まで送って貰って、電車に乗り込んで…。その電車の中で天音くんに教えて貰ったアドレスへメッセージを送った。


『天音くんが、教えてくれた音。思い出したよ』


 なんて送ったらいいのか、迷って、迷って。

何度も何度もメッセージを入力しては消して、消しては入力して。

それでも、とにかく早くちゃんと伝えたかった。

 だって、彼は自分が思い出せずに忘れていた間も、ずっと―———ずっと自分を待っていてくれたんだから…!


私がメッセージを送って間もなく、

すぐに着信音と共に返信のメッセージは届いた。

天音くんだ…!


『今どこ?会いたい』


私の胸が大きく高鳴る。

同じ気持ちでいてくれたことが、どうしようもなく嬉しい。


 私が駅に到着する時間を伝えると、天音くんは駅まで迎えに来てくれた。

その頃にはもう夕方で、私たちは夕暮れでオレンジ色に染まり始めた街の中をゆっくりと歩きながら話をした。

 私は、あの音楽室でのことを思い出していた。


「お婆ちゃんが住んでる田舎に行ってたんだ。そこで、森の中に教会があるのを思い出して」

「うん」

「そこにあるパイプオルガンを見て、昔そこに行って泣いちゃったこととか、その時慰めてくれた男の子のこと、思い出して…」

「…うん」

 話しているうちにどんどん涙が込み上げてきてしまって、全然上手に話が出来ない。けど、天音くんは優しく相槌を打って私の言葉の続きを待ってくれていた。

「あの時、私にオルガンを弾いてくれたのは天音くんだったんだね」

「花音、全然覚えてないんだもんな。結構ショックだったよ」

「う…。ご、ごめんね…」

「うそ。いいよ、思い出してくれたからさ」

 くしゃっとまた子供の頃みたいな顔で優しく笑う天音くんの顔を見たら、私は何だか急に安心してしまって、とうとう涙がこぼれてしまった。

「な、泣かないでよ!?本当に怒ってないから…!」

「…ち、違うの…… なんだか、ほっとしちゃって…」

 天音くんも、私のその言葉にほっとしたように肩を撫でおろした。


「あの時、花音が俺の演奏を凄く喜んでくれたことがさ、俺がずーっとピアノを続けてこれた原動力になってたんだよな」

「…え?」

「自分の演奏で泣いてる女の子が元気になってくれて、…それに覚えてないかな。自分も弾きたいって、俺にせがんできたんだ」

 懐かしそうに、嬉しそうに目を細める。

「えっ、えっ。そうだっけ???」

まだ完全に思い出せていない部分に、私は焦ってしまう。私、そんなことを!?

「そうだよ。私も弾く!って、教えて教えてって…暗くなるまで一緒にあのオルガンに触ってさ。その後——……」

「…………」

段々と思い出してくる。そう、あの時は―……

「私のお爺ちゃんが探しに来て、二人ですごーーーーく怒られた!!!」

天音くんと思わず顔を見合わせて、同時に噴き出して大笑いした。

 そして、ひとしきり笑った後、天音くんはまた話を再開する。

「俺にとって、あの時花音が喜んでくれたことが宝物みたいになっててさ。…だから、ピアノで辛いことがあっても、苦しいことがあっても頑張れた」

「…天音くん…」

「いつかまた花音と再会できた時に、花音に俺の演奏を聞かせて、また喜んで欲しいってそうずっと思ってたんだ」

「…あ」

「…だから、忘れられたことは悲しかったけど、懐かしいとか自分も弾きたくなるって言ってくれて凄い嬉しかった」

「…ふふふ。えへへ…」

「なんだよ、ニヤニヤして」

「天音くんこそ!」


 すれ違う買い物帰り風のおばさんに、変な目で見られてしまうくらい、二人ではしゃいでた。楽しくて、嬉しくてどうしようもなくて、人目なんて気にならないくらいに。


「………あのさ」

「う、うん?」

 私の家が近づいてきた頃、天音くんは急に立ち止まって真剣な表情かおをした。

 つられて私も表情を引き締める。

「……俺は、あの時からずっと花音のことが大好きだよ。泣いたり笑ったり凄く素直なところも、凄く楽しそうに、自由なピアノを弾くとこも」


 好きの言葉に胸が高鳴る。


「だからさ、思い出すまでは―…なんて言ったけど、もう、思い出してはくれたけど…。これからもずっと一緒にいたい。俺の音をずっと隣で聞いていて欲しい」


「…ダメかな?」

 真剣なその顔が、少しだけ不安の混ざる色に変わる。

「ダメな訳ない!!!」

 彼にそんな不安な顔をさせたくなくて、私は思わず食い気味に声をあげてしまった。

 そして、天音くんも何かを言おうとしたけど、私はそれを言わせない。

 今度は私の番。

「私も、天音くんが…天音くんの作り出す音色が…旋律が大好き!」

 思わず彼に飛び付いてしまいながら、自分の想いを彼に全部伝えたくて、言葉が止まらない。

「私のピアノはへたくそだけど、私が楽しくピアノが弾けたのは、

 全部全部、天音くんが教えてくれたおかげなんだよ」


 そう。ピアノを始めたのは、彼みたいになりたかったからだ。


大事なことを私はたくさん忘れてた。

天音くんのこと。天音くんの演奏と音のこと。

そして、私がピアノを始めた理由も。


だから、だから――――――――


「私、本当はもうピアノ辞めたいって思ってたの。

続ける意味がわからなくなってたから。——でも、今は違う」


「私、へたくそだけど…、これからも天音くんと一緒にピアノを弾きたい!

だから、これからも私と一緒にピアノ、弾いてくれる?」


 天音くんは、抱き着いた私の身体をぎゅっと強く抱きしめて、耳元で囁いた。


「これからもずっとずっと。俺は花音の為に演奏するよ」


とびきりに甘くて優しい音色が、私の中に溶けていった。












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💧キミイロネイロ💧 夜摘 @kokiti-desuyo

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