幸せな負け

クロノヒョウ

第1話



 葬儀には驚くほど大勢の人が参列していた。


 小学生くらいの子どもから老人まで、まさに老若男女。


 小さな町の中の小さな古い平家。


 庭にはたくさんの人。


 亡くなったのは小池さんとこのお婆ちゃん、通称『負けバア』


 なぜそんなあだ名で呼ばれていたかと言うと、負けバアの口ぐせが「負けた負けた」だったからだ。


 学校帰りにみんなで負けバアの家に寄った。


 順番にお線香をあげて手をあわせてきた。


 知っている人たちばかりだった。


 商店街の八百屋さん、お肉屋さん。


 近所のおじさんおばさん、みんな昔からこの町に住んでる人。


 そしてその子どもたち。


「じゃあな長谷川、また明日」


「おう、じゃあな」


 一緒に来た友達と別れ、俺も負けバアの家から出ようとした。


「あら、長谷川くん」


 ちょうど今庭に入って来た人に声をかけられた。


「牧原先生」


 牧原先生はもうすぐ定年退職する俺たちの担任だ。


「長谷川くんも来てたのね」


「はい。みんなは今帰りました」


「そう……ねえ、ちょっと待ってて」


「はい」


 言われた通り、俺は牧原先生がお線香をあげるのを負けバアの家の庭の隅で待っていた。


 先生はすぐに戻ってきた。


「お待たせ」


「いえ。先生も負けバアを?」


「ええ、もうずいぶん前だけどね。負けバアには本当に励まされたわ」


「へえ」


「教師になって、あまりうまくいかなくて落ち込んでた時に初めて負けバアに会ったの。あそこの河原でね」


「ああ、はい」


「私がひとりで河原に座って夕日を眺めてたら声をかけられてね。あの優しい笑顔でしょ? 私、気付いたらいろんな愚痴を負けバアに話してたわ。ふふ」


 先生は思い出すかのように空を見つめていた。


「そしたら負けバアは教師になれるなんてすごいことだ。あたしの負けだ負けだって言い出してね。負けた負けた、あんたの勝ち、あんたが大将って」


「はは」


「最初は何を言ってるのかと思ったけど、そのあと不思議と胸がスッキリしてたのよ。それからは会うたびに最近どうだい? って聞いてくれてね。負けバアは何も言わないのよ。ただ最後にそうか、負けた負けた、しか」


「はい、わかります。俺も似たようなもんなので」


 牧原先生の言うことはよくわかる。


 俺も負けバアに負けた負けたと何度言われたことか。


「ここにいる人たちもみんなそう」


 先生はたくさんの人たちを眺めた。


「みんな負けバアに同じように負けた負けたって言われてきたの。負けバアが言うと不思議な言葉よね。決して嫌味には聞こえない、負けバアに言われるだけで嬉しくなる」


「そうですね」


「もう負けバアにそう言ってもらえなくなるけれど、この町の人たちはずっと負けバアのことを忘れないと思うわ」


「はい」


「だから長谷川くんも頑張ってね」


「はい」


「ごめんなさいね引き留めて。長谷川くんとここで会えたのが嬉しくてつい」


「いえ。それじゃあ先生、さようなら」


「はい、さようなら。気をつけてね」


 俺は先生に頭を下げて負けバアの家を出た。


 帰り道にある、さっきの話にも出た河原に俺は腰を下ろした。


 牧原先生と同じように、まだ俺がグレていた頃にここで負けバアに会った。


「どうしたんだい、ひとりで」


 隣に座ってきた負けバアは無視する俺に笑いながら言った。


「そうかいそうかい。あたしの負けだ。うちにくるといい。あんたが大将だ」


「は?」


「負けた負けた。ほらおいで」


 最初はなんだこのババアはと思ったが、行く所もなかった俺は気付いたら負けバアの後ろを歩いていた。


 親が離婚し父親と二人暮らし。


 その父親も出張やら女遊びやらでほとんど家にいない。


 中学生だった俺はやりたい放題だったが正直疲れていた。


 そんな俺を家にあげてくれておいしいご飯を作ってくれた負けバア。


「たくさん食べろよ。うん、負けた負けた。あんたが大将」


 負けバアにそう言ってもらえるだけでただ嬉しかった。


 高校に入ると同じように負けバアに会ったことがあるやつが何人かいた。


 そいつらとたまに負けバアの家に行ってご飯をご馳走になったりした。


 後で知ったことだが、負けバアは俺たちの親にうちでご飯を食べているとちゃんと連絡も入れていたらしかった。


 さっきの先生の話もだが、どれだけ負けバアはみんなを幸せにしてきたのだろうか。


 どれだけ負けバアは負けてきたのだろうか。


 自分が負けることでみんなが幸せになる。


 負けバアはそう思ってみんなを励ましていたのだろうか。


 いや、本当は負けバアに負けたのは俺たちみんななんだ。


 誰も負けバアの優しさには勝てなかった。


「負けたよ、負けバア。あんたが大将だ」


 負けバアの笑顔を思い出しながら俺は夕日に向かってそうつぶやいた。




           完



 



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