忘却と約定編

第20話 理想像

「おはようシノブくん」

「お、おはよう有瀬さん……?」


 登校してきた有瀬にシノブは挨拶を返すが、いつもと違う有瀬の様子に困惑していた。挨拶自体はいつもと同じだ。ただなんというべきか、距離が近い。距離感の話ではない。物理的な距離だ。いつもより近い位置から声が聞こえる。

 姿が見えないことにはすっかり慣れたシノブだったが近づかれるのには慣れていない。近づいているということはそれだけ接触する可能性がある。


 シノブが動けず固まっていると布ズレの音が聞こえた。


「どうしたの?」

「い、いや。何でもない。有瀬さんこそ、その。なんかいつもと違うね?」

「わかるー? そうなの! 髪型、ちょっといじってみたの!」


 いや、わからないが?


 シノブは精一杯の作り笑いをする。そっかーとかいいねとか社交辞令が自然と口から出るのは天見の教育の賜物だろう……いや、別に教わったわけではないのだが。

 喜んでいるところに水を差すのも悪い。シノブがただの頷き人形になっていると有瀬が話を更に続けた。


「ね。シノブくんはどういう髪型が好きなの?」

「え。どういうって言われても、難しいな。僕は髪型の名前とかあんまりわかんないしさ……」

「長いとか短いとかあるでしょ? やんわりでいいよ」

「いや、うーん」


 シノブは顎に手を当てる。

 普通はどうなのかがわからないものはシノブにとっては答えにくい。個人の好みに一般的もクソもないのだが、好きという言葉の裏には嫌いが存在する。下手な回答をするのが難しい分野だとシノブは考えている。

 だが答えのないものに頭を悩ませるほうが馬鹿らしい。シノブは降参してありのまま答えた。


「どっちかで言えば長い方が好みかな」

「ふ、ふーん。具体的には? どのくらい? ストレート?」

「具体的って……そうだな。ストレートよりもふんわりとした感じで。長さは鎖骨が見えるか見えないくらいで――」


 何だか性癖をバラしている気がしてシノブは途中で口を塞いだ。セクハラになるだろうか。見えないなりに有瀬に目線をやるとどうやら「へ、へー」と呟いている。影から様子を伺ってみるが何もわからない。

 影は光の下にできるものだ。都合よく相手の動きがわかるものではない。対策と呼ぶにはあまりにも心もとない。有瀬が実際、どんな容姿なのかもわからない。ああ、もういっそ姿が見えたら――。


 シノブは名案が浮かび、ばっと立ち上がり声を上げた。


「そうだ!」

「わ。どしたの!?」

「有瀬さん。放課後、美術部に行こう」

「い、いいけど。どうして?」

「会いたい人がいるんだよ。ほら、例のめぐるさんに紹介する人だ」

「ふーん……? それって女?」

「い、いや。男だけど……」

「ん。ならいいよ」


 一瞬、不機嫌になりかけた有瀬にシノブはたじろぐが男だと言った途端にわかりやすく態度が元に戻った。そんな心配しなくともシノブは自分はそんなモテないのだがと頭をかく。


 机には昨日、千早から渡された弁当の空容器を返すために綺麗にして持ってきていた。



 * * * * * *



 放課後になり、有瀬を連れて知れてシノブは美術室に訪れていた。ノックして声をかえるシノブに「どうぞー」と返事がある。中に入ればそこにはたくさんの画材と書きかけの絵があった。


 数名の生徒が絵を描いている中、一人端に佇んでタブレットを開いて液晶用のペンを持っている男がいる。彼の元へとシノブは歩を進めた。


「お久しぶりです。長濱先輩」

「うん? おお、シノブか……ってなんだなんだ! どえれぇ美人つれてんなぁ!」

「あ、あはは。どうもー……」


 長濱の反応に男子たちが釣られて有瀬に視線を向ける。そこへ長濱が「おい何見てんだー」と喝を入れた。いや、集中を切らせたのはアンタだろというツッコミをシノブは呑みこんだ。

 一つ咳をしてシノブは口を開く。


「有瀬さん、こちらが長濱来広ながはま らいこう 先輩」

「は、初めましてー。アタシ、有瀬香苗ありせ かなえです」

「有瀬って、ああ。例の噂の美人転校生! 可愛いなぁ!」

「ありがとうございますー……」


 ガツガツくる男は嫌いなようで有瀬はどこか引き気味だった。その長濱の頭にチョップをかます女生徒が一人。コラ、と言ってその頭を叩いた。


「いでっ!」

「やめなさい! らっくん。女の子引いてるでしょうが!」

「わ、悪い悪い。そんな怒るなよぉ」


 新たな闖入者に困惑する有瀬に彼女はああ、と自己紹介した。


「えっと。有瀬ちゃんだっけ? 私美術部部長の羽田蓮華はねだ れんげです。うちの馬鹿がごめんね」

「い、いえ!」

「羽田先輩。すいません突然お邪魔して」

「うん。どうせこの馬鹿に用事でしょ。暇してるから好きに使って」

「おい蓮華! 暇とは何だ暇とは! 俺はちゃんと仕事をだな!」

「嘘つかないの。どうせ趣味絵をSNSに上げてるだけだってバレてるんだから。だいたい仕事の絵を外でやらないでしょー、らっくんは」

「うぐぅ……」


 二人のやり取りを見た有瀬はシノブに耳打ちした。


「ね、ねぇ。シノブくん? この二人ってもしかして」

「ああ。付き合ってるよ」

「やっぱ! そうだよねー!」


 途端に元気になる有瀬にシノブは苦笑いする。どうして女子ってこう恋バナが好きなのか。他人の恋愛事情なんてシノブにとっては毛ほどの興味もない。だがそれをどうして知っているかと言えば、それが天見へ相談に来た内容だったからなのだが。


 天見の指示でしたくもないキューピットをやらされた身としては苦い思い出だ。

 そんなことを振り返っていると長濱が説教から解放されている。彼はがははと笑うと口を開いた。


「で、どうした? シノブくんよ」

「ああ、はい。ちょっとお願いがありまして」

「お願いだぁ? 悪いけどただ働きは――」

「いやいや。お仕事ですよお仕事。近々依頼があると思うので受けてあげて欲しいんです。長濱先輩のイラストのファンだそうで。顔出して活動してない子なので、個人情報は開示できないんですけど……天見さんの名前が出ると思うんでそれで本人確認してください」

「あ、それってもしかして、め――」


 有瀬がうっかり口を滑らせそうになるのでシノブが慌てて静かにとジェスチャーする。しっかり口をつぐんでくれたので、シノブははぁと肩の力を抜いた。

 話を聞いていた長濱は腕組みを解いて両手を頭の後ろで組んだ。


「ふぅん? 仕事なら大歓迎だ。名前を出さないあたり有名どころか?」

「んー、鳴かず飛ばずよりは売れてるくらいですかね。でも個人活動なのでそれなりかと。不祥事も起こしたことないし、性格も僕が保障しますよ。金銭面は問題ない子ですけど、あんまふっかけないで上げてくださいね」

「するかよ馬鹿。仕事は信頼だぞお前……というかよぉ、仕事を持ってきてくれたんだ。お願いじゃなくて礼をしてやってもいいくらいだぞ」


 シノブはぐっと前のめりになる。この言葉を待っていた。


「じゃあ有瀬さんのこと描いてあげてください」

「うぇ!? ちょ、シノブくん!?」

「うん? そんなのでいいのかよ。どうする? やっぱ俺のイラストに寄せて――」

「ちょうどいいじゃない、らっくん。たまにはデジタルじゃなくてリアルでデッサンしないさいよ」

「おい蓮華。俺がデッサン苦手って知ってるだろ」

「あれで苦手なら私は何なのよ。謙遜も過ぎると嫌味よー?」


 渡りに船の提案にシノブは「それでお願いします」と首肯する。「ええ?」と戸惑う有瀬を見て見ぬふりをして。

 ……いや、まぁ見ても見えていないわけだが。


 シノブとて暇な時間を見つけては有瀬が見えない症状についてどうにかできないか調べている。そのくらい有瀬の姿を見て見たいとは思っていたのだ。天見に有瀬をスマホで撮影してもらったこともあるが見ることは叶わなかった。


 今回もだめかもしれない。だが一縷の望みをかけていた。


 言われるがままに椅子に座らされて長濱がデッサンを描き始める。シノブはせっかくなので後ろから見させてもらった。手際よく描かれていく姿におおと感嘆の声を漏らしつつ、次第に明らかになっていく実像。


 整った顔立ち、長いまつ毛にすっと通った鼻筋。大きな瞳に薄い唇。鎖骨あたりまで伸びたウェーブのかかった髪。


「……うぇ?」


 シノブは馬鹿みたいに声を漏らす。そこにはシノブの理想の姿。


 鼓動が高鳴る。目を奪われる。シノブは今、本当の恋に落ちていた。

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