少し短い

ナニカ

 湯船から出て身体を拭いて、最低限の服を着て、肩より少し下まで伸びた髪の毛の水気をバスタオルで簡単に切った。

 脱衣所の洗面台の鏡の裏、メディシンボックスを開けて、コードでぐるぐる巻きのドライヤーと、隣の棚から端っこに花の刺繍が施されたタオルを取り出す。お気に入りだ。


 そのふたつを持って濡れた髪はそのままに、ソファでスマホとにらめっこしてる彼に

「ん」

 と言いながら、ドライヤーとハンドタオルを渡す。


 苦笑混じりに受け取る彼に、ほんの少しの申し訳なさと、こんなわがままでも聞いてくれる愛おしさを感じる。

 こんな些細なことですら愛おしく感じるくらい惚れ込んでしまったことに、我ながら少し呆れてしまう。

 でも、それくらい大好きだって思える人に出会えたのはやっぱり偶然じゃなくて運命だと思う。

 年下の彼に甘えるのはだらしないかもしれないけど、この時間があるから明日も頑張れるんだ。


 後ろで彼がドライヤーのコードを繋いでいる。その間、私はソファに座って彼の用意を待つ。

 付き合ってからもうそろそろで十ヶ月が経つ。

 今ではすっかり慣れ親しんだやり取りだけど、この待ち時間のうきうきとした気持ちは未だに消えない。


 後ろからドライヤーの音が聞こえた。

「風、当てるね」

 そう聞こえたあと、後頭部に暖かな風が当たった。






 髪は女性の命だ。

 乾かし方にこだわりがあるから、絶対に自分で乾かすと言ってる友達もいるし、男性だって女性の髪を乾かすのは慣れてない。

 それで髪が痛んだりしたら、元に戻すのは一苦労だから、やっぱり自分で乾かした方が良いのだろう。

 前の彼氏も、最初は頑なにやりたがらなかったし、初めて触った時はおっかなびっくりといった様子で、そんな人に任せるのは不安だって気持ちも分かる。


 でも、私はそういう部分もひっくるめて髪を乾かしてもらうのこの時間が好きだ。


 乾かす時の丁寧な触れ方に、大事にされてるなって思える。

────それに、自分よりはるかに強い人達が、そういう時には不安げな表情をしたり、心配そうに気にかけてくれる様子がなんだかおかしくて面白いなって、いじわるな考えもあったりする。




 ブォーーー




 と、熱風と一緒にドライヤーの音が鼓膜を支配する。

「あ──な─、だ─じょ──?」

 彼の言葉は、ドライヤーの音で途切れ途切れだ。

いよ〜夫」

 そう伝えると、真っ暗なテレビ画面に映る彼は、目を細めて微笑んだ。


 今まで付き合ってきた人達と比べても、今の彼が一番髪を乾かすのが上手だ。

 触り方も丁寧だし、ドライヤーを当てる位置も近すぎず、遠すぎず、絶妙な距離を保っている。

 ドライヤーは小刻みに揺らしているし、根元を持ち上げて内側もしっかり乾かしている。

 慣れた手つきはまるで美容師みたいだ。

 彼の手慣れた様子に安心して目を閉じる。


 ────でも、ほんの少しだけ気になるところがある。



 ほんの少し、ほんの少しだけ、



 ドライヤーを当てる時間も、髪にドライヤーを当てる範囲も。

 まるで、の髪を乾かしているような、そんな乾かし方。

 気の所為なのかもしれない。気にしすぎなのかもしれない。

 それでも、少しだけ、気になってしまう。


 ────付き合って半年くらいの頃。

「乾かすの上手だね」

 と彼に言ったら

「前に習ったんだよね」

 と、言われて

「ふーん、そうなんだ」

 そう言って、流してしまった。


 それからというもの、彼のちょっとした動作に誰かの影を感じてしまう。

 ──そのオシャレな料理は誰の為に作っていたの?

 ──本棚にある少女漫画はあなたが元から好きだったの?

 ──テーマパークの案内が上手なのは下調べをしてくれたから?


 ────丁寧な髪の乾かし方は、私より髪の短い彼女に習ったの?



 私だって元カレのことは覚えてる。

 比較することだって、全くないわけじゃない。

 それでも小さな一つ一つに、誰かの影を感じてしまうのは気にしすぎなのだろうか?

 彼は私を大事にしてくれてる。それでいいじゃないか。

 髪の乾かし方を教えてくれたのだって、前に会わせてくれたお姉さんかもしれないし、美容師の友達がいるのかもしれない。

 わかってる。わかってるけど。

 それでも、理性で感情は割り切れなくて、どこか乾ききらない湿り気みたいなものを感じている。


 ドライヤーの熱風が冷風に変わった。

 触る手つきは優しくて、彼が大事にしてくれているのが伝わってくる。

 ──彼に言ったら直してくれるだろうか。

 ──それとも、私が髪の毛を少し短くしてみようかな。

 そんなことを考えていると、ドライヤーの音が止まった。


「どう?」

「カンペキ。ありがとう」

 不安げな彼に笑顔で返す。

 私はきっと、髪の長さは変えない。彼の中にいるが、に変わるまで伸ばし続けてみようと思う。


 ドライヤーをコードでぐるぐると巻く彼。その動作すら手馴れているような気がしてしまうのはやっぱり考えすぎなんだろう。


 さっきまで彼が触れていた髪を触る。

 彼が乾かしてくれた髪は乾かしすぎてパサつくことも無くカンペキな状態で、少しだけ水分を残していた。

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少し短い ナニカ @mkkm382

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