第56話 笑わせる動詞
最近よく姉が子ども(甥っ子)を連れて遊びにやってくる。
私は甥っ子が家に来たとしても、自室でこういう内容を書いたり考えたりしていることが多く、まるで相手をしていない。
甥っ子は時々私の部屋にやってくる。別段ちびっ子が面白味を覚えるようなモノは無いと思うのだが、「これなあに?」と室内の物を示されたら「それは〇〇だよ」と答えるくらいのことはしている。でも一緒に遊ぶようなことはしていない。
「少しは相手をしてやれよ」という指摘があるとすればそれはごもっともなのだろうが、そういうふうにロクに何もしていない私が外側から、子育てをしている姉や、甥っ子(孫)の遊び相手になっている両親をたった数時間見ただけでも「大変だなぁ」と感心してしまう。
最近インターネット上で「子持ち様」という言葉が社会的に使われていることを知った。どうやら子育てをしている人(特にお母さん)が子どもを理由に仕事を休んだり早退したりすると、独身者が不公平だと不満を漏らすらしい。
私の職場にも子育て中のお母さんがいた時期がある。子どもが理由でその日の仕事に穴をあけたときもあったかもしれない。でも別に何を思うこともなかった。
不公平だと不満を漏らす人たちは子育てを体験していないのはもちろんなのだろうが(私は一応甥っ子が生まれたばかりの頃に、オムツ替えやミルクを作る、お風呂に入れる等々の体験をしたのだが)、目の当たりにしたこともない、空気に触れたこともないから、「(苦労を)知らない」というそれだけで、そのつど現状の自分自身のほうがツラいと主張したいのではないか。
ハッキリ言って人様の事情なんて知らない。でも、そうやって境界線を作ってこっちとそっちで違いを明確にして「自分のほうが――」と自身の胸を叩いて第三者の注意を引こうとするのは果たしてどうなのか。
そもそも私は弱者や少数派を気取って強く主張する者(側)がすごく嫌いだ。
今回のような文句だって、誰かのせいにしないと憤懣やるかたないその気持ちの矛先は仕事(業務)そのものであり、その仕事(会社)に就いている自分自身に向いている、向けられるべきなのではないか。
きっとなんでもそうだろうけど、それが有ること無いことをそこまで重く受け止める必要なんて無いし、外側に不満を見つけてそれのせいだと指を差して喚くくらいなら、そんなもんはスパッとやめちまえばいい。
人の幸せを妬むのは単なる心の貧しさだ。誰かを指差す暇があるなら、自分自身の羽を大きく広げられる場所を求めて能動的に動けばいい(と、私は思う)。
国の少子化対策が結局はパフォーマンス程度のもので、それを名目に税金を増やしているだけみたいに思えるのは私だけかもしれない。
でも実際にちびっ子の数がどんどん減ってしまっているところに、国民がちびっ子を煙たがる、子育てをしている世代をある意味悪し様に言ってしまうのは、御上のやり方を認めているようなものだ。
これって結構怖いし、少子化に拍車をかけている気がする。
いや、もっと怖いのは、自分はそこ(不幸の自覚)から動かずに誰かを無理にでも動かして(貶めて)視界から消そうとするやりかた。
無理に動かされるのは常に「誰にも声の届かない本物の弱者」だ。
とかなんとか、子育てをしている人々にそれとない感謝と少子化云々に意見を言ってみたところで、言わずもがな、私もいつまでも独身者だ。この先、子どもを持つ予定は微塵も欠片もない。
だって相手がいないから……。
今回はこれで終わりです。(元気出せ…)
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