第3話 物の怪つきの少年


 葵ちゃんに出会えてから、あたしはずっと心がウキウキしていた。


 あたしと同い年ということは、一緒に中学に通えるということだ。海町には小学校も中学校もひとつしかないって聞いたから、間違いはないはずだ。


 物の怪も避けてゆく「クール女子葵ちゃん」のそばにいれば、物の怪の心配はないし、ふつうに友達だってできるかも知れない。今までみたいに『変な子』扱いされなくてすむんだ。

 そう思うだけで、あたしは入学式が楽しみになっていた。


「七海ぃ! 七海も手伝ってちょうだい!」


 廊下からお母さんの声が聞こえて来た。

 ぼんやりしながら自分の部屋を片付けていたあたしは、あわてて部屋を出た。


「なあに、お母さん?」

「ああ七海、あんたも手伝ってよ。今日は診療所でお父さんの歓迎会なのよ」


 台所に入ると、お母さんが忙しそうに食器やグラスを用意していた。


神和かんなぎさんや町会の方たちが、お寿司とか飲み物を用意してくれてるから、七海はこれ持って皆さんに配ってちょうだい。ちゃんとご挨拶もしてね」

「はぁい」


 あたしは仕方なく、グラスの乗ったお盆を持ち上げようとした。


「あれ? 神和って葵ちゃんの……」


「神和さんはね、海町の偉い人で、お父さんにどうしても診療所に来てくれって頼みにきた人なのよ。なんか歴史のある神社の宮司さんだって聞いたけど」


「へぇ、葵ちゃんち神社なんだ」


 だから物の怪が避けて行くんだなと、あたしはひとりで納得しながら、渡り廊下でつながった診療所へ入って行った。


 診療所の待合室には、折り畳みテーブルが運び込まれていて、たくさんの人でにぎわっていた。お父さんは見知らぬ人に囲まれて、楽しそうに話をしている。


 正直なところ、あたしはこういうのが苦手だ。初対面の人とは、何を話していいのか分からない。もちろんこの集まりは大人ばかりだから、あたしの出る幕はないけど。


「あの、これ使ってください」


 適当にあいさつして、さっさと部屋へ戻ろうとしたとき、お父さんに呼び止められた。


「娘の七海です。七海、こちらが神和さんだ」

「初めまして。七海です」


 お辞儀をして顔を上げると、白髪のおじいさんがじっとあたしを見ていた。

 神和さんって聞いた時は、葵ちゃんのお父さんだと思っていたけど、おじいさんだったみたいだ。


「可愛らしいお嬢さんですな。七海さんは、今年から中学生でしたっけ?」

「はい」

「うちにも中学生の孫が二人おりましてね。今日は長男の弓月ゆづきが来ています。弓月、七海さんにご挨拶しなさい」


 神和さんの後ろから出て来た人を見た途端、あたしは頭が真っ白になった。

 大人と同じくらい背の高いその人は、間違いなく、海岸で黒い物の怪を体の中に吸い込んだ、あの男の人だったのだ。


 絶対に見間違いとかじゃない。だってあたしの目には、いまも彼の胸のあたりに、小さくなった黒い物の怪の姿が見えているんだから。


「神和弓月です。今年中学三年だから、きみより二つ先輩だね。よろしく」


 葵ちゃんに似たきれいな顔で、葵ちゃんよりも優しげな口調でさわやかに微笑む弓月さん。でも、あたしは笑顔を返すことが出来なかった。


「よろしくお願いします」


 怖がっているのを悟られないように、あたしは頭を下げた。

 黒い物の怪は今も牙をむいてあたしを見ているし、葵ちゃんのお兄さんが、どうして物の怪を体の中に飼っているのだろうとか、考えても答えの出ないことで、あたしの頭は破裂寸前だった。


「妹の葵から聞いたよ。きみ、海岸で昼寝してたんだって?」

「は、はい。そのっ、お天気が良かったので……」

「へぇ、七海ちゃんて面白いね」

「いえ。では、あたしはこれで」


 もう一度お辞儀をして、あたしは待合室から逃げ出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る