第2話 怪現象と美少女


(何かいるの?)


 ブルブル震えながら辺りを見回すと、岩に囲まれた海岸の上空におかしなものが見えた。

 黒くて大きな、犬か熊のような獣が空を駆けている。


(なに……あれ?)


 びっくりして、あたしはその場に尻もちをついた。

 これが「腰が抜けた」というヤツなのかわからないけど、すぐに逃げ出したいのに、体に力が入らなくて立ち上がれない。


 それでも見つかるのが怖くて、あたしは岩陰まで必死に這って行き、そこで膝を抱えた。


 黒い獣は鋭い爪と牙をむき出して、暴れながら空を駆けている。

 小さい頃からいろんな物の怪を見て来たけれど、こんなに大きくて狂暴そうな物の怪は初めてだ。今までに見た小さくて不気味な感じのモノとは違い、あの黒いヤツは生きている獣に近い気がした。もちろん、空飛ぶ犬や熊なんて有り得ないけど。


(どうしよう……このままここに隠れていれば、そのうちどこかへ行ってくれるかな?)


 岩陰で震えながら見ていると、砂浜を歩く人影に気がついた。背の高い男の人が、パーカーのポケットに両手をつっこんで歩いている。

 きっと彼には、空を飛んでいる物の怪なんて見えないんだろうけど、あたしはハラハラしながら、あの黒いヤツが人を襲ったりしませんようにって祈っていた。


 男の人は波打ち際で立ち止まると、ポケットに入れていた片方の手を空に向かってスッと差し出した。

 すると、驚いたことに、空で暴れ回っていた黒い獣が、吸い込まれるように彼の体の中に入って行く。

 あたしは軽いめまいを感じて────たぶん、きっと、そのまま気を失った。



「おい。おーい。こんな所で昼寝か?」


 乱暴に揺さぶられて気がつくと、目の前に美少女がいた。


「えっ……あのっ、あたし、散歩してたんだけど……いつの間に寝てたんだろう?」


 あたしが笑ってごまかすと、美少女は長い黒髪を払うようにして立ち上がった。


「まだ寒いだろう。風邪をひくぞ」


 美少女は、顔に似合わぬ凛々しい言葉づかいでそう言った。


「見ない顔だな。もしかして、新しく診療所に来た医者の家族か?」

「はっ、はい!」

「年はいくつだ?」

「じゅっ、12歳です。今年中学に入ります」

「そうか、ならわたしと同じだな。わたしは神和葵かんなぎあおいだ。よろしく」

「あっ、あたしは鈴木七海です!」


 美少女はクールで大人っぽくて、とても同い年の女の子には見えなかった。

 あたしはまるで、先生と話をしている時みたいに緊張してしまった。

 カチカチに固まったあたしが面白かったのか、クール女子葵ちゃんはすこしだけ笑った。


「散歩なら、町を案内するが、どうだ?」

「へっ? あっ、お願いします!」


 ありがたい申し出に、あたしは飛びついた。

 変なものを見てしまったせいか、ひとりで散歩を続ける勇気がなくなっていたのだ。


「あの、あたしが診療所の医者の家族だって、どうしてわかったんですか?」


 あたしは勇気を出して、葵ちゃんに話しかけてみた。


「ああ、ここは小さな町だからな。ほとんどが顔見知りだから、知らない顔は外から来た人だってわかる。わたしは診療所に新しい医者が来ることを知っていたから、そう思っただけだ。まあ、海岸で昼寝をしていたのはさすがに驚いたけどな」


「ですよね……」

 あたしはもう一度、笑ってごまかした。まさか、変なものを見て気を失ったなんて言えるはずがない。


「この町は平地が少ないから、その平地に町の主な施設が集まってる。狭いところに、学校も役所も商店街も全部あるから、すぐに慣れる。七海はなにが見たい?」


「あの、母から、散歩のついでに甘いものを買ってくるように言われたので、お店を」


「甘いものか、それなら海猫屋だな。和菓子も洋菓子もあるから大丈夫だ」

「海猫屋? なんか、可愛いですね」


 海岸から離れると、なだらかな斜面にたくさんの田んぼや畑が見えてきた。

 葵ちゃんと一緒に歩いていると、緊張はするが不思議と安心できた。その安心の訳は、すぐに分かった。


 町の中心にある商店街へ入ると、たくさんの人がいた。人の多い場所には人でないモノも紛れていたけれど、葵ちゃんが近づくだけでサァッと避けていくのだ。


(すごいっ! 葵ちゃんって、神様みたい!)


 あたしはものすごく感動していた。

 今までみたいに、ユーレイや物の怪と目を合わせないようにする必要もなくて、あたしの緊張も一気に溶けていった。

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