第29話 しんじつは晒されて②

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 フォルクスを預かって診るとアウルが言うので、俺は彼を任せてメルトリアとふたり、蒼髪の男と一緒に皇都へと向かった。

 道中、蒼髪の男は多くを語らず、事務的な内容を口にする以外ただ黙々と歩むのみ。俺もメルトリアもそれを受け入れて……静かな時間を過ごした。

 勿論メルトリアとは話をしたいと思ったけれど、どこか切羽詰まった彼女を見ていまは待つことにしたんだ。

 蒼髪の男が言ったとおり強行軍なのは確かで、フォルクスよりもマシとはいえ傷を受けた彼女の心身に余裕がなかったのも理由のひとつだった。



 そうして辿り着いた〈ヴァンターク皇国〉皇都の門で、俺は初めて「凱旋協定の証」を使うことになる。

 蒼髪の男は俺たちを迎え入れるための準備をすると言って目的地までの道を説明し足早に去ってしまったので、いまはメルトリアとふたりだ。

「メルトリア、これは君のぶん」

「え……で、でも、私は……」

「受け取れないなんて言うなよ? これでも俺、怒っているんだからさ。もっと怒らせたい?」

「お、怒るのは当然よ……でもあなた、いまものすごく笑っているわ」

「あれ、そうか?」

 わざとらしく自分の頬に触れた俺にメルトリアは眉尻を下げて困ったように瞳を泳がせる。

「あの。ごめんなさいアルトスフェン……気遣ってくれているのよね。アウルのことも知っていたし、もう彼とも話したんでしょう?」

「まぁな。でもわかったのは彼が君の家族ってことくらいだ。メルトリアの話は全然できていないよ。すぐ人族の侵攻を知って黒い龍に運んでもらったから」

「……そう、なの」

「おう。――だからこの件が片付いたら今度こそ話をしよう。約束だ、俺とメルトリアの――約束」

「アルトスフェン……。ええ、わかった。約束よ、私とアルトスフェンの」

 メルトリアは目元を緩ませ、どこか泣き出しそうな顔で頷く。

 俺が俺を遺すため――つまり俺が彼女に葬送されるため。この理由は彼女の生きる意味を利用するようなものかもしれない。

 それでも、彼女が前を向くきっかけになるのなら――本当の生きる意味を見つけるまではと、俺はひとり口元を引き締めた。


 無事に門を通り俺とメルトリアは目的の「家」とやらを目指してゆるりと歩き出す。

 皇都は煉瓦造りの道が整備されていて、目抜き通りをずっと進むことで現皇帝の居城へ辿り着けるようになっていた。

 町の建物も煉瓦が多く、屋根からは色とりどりの編まれた太い紐が幾重にも垂れ下がっている。

 あの紐は民の結束を示すもので、〈ヴォルツターク帝国〉を打ち倒すために立ち上がった民がそれぞれ自身の色を表す布を腕に巻いたという逸話からきているのだという。


 ――美しい町だ、すごく。


 考えながらメルトリアをちらと見ると、彼女は建物を見上げながら下唇を噛んでいた。その瞳はどこか潤んでいるようだけど、俺はなにも言わずに視線を戻す。

 そうだよな、ここは彼女の住む場所だった――思うことも多いだろう。

 ――決めた。この一件が片付いたら……メルトリアと町を歩こう。

 彼女が平和で良き国であるよう願った新しい国の皇都を、ともにゆっくり見て回ろう。

 つらい思い出も、苦しい過去も――全部、話してもらおう。

 いまだ貧民街が遺るこの国だけど、きっとフォルクスみたいな奴も多いはずだ。

 俺を奮い立たせてくれた彼女のため、今度は俺が生きる意味を探す手伝いを始めよう。

 千年紀行はそうやって第一章を締め括れたらいい……。


「お待ちしておりました。こちらです、我が師の家は」


 考えているうちに目的地に到着したらしい。

 俺は待機していた蒼髪の男に頷いて……巨大な門と、そこから伸びて敷地を囲む柵を見上げた。

 柵に施されているのは星詠みが好む文様で、通された巨大な門の内側はすぐに温室になっている。

 そこには鮮やかな紅い薔薇やガーベラが植えられていて、これから寒くなる季節とは思えないほど華やかで美しい。

 濃厚な香りを肺に満たした俺は……どうしてか胸の奥が疼くのを感じた。

「――ここは誰の家なんだ?」

 俺が聞くと、蒼髪の男は先導しながら振り返らずに言う。

「我が師は……優しく勇敢です。己の命を賭してただひとりのために生きている。けれど……その命の灯火は長くはありません」

「――答えになっていないわ。……だから龍族の血を求めたの?」

「それが最後の希望でしたから」

「…………」

 胸の奥が、疼く。

 漠然と不安をあおる返答。

 メルトリアを窺うと、彼女は緊張で顔をこわばらせていた。

 俺は首を振って不安を押しとどめ、蒼髪の男に続いて先へと進んだ。



 落ち着きのある暗い色の煉瓦で造られた館の中は薄暗く、壁には淡い緑色の光を放つ魔法で灯されたランプが等間隔に並ぶ。

 廊下は香のような甘苦い匂いに満ちていて、天井には外の柵と同じ文様が金の塗料で施してあり、まるで星空のように煌めいている。

 そうして案内された部屋の前、蒼髪の男は俺に『自分は外で待つ』と言って『お連れしました』と中に声を掛けた。


 その扉に描かれているのは……ガーベラの花。


 俺とメルトリアが中に踏み入ると……厚いカーテンに覆われた暗い部屋で銀の燭台の蝋燭が揺らめいた。

 廊下に満ちる香の匂いはこの部屋のもので、大きなベッドの傍らから淡い桃色の煙が立ち昇っている。

 そのベッドに横たわるのは……高齢の女性で。ここからだと薄いレースの向こう側だから顔は見えない。

 ――だけど。

 ベッド脇のチェストの上、見慣れた――そう。見慣れた――星詠みに使う布と石が静かに煌めいていた。


 俺は右足をそっと踏み出し、毛脚の長いふかふかとした紅い絨毯に埋める。

 そうしたら次は左足――。


 どうして。最初に思った言葉はそれだった。

 そんな馬鹿な、と思う。


 どうして。どうして、どうして。

 そんなはずはない、と思う。


 でも。彼女・・は言っていたじゃないか。大きな家を買う、と。庭に紅い薔薇と……俺の好きな花を植えると。

 俺は好きな花を聞かれて――彼女になんて答えた?


『うーん。ガーベラかな?』


 そっと捲ったレースの向こう、俺を静かに見詰める紅い瞳に、俺は。




「――――スカーレット……」




 本来ならばもう生きていない年齢のはずの、彼女の名を――口にした。

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