第19話 あらそいは始まって③


 それからしばしの時間が過ぎた。


 俺は肉を食べ終え、目の前で澄まし顔をして食器を拭いているエルフ族に対し酒を追加しつつ、人差し指を唇に持っていってみせた。

 名前を呼ばれるのは都合が悪いからな。

「……」

 ぱちり、と。

 俺の意図を汲んでくれたらしき見目麗しいエルフ族が無言で片目を瞑ってみせるが、うーん。

 そんな場合ではないと思いつつ……どっちかわからないのは気に掛かるなあ、やっぱり。


「……確かに提示どおりある。遠慮なく頂戴するンだけど――そうだ。ここから家畜代を払っといてくンねぇか? あんたもそこは本意じゃないンだろ?」

「ほう。殊勝なことを言いますね。少し見直しました」

「……ふん、なんだよその言い方」

「そちらはすでにギルドを通して匿名の寄付という名目で完了させていますよ。今頃家畜の持ち主へと配布されているでしょう」

「……え、本当か?」

「当然です。我々の目的は――――ですから」

 ……ああくそ、肝心なところがまた聞こえない。

 俺は顔を顰めそうになるのを堪えて出された酒を手のなかでくるりと回した。

「それでは依頼完了です。……ああ、滞りなく進めてくださったけれど待ち合わせに遅刻するのは減点ですよ」

「……一方的に時間と場所を決めといてよく言うぜ。ま、請けた仕事はちゃんと完遂すンだけどな? じゃ、ご贔屓にー」

 ……そこで会話は終わり、神秘的な男がジャラリと飲食代を置いて立ち上がる気配がする。

 俺は一切視線を向けずにその気配が扉の外に消えるのを確認し、次いで丸机の冒険者らしき三人組が会計を済ませて出ていくのを見送った。

 ……ふむ。やっぱり仲間ってところか。

 そこで……上機嫌で麦酒を煽る若い男が言葉を発した。

「なあそこの兄さん。俺はいま丁度手空きになった『なんでも屋』なンだけどさぁ、損はさせねぇから雇ってみねぇ?」

「……なんだ、ばれてたのか」

 俺がカランと氷を鳴らして酒を掲げてみせると、若い男はヘラッと笑って足下の革袋を掴み隣に移動してくる。

 それから彼はおもむろに店内を見回した。

「……まさかここにいるとは思わなかったぜ。どンな嗅覚してんだ、あんた? 強気な姫さんは留守番か? 多少情報は濁してやったンだし……感謝してくれてもいいぜ?」

「強気な姫さんね……さっきは彼女の容姿を聞かれたのか?」

「そういうこと。……だってさ、あれ〈ヴァンターク皇国〉の皇族だろ? 亜麻色の髪に翡翠色の瞳なンだし」

「ん……それ、そんなに有名な情報なのか?」

「さぁ? 少なくとも〈ヴァンターク皇国〉出身なら知ってンじゃねぇの」

「へえ、じゃあ君は皇国の出身?」

「そ。皇国の外れの貧民街で育った。何十年か前の革命のとき、俺のご先祖さんは皇帝一族に仕えていたって話。だから追い落とされて子孫の俺が苦労してンだ」

「……そんなことが」

 俺はそこまで言って少し考えた。

 彼は俺がいると気付いていたから家畜の代金の話を出したわけじゃなく、本当に支払うつもりだったのだろう。

 誠意を見せてくれたのなら、応えたい。でも――雇うならなにを頼むかだな。

「……なあ、情報収集とか得意だったりするかな?」

「当然! むしろそっちが得意分野だ」

「いくら?」

「は?」

「いくらで雇える?」

「……」

 若い男は小麦色の髪を揺らして唸ったあと、あの日は暗くてよく見えなかった鳶色の瞳を俺に真っ直ぐ向けた。

「内容による。簡単な聞き込みなら五千あれば明日一日で済ましてみせるぜ。もっと大掛かりな機密情報級なら五万からってなもンか……時間ももう少し欲しい」

「なんだ、意外と良心的だな?」

 俺が笑うと彼は呆れた顔をして肩を竦める。

 横髪が少し長く、後ろをちょこんと結ってある髪型は……勇者一行の弓使い、オルドネスに少しだけ似ていた。

「……別にぼったくるつもりはねぇよ。そンで、なにを調べてほしいんだ?」

「――龍族への侵攻、その計画の有無について。期限はまず一日、必要に応じてもう一日だ。それ以上は延ばさない。……えぇと、お姉さん、お兄さん? 酒のおかわり、お願いできるかな?」


******


 結果として生物学上のお姉さんだった。

 全体的に見目麗しい種族だから仕方ないとしつつも、若い男は『雰囲気で判断できるだろ……』と呆れた声で付け足す。

 俺は新しく頼んだ酒をひとくち呑んでから笑った。

「いや、一緒に冒険していたエルフが美人なお兄さんでさ。エルフはとりあえず疑うことにしてるんだ。……それじゃ自己紹介といこうか」

 それを聞いたエルフ族のお姉さんがクスクスと笑う。

 若い男は訝しげな顔をしながら「ふーん」と唸った。

「――ほかに疑うべきことがあるンじゃねぇの? ――まぁいいンだけど。俺はフォルクス。話したとおり〈ヴァンターク皇国〉の貧民街出身。あんたのほうがちょっと背が高い……ちょっとだけな! 得意なのは隠密行動、つまり斥候。貧民街じゃ生きるのにそういうのが必須なンだよ」

「フォルクス――それ本名か?」

「最初に聞くのがそこ……? そうだぜ、別に名前バレて困るような仕事はしないンでね。家畜を盗む片棒担ぐ羽目にはなっちまったが……まぁなンだ。正直、綺麗事ばっか言っていられねぇのはわかってンだけど――真っ当な仕事っての? それがしたくて『なんでも屋』始めたんだ。つってもギルドの冒険者みてぇなもンだけどさ」

 フォルクスはそう応えると麦酒を呑み干して「ぷはー」っと息をついた。

 飄々としているけど、たぶん貧民街では相当な苦労をしたんだろうな。

 だから本当に「真っ当な」仕事が欲しいんだ……。

 俺は頷いてフォルクスに麦酒を追加してから……自分も酒をひとくち煽って言葉を紡いだ。

「じゃあ俺も本名を名乗ろうか……アルトスフェンだ。しがない旅人ってところかな。一緒にいた彼女は訳あって先に発ったんで……追い掛けてる」

 それを聞くとフォルクスは新しい麦酒を礼を言って受け取り、がぶりと呑んでから笑う。

「――アルトスフェン、勇者の名前じゃねぇか! 俺、勇者の物語は結構好きなンだ。どこにでもいる一般人が勇者サマになれるってンだからさ。……で、つまり姫さんには逃げられちまったのか? 間抜けな護衛だなあんた」

「逃げ…………うぅんと……まあ、そうとも言うのかな……」

 傷を抉られたような気持ちで応えた俺にフォルクスはあんぐりと口を開けた。

「――は? まさか本当に逃げられたのか? おいおい……この先は山脈越えだろ? 姫さんもひとりで行くなんてどうかしてるンじゃねぇの……。早く追い掛けたほうがよくないか?」

「まぁ……だからフォルクスに使ってもらえる時間は長くても二日間だ。……頼めるか?」

「……いいぜ。そいつに姫さんが関わってるのは『伝言』でわかってるしな。ただでさえ珍しい龍族、しかも侵攻なんて大事おおごとだろ。ちょいと探りゃ情報が出てくるってなもンよ。明日同じ時間にここで。明日の時点で終われば五千ジールな」

 フォルクスは鳶色の双眸を細めてニヤリと笑うと、麦酒を全部呑んで立ち上がった。

「姉さん、ごちそうさま。アルトスフェンの代金も俺が払うよ。いくら?」

「……え、別に気遣うことはないよ。フォルクスが稼いだ金なんだから自分のために使ってくれ」

「ひひ、いいのいいの。誰かに奢るの、やってみたかったンだよ。そいつが勇者と同じ名前だってンなら『勇者に奢ってやった』って言ってもわかンねぇしな!」

「…………あー。それなんだけどフォルクス。千葬勇者の容姿は物語に載ってないのか?」

「は? なんだよ急に。当然あるぜ。確か……『美しく蒼や翠にも艶めく濡羽色の髪に翠玉色の瞳は見る者を惹き付ける』」

「うわぁ……見る者を惹き付けるなんて盛り方されてるのか――そりゃ気付いてもらえないわけだ」

 俺が笑うと、フォルクスは重そうな革袋の口を広げながら怪訝そうな顔をして――動きを止めた。

「濡羽色の髪、と、翠玉色の…………瞳?」

「おう。改めて――自分で名乗るには物騒なんだけど、千葬勇者アルトスフェンだ。こう見えて齢八十二歳ってとこ。よろしくな、フォルクス!」


「……え、は……?」


 フォルクスは眼を丸くして何度か首を振ったあと「まあ……とりあえず信じてみるか……?」なんて呟いてうんうんと二度頷く。

「あんたが悪い奴ってことはねぇと思うし。勇者だなンて嘘つく理由も思い付かねぇし? とりあえず依頼は請けたぜ、勇者サマ。じゃ、今日はここまでだ!」

 結構あっさりしてるもんだなぁと感心しているあいだに、フォルクスは宣言どおり俺の分まで払って上機嫌に出ていった。

 残された俺にエルフのお姉さんは「これは私からの奢りよ」と言って甘酸っぱい香りがする茶を淹れてくれる。

 エルフが好きな茶だ。

 俺は礼を言ってそれを呑みながら……ふと聞いてみた。

「……なあ、あの蒼い長髪の男は頻繁に来るのか?」

「普通ならお客のことは話さないのだけれど、千葬勇者には〈エルフ郷〉を救ってもらった恩があるから教えてあげる。ここ最近、数回来た程度よ。なにかの依頼や報酬の受け渡しをしているようね。彼は星詠みのようだけれど……力のある星詠みのお弟子さんみたいだわ」

 星詠み……か。勇者一行のスカーレットみたいに、こういう酒場を気に入る星詠みが多いのかもしれないな。

「その力ある星詠みってのに心当たりはあったりする?」

 俺の質問にエルフは木製の器を丁寧に拭きながら小首を傾げる。

「さあねぇ……〈ヴァンターク皇国〉にはすごい星詠みがいるって聞くけれど……。ああ、でもね千葬勇者。龍族の縄張りなら心当たりがあるわ?」

「えっ? 本当か?」

「ええ。〈エルフ郷〉のあるエルディナ大森林と同じなの。魔法で結界を施して中に入れないようにしているのよ。とはいえ……そうね。龍族とエルフ族じゃ扱う魔素の種類が違うから私たちでも簡単には解けないわ。でもエルフ族の遣いって印なら用意できるから、それがあれば入れてくれるはずよ。……先に聞くけれど、まさか攻めようって話ではないわよね?」

「当然その逆だよ。人族が侵攻しようとしているなら阻止すること、これが目的だ」

「さすがお人好し勇者様。千の魔物を葬送したとは思えないほどね! 龍族がいるのは山脈の南西だと思うわ。印を用意してあげる。明日には渡せるはずよ」

 これは――運がいいかもしれない。

 山脈の南西っていうのも俺の予想と合致する。

 俺はエルフのお姉さんにお礼を言って……残りの茶を飲み干した。

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