第15話

宮原さんの話はこうだった。

幼い頃からパソコンが普通に家庭にあったため、父の教えを受ける前に自然と独学でパソコンスキルを磨き、自分でシステム開発を行うまでになっていた。

高校の時にはシステム開発の全国大会に出場し、チームを準優勝にまでのし上げて、周りからは羨望の眼差しを受けていた。

しかし、宮原さんからするとそれは将来における通過点の一つでしかなく、それを磨き上げて職業にまで繋げようという考えはまだその時点では備わっていなかった。

ただ、時間があるときに父の蔵書を読み、感想を語り合い、母と一緒にキッチンに立ちコーヒーを淹れて、豆の炒り方を試行錯誤を繰り返して美味しさを追求する、そんな家族団欒の図をずっと描いてきていた。

宮原さんには記憶にないが兄が一人いたらしい。

ずっと一人っ子だと思っていたが、テレビの横にずっと置いてあるお花や壺に疑問に思い、母に尋ねたことで判明した。

一歳になる前に急に亡くなってしまった兄がいたことを、三歳の宮原さんは知り、そして嫉妬した。自分だけの父と母じゃなかったことに、猛烈に嫉妬した。

だから、自分が大きくなっても就職してもこの家で父と母と暮らそう。

そうなると、全国転勤のある総合職には就けない。営業職や接客業ももあまり人と話したり接したりするのが得意じゃないため避けたい。大学時に勉強は得意だったので学習塾のアルバイトもしていたが、親に無理やり通わされている生徒ばかりだったのでモチベーションも低く、やる気のない子たちに熱意を向けるのは自分自身も疲弊する。教職も自身がすり減るばかりであまり乗り気ではない。

だとすると、あまり意識をしていなかったがシステムエンジニアなどの職業なら自分の得意分野だし、基本内勤だし、父や母がこの先介護が必要になったとしても在宅勤務でカバーできる。

自分の能力を活用し、親孝行にも最適な職業だと言える、と宮原さんは考えた。

そして、今の会社のシステムエンジニアとし就職し、こつこつと続け主任にまで昇任した頃、競合他社とのシステム統合の話が浮上した。

宮原さんは主任として後輩を数名引きつれて競合他社にまで出向いた時、彼女、牧本結良(ゆら)に出会った。

「株式会社結城フーズのシステム管理部の管理主任を務めております宮原大貴です」

「……宮原くん?」

宮原さんが顔を上げて見たその女性の顔に全く見覚えが無かった。名刺に目を落としてみても、牧本という名字に覚えがなかった。

その後は何もなかったかのように宮原さんとその女性は仕事の話をし、システム統合の話は早々とまとまった。宮原さんも帰る際に後ろを振り返ってみたが、女性は深々と一礼し、何も話しかけてはこなかった。

しかし、宮原さんが自分の会社を出る際に、入り口にその女性はぴしっと背筋をまっすぐにし立っていた。

宮原さんが動けずにいると、女性の方からゆっくりと近づいてきた。

「すみません、出待ちするようなことをして。娘の迎えの時間もあるので手短に少しお話してもよろしいですか?」

あ、既婚の方か、とその時宮原さんは少し安堵するのと同時に残念にも思っていた。

駅の近くのカフェで二人は向かい合わせに座った。夕飯は家で父と母ととるのが慣例だったため、宮原さんはアイスコーヒーのみを頼んだ。

「宮原さん、覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、白川第四中学校で一緒だった牧本です。糸村くんと、一緒だった……」

「―—―ああ」

糸村、忘れたくても忘れられない忌まわしい名前だった。

当時から成績優秀でパソコンスキルのレベルが高い宮原さんは口下手とはいえども、男子や女子から、先生からも一目置かれている存在だった。

もちろん、そんな自分の持つことのできないスキルを敢えてひけらかさない消極的な宮原さんの存在を疎ましく思う数人の男子は存在する。

父が市議会議員、という凄いのか凄くないのか分からない家族構成をひけらかす糸村という三白眼の同級生がいた。糸村は数人の同級生を侍らせて廊下の真ん中を我が物顔で歩いていた。その横にいつもいたのが、牧本結良だった。

牧本結良ははっきり言って目元がぱっちりとした美人で、成績も優秀で、友達も多かった。だから、周りの同級生は糸村に何か弱みを握られているのではないかと噂をしていた。

宮原さんは調子に乗っているとか、俺たちを見下しているとか根拠のない理由で糸村から目をつけられるようになった。漫画とかで見る教科書をびりびりに破くとか、上履きを隠すとか、給食に鉛筆の削りカスを入れるとかそういう壮絶ないじめはなかったが、先生が見えないところで耳元で下品な言葉をかけられたり、廊下で足を引っかけられたりしていた。

瑣末なことだと、気にしなければいい。

だけど、一番嫌だったことは家の近くまでつけられて、糸村たちに囲まれているところを買い物帰りの母に目撃されたことだ。今でもあの困惑し、残念そうな表情の母のことが脳裏に浮かんでくるぐらいだ。

父や母を幻滅させたくない。

そして、糸村が離れた頃に必ず牧本結良が「大丈夫?」と声をかけてきた。「治秋が、いつもごめんね」と謝るが、なぜ彼女がいつも謝るのか分からなかった。

しばらくたった頃、糸村の横に牧本結良の姿が見えなくなった。学校にもしばらく来ていないようだった。

糸村や周りの取り巻きたちは大して気にしていないようだった。むしろ、傍から見て糸村はそれを好機とばかりに学校内でも可愛いと評判の女子生徒にあたり構わず声をかけているようだった。

牧本結良に同情をするわけではないが、宮原さんはひたすら彼らに嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

ある日、母に頼まれて着替えを一式、職場に届けたことがあった。そこで、青白い顔で俯いて座っている牧本結良に会った。久々に見る彼女は痩せこけていた。そして、職場の外で母らしき人に詰られている姿を見て、全てを察してしまった。

職員室から出てきた牧本結良は宮原さんを見つけると、そのまま手を引いて人がまばらな一階のPTA会議室に移動した。

宮原さんの母は助産師で、急なお産のために母の着替えを届けた先が産婦人科だった。牧本結良は糸村の子を妊娠し、産もうとしたが糸村や糸村の家族から拒否されたこと。糸村側から堕胎手術をする費用を渡されたが、使う間もなく流産したこと。父も母も腫れ物に触るようになり、ご飯は牧本結良の部屋に運ばれて一人で食べていること。先生たちも不問に付しているが、誰も関わらないよう視線を合わせないようになったこと。すべてを訥々と語った。

牧本結良は泣きながら話してくれたが、宮原さんは同情することはなかった。中学生で妊娠のリスクを考えない両者の浅はかさもさることながら、糸村と付き合っている時点で悪い方向に転がっていくのは分かりきっていることと第三者からでも検討がつくからだ。

宮原さんはただ、彼女の話を聞いた。何を助言することはなく、ただ聞いてあげた。

卒業後、彼女がどうなったのか、知ろうともしなかった。

でも、今現在、娘に恵まれて、こうして競合他社の同じシステム管理部の責任者として向き合っている。その事実が、彼女の未来が恵まれていたものだと安心させてくれる材料となっている。

「でも、良かった。結婚したんですね。おめでとう」

宮原さんの言葉に、牧本結良はゆっくりとかぶりを振った。

「父親にあたる人とは一緒にならなかったの。未婚の母で、娘を産んで、今は二人暮らし」

またか、そんな呪詛のような言葉が口から出る前にぐっとこらえた。

何故、彼女は同じことを繰り返すのだろうか。

幸せになったものだと思ったのに。結婚して幸せに。

そこではた、と気が付いた。自分も結婚をしていないのに、結婚を何故幸せだと位置付けたのか。根拠のないことを、その型にはまっていないことを押し付けられるのは自分でも嫌悪の対象でしかないことを十分に分かっているはずなのに。

「娘さんは、いくつなんですか?」

牧本結良は恥ずかしそうにスマホの画面を見せてきた。

「今年、中学生になったばかりなの。母一人子一人で私も遅くまで働いているから寂しい思いをさせているんだけど、ご飯を作ったりお風呂で背中を洗ってくれたり、とても可愛い娘なの」

スマホの中の少女は恥ずかしそうに顔の前で手の平を掲げているが、表情は明るい。とても愛されて育てられたのだと分かる。

「だけど、だけどね―――」

牧本結良はスマホをテーブルの上に置き、両手で顔を覆った。その手はぶるぶると震えている。

「乳がん。転移も確認されていてもう多分手の施しようがないの。抗がん剤も効かなくて、副作用も強いから仕事にも支障が出てくる。娘も、そういうのが分かる年頃だから気遣ってくれるけど、お風呂とかで一人で声を殺して泣いているの」

牧本結良はぐっと目を凝らして見つめた。

「私には、時間が残されていないの。両親ともずいぶん前から縁を切られているし、頼れる人もいない。宮原くん、お願い。私の、いえ、娘の家族になってほしいの」

いきなり突き付けられた現実に宮原さんは声を発することが出来なかった。

「何で、僕なんですか?中学の同級生というだけで、何の接点もないじゃないですか。何も知らないのに、何もしてくれなかったのに、虫のいい話ですよね。身寄りのない子供を育ててくれる行政だったりネットワークだったり、探せばいくらでもあるんじゃないですか?」

老い先短い女性にナイフのようにとがった酷い言葉を投げつけている自覚はあった。だけど、牧本結良は自嘲気味に笑みを浮かべていた。

「……そうだよね。中学の時、私は宮原くんに言葉をかけるだけで何もしなかった。はる、糸村くんたちが嫌なことばかりをしていたのに、見て見ぬふりを決め込んでいた。因果応報なのかな。流産して、家族には無視されて、家を追い出されて、一人で生きてきて折角出会えた人とは家族になれなくて、乳がんになって……でも、娘に出会えたことは私の中で最上の出来事だったの。だから、娘のこれからの人生、何があっても私が守りたい。娘が確実に幸せに生きていけるよう確証が持てるような家族に育ててもらいたい」

「僕の人生が、どうなろうとも?」

「どうなろうとも。でも、宮原くんのご家族はそんな方たちではないでしょう?中学の時に、産婦人科で母に置いていかれて打ちひしがれていた私に宮原さんのお母さんが声を掛けてくれたの。あなたを選んできてくれた命は、後悔していないよ。早く来すぎてしまっただけで、またあなたに会うために来てくれるからって。周りの大人たちはそんなことを言ってくれなかった。一瞬でも宿ってくれた命に敬意を持って接してくれた宮原くんのお母さんになら、娘をきっと幸せに育ててくれるって」

牧本結良は苦しそうに息をしながらゆっくりと頭を下げた。

「宮原くん、お願いします。娘を―――」


秒針の音がいつもより大きく聞こえるようだった。

私と宮原さんは椅子に座り、気付くと足先が冷えて寒いくらいだった。

「父と母に経緯を話すと、すぐに話を進めようと合意してくれました。最初は母が将来僕が誰かと結婚する際に子連れだと大変になるのでは、と考えてくれましたが両親も七十過ぎてましたし、僕と養子縁組を結ぶことになりました。牧本さんも短い間でしたけど、僕の両親と一緒に暮らしました。ただ、娘の、聖良ちゃんは両親には段々と心を開いていきましたが、僕と話すことはほとんどありませんでした。慣れない環境や新しい親との同居など少なからず子供にストレスを与えるものですし、あらためて父親として接することは避けていました。避け続けて、何の信頼も築けない間に牧本さんが亡くなってしまいました」

はぁ、と宮原さんは大きな息をついた。

「あちらもいい加減気付くでしょうね。僕が、嫌々入籍し父親になり養育しなければならなくなったことを。両親と三人仲睦まじく暮らしていたところに入ってきて忌々しく思っていることを。その通りですよ。僕は両親と一緒にずっと暮らしていたかった。だけど、聖良ちゃんも心のバランスを崩し、体調不良になることも多くなったので、僕は家を出ようと思いました。会社とこのブックカフェの往復で僕の人生は成り立っています。僕自身、親孝行が出来なくなってしまいましたが、聖良ちゃんがいれば両親は幸せだろうと、そう思っていました」

「なのに―――」と続け、

「母が、認知症になりかけているそうで、聖良ちゃんの存在を怖がるようになったそうです。しきりに、僕の名前を呼ぶようになったので戻ってきてほしいと聖良ちゃんに言われました。離れた方が彼らが幸せになれると思ったのに、呆けたら僕にまた家族になってほしいだなんて、そんな都合のいい話があるかって―――!」

声が上ずり、宮原さんは慟哭した。

「正直、ふざけるなと思いました。それまで全く店にも寄り付かなかったくせに、自分で対処が出来なくなったら縋るなんて、僕の描いていた幸せな未来を返してほしいと思いました……」

「聖良ちゃんも、宮原さんとどう接したらいいのか分からなかったと思います。私も、母や妹と接するにもいまだに手探りですし、ちゃんとした家族をやれていないと思います。でも、ちゃんとした家族って、傍から見た話ですよね?色々な家族の形があったっていいと思うんです。聖良ちゃんは、ずっと宮原さんと話したくて、でもどう話せばいいのか分からなくて、分からないまま模索していたら年月が経ってしまったんじゃないかと思うんです。今更とか、思わずに、大分時間は経ってしまったけれどきちんと向かい合って話し合えば大丈夫だと思うんです。宮原さん、私に言ってくれたじゃないですか、踏み出すことは大きな勇気だって」

「雫さん……」

「あ、私、偉そうなことを言ってしまってすみません!」

「いえ」

宮原さんは眼鏡をずらし、目元を拭いながら笑っていた。

「ありがとうございます。今まで、自分のことは誰にも話したことが無かったので、雫さんに色々と話せて良かった。聞いてくださるだけで、こんなに気持ちが晴々とするなんて思いませんでした」

「そう、ですか」

「雫さんが、【月夜の森】に来てくれてよかった。歓迎します」

宮原さんは隣の椅子から何やら黒い布を取り出して渡した。広げてみるとお腹のところに大きなポケットのついたエプロンだった。

「それと、これ」

宮原さんは三日月に黒猫が描かれたバッジを指の端で持って掲げた。

「凄い!【月夜の森】の月に、ヨルが載っているんですね」

「仕事終わりに雑貨屋さんを覗いたら良いのがあったので、買ってみました」

私は左胸にバッジを付けてみた。月の部分がきらきらと輝いているようだった。

「一緒に頑張りましょう」

「はい」

そして、【月夜の森】勤務一日目が始まった。





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