光の先に飛び込んだ矢先、浮遊感が二人を包んだ。

爽やかな春の匂いが鼻をくすぐる。

眩しい月の光が、朧雲にうすく覆われた夜空を照らし、眼前に広がる。

天道が降り立つと、そこは黒々と広がる草原だ。

左手に森が鬱蒼としげり、右手には整備された道と、小さな灯りが点々と見える。

「こりゃ近くに人里があるな」と天道は目を細めた。


「あれ、外?」

「いや、真魂回録の中に侵入した。ここは最上層ストマックだ。

 まだ溶けきってない、栄養にされちまった魂の記憶の領域だ」

「ここが?じゃあ犠牲者の記憶が再現されてるってこと?」

「そーいうこった。こりゃあ更に潜らねえとな。

 記憶が濃い方……ま、この場合は人里があるほうだな、あっちに行こう。

 真魂回録は過去を遡れば遡るほど、より深く潜れる。

 この場合、栄養になってる魂たちの記憶を辿って、記憶のつなぎ目を探す手が一番てっとり早い」

「……他人の記憶を盗み見るみたいで、なんかヤだなあ」

「なあに、他人の着替えをうっかり見るようなもんだと思えばいい。付いてこい」


先に歩き出す天道。正太郎は不服そうに溜息をつき、後を追う。

広い畑がどこまでも広がり、雪帽子を被る山々が月明かりに照らされている。

しばらく歩くと、田舎の小さな村が見えてきた。

だが奇妙な事に、家屋はどれもレンガや石造り、木造のもので、まるで西洋のお伽噺

に出てくるような建物ばかりだ。

村に続く道に建てられた看板には、アルファベットで単語が書かれており、読み解くことが出来ない。


「何て書いてあるんだろ、これ?」

「あん?……ドイツ語だな。ハノーヴァーのナントカ村、って書いてある」

「読めるの?」

「ちょっとだけな。ともあれ村ってことは間違いねえ」


二人は街道を進み、村の入り口となる門をくぐった。

おざなりに舗装された道を歩き、周囲を見回す。

村は活気に満ちていて、村人らしい姿が多く見受けられた。正太郎たちに気づく様子はなく、彼らは生活の営みを繰り広げている。

所詮は記憶が見せる過去でしかない、ということだろう。


「うわ、結構人多いなぁ。にしても格好が……なんか、変わってるね」

「時代錯誤ってやつだな。日本じゃ見ねえ格好だ」


彼らの服装は古めかしく、小綺麗で、黒を基調とした衣服を着た者が多いという印象だ。

不思議なことに、月明かりと、設置された僅かな松明ばかりが光源だというのに、彼らはこの暗がりを不便に思うことなく活動しているようだ。

夜だというのに畑を耕したり、眠る牛や豚たちの横で厩舎の掃除に勤しんだり、井戸端会議に興じている様子。


「あの人たち、こんなに真っ暗なのに平気なのかな?」

「そりゃあ平気だろうよ。あいつらの顔、よく見てみろ」

「耳?……あっ」


正太郎は、すぐ脇を通り過ぎていった農夫の横顔を見て、はっと目を見開く。

その肌は青白く、その耳は尖り、開いた口には鋭利は牙がにょっきり覗いている。

それも一人二人ではない。

全員がまさに、吉備津山ムツのような、鋭い牙や死人のような青白い肌の持ち主だ。


「まさか、この人たち……全員吸血鬼!?」

「ははぁん、昔聞いたことがあるぜ。

 世界各国には、吸血鬼だけで暮らす集落コミュニティがあるそうだ。

 ここもそういった場所の一つなんだろうよ」


やにわに、建物の一つから怒号が上がった。

そちらを見れば、人だかりが建物の出入り口をぐるりと囲い、怒号や歓声を上げている。

人だかりが囲っているのは、一人の吸血鬼らしい男だった。

着ている上着はぼろぼろで、黒ずんだ汚れが染みついており、浮浪者と見まがうような様相だ。

男が蹲るその足元には、彼の服装には不釣り合いな貴金属類が散らばっていた。

人だかりの吸血鬼たちが男に蔑む視線を向け、ひそひそ話し合っている。


「あいつ、またやりやがったな」

「人里に降りて追い剥ぎとは、救えないヤツだ」

「その上返り討ちだと。弱っちいくせに、生前の悪癖も治せないまま、人里に馴染もうとした結果があれだ」

「救えないやつだねえ。いっそ日晒しにしてやった方が情けってもんだ」


そのうち、建物の中から、数人の男達が出てくる。

蓄えた口ひげや立派な身なり(に正太郎の目には映った)からして、村の中でも立場が高いほうなのだろう。

彼らは貴金属類を拾い上げると、重たそうな袋につめ、男に無造作に放った。


「アダルウィンよ。死の恐怖を分かち合い、我らの真祖より同じ血を分けし者よ、卑しくも昼の民たちから命と財産を奪った罪人よ。

 お前の罪を聞いた。生前と変わらず、山賊めいた卑劣な行為に手を染めているそうだな。

 その罪科は銀の十字架を背負うよりも重く、染みついた私欲の咎は死して尚その魂から剥がれきらぬとみた。

 尊き十の祖先らが立てた夜の立法に従い、貴様に罰を下す。

 盗んだ宝一つ一つを人里に返し、盗んだ宝の数の年数だけ、人に仕えよ。

 己の悪業を反省し、穢れた心を禊ぎ、高潔な魂となるまでは、再びこの地に戻ることは許さん」


アダルウィンと呼ばれた男は、その言葉を聞くと項垂れ、震える手で袋を持ち上げた。

そして冷ややかな目を向ける吸血鬼たちの輪を抜けていき、背中を丸め、村から出て行く。誰もそれを追う者はいない。

姿がすっかり見えなくなると、人々は一斉にその場を離れていく。

厳かな葬式よりも、冷たく緊迫した時間だった。正太郎は息も忘れて、その光景に見入っていた。

直後、村人たちや町の景色が一変する。少しずつ彼らは黒い墨汁のように溶けていき、景色が黒一色に塗り潰されていく。


「あれっ!?け、景色が……」

「多分、あの盗人吸血鬼の記憶なんだろうな。

 この村を出て行ったから、もう記憶としての役割を果たして消滅していってるんだろ。あいつに付いていくのが一番らしいな」


村に背を向けて、追い出された吸血鬼の後を追いかける。

正太郎もそれに倣いながら、黒に塗り潰されていく景色を一瞥した。

消えゆく過去の残滓たちは、無機物的に、責め立てるような侮蔑の視線で、男の背を突き刺し続けている。

ずらりと並ぶ能面のような表情は、不気味でもあり、どこか物悲しくも感じられた。

ふいっと視線をそらし、天道の隣に小走りで駆け寄る。


「なんか、意外だね。吸血鬼ってもっとこう、一人で自由に生きてるもんだと思ってた」

「ま、その辺は連中も、人間と大差ないさ。

 それなりに仲間がいりゃあ、ルールは必要になるし、上下関係も出来る。

 お互いに平和に生きていくためには、仲間だろうと厳しい罰を与える。

 元はヒトだったくせに、ヒト以上の生命体、っていう矜持がある分、連中の方が規律にゃ厳しいぜ」

「ふゥン」


男はとぼとぼ森の道を、ひとり歩く。

その後ろを着いて歩く、正太郎達の背後の道は、用済みとばかりに黒に塗り潰されて崩れていく。

月明かりだけが、次の記憶への旅路を照らす道標だ。

次第に、男は深い森を抜け、別の明るい灯火の群れの方へ向かっていく。

天道は「記憶の繋ぎ目だ。行くぞ」と正太郎の手を掴み、光へと走り抜ける。

男の隣をすり抜ける時、彼は不貞腐れたように笑って、呟いた。


「次はうまくやればいい。今日を捨てても、明日があるさ」



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