神楽はカーナビの音声案内の元、三注連町へと向かう。

目的地は骨董屋ユビキタスだ。目的地まであと1km弱。

閑静な住宅街の中、車を走らせる。時刻はもうすぐ正午に差し掛かろうとしていた。

三好は先程目を覚まし、スマートフォンをぼんやり眺めている。


「三好くん、まだ眠いならもう少し寝ていていいよ」

「あ、いや……ちょっと調べ物してて」

「吸血鬼のことでかい?」


はい、と相槌をうつ三好。

彼の操作する携帯端末には、吸血鬼の伝承や特徴についてまとめたサイトが表示されている。

此度の連続殺人事件は、吸血鬼が下手人だという言葉を思い出したのだろう。

突如現れた二人組の、荒唐無稽極まる発言に対し、殆どの刑事は真面目に取り合おうとはしなかった。

だが三好は思うところがあるのか、ここ暫く、暇さえあれば伝承などについて調査していたようだ。


「今回の事件を解決するヒントになれば……と思ったんスけど。

 書いてることがバラバラすぎて、参考にならなかったっす」

「焦ることはないさ。急がば回れ、捜査は地道にだ。

 幸い、犯人の顔を見た目撃者はいる。

 この町にまだ潜伏中だとしたら、近いうちに案外あっさり捕まえられるかもしれないだろう。根気よくいこう」

「はい……」


三好は、公太郎の証言を元に作成したモンタージュを見つめた。

目尻のつり上がった眠たげな三白眼、色白の肌にこけた頬、長い舌に鋭い歯。

鼻筋や顔の骨格は、現代人よりも寧ろややがっしりした印象だ。

写真で見た、若い頃の祖父がこんな具合の顔つきだったな、と三好は漠然とした感想を抱いていた。

身長は公太郎より頭ひとつ分高いとのことだったので、一八〇センチはゆうに超えているはずだ。

鉛筆でのみ描かれた「吸血鬼」が、紙の上でにやにやと不敵に笑い、三好を小馬鹿にしていた。

二人を乗せた車両は、閑静な住宅街を抜けていく。

ちらりと窓越しに見えた看板には、「新みらい中央児童公園」と書かれてある。

そんな時、不意に神楽が怪訝そうに眉間の皺を深めた。


「ん?」

「どうしました、神楽さん」

「いや。今妙な音が……」


妙な音?と三好は首を傾げる。咄嗟に車内の暖房を切り、耳を澄ませた。

数秒後、三好の耳も何か奇妙な音を拾う。

「工事……の音なわけがないな」、と神楽が囁くように呟いた。

また数秒後、今度はハッキリと、「ガァン!」と硬く痛々しい音が響くさまが聞こえてくる。

まるで金属の板に、巨大な鉄球を荒々しく衝突させるような轟音だ。

二人の刑事は目を合わせた。公園の方からだ。

──直後。神楽の視界に、剛速球で車両に突撃してくる「何か」を捉えた。


「三好、ショック体勢ッ!!」


咄嗟にバックギアをかけ、アクセルを勢いよく踏み後退する。

直後、人間大の何かが弾丸の如く、まさに文字通り

車体すれすれを凄まじい速度で吹き飛んだ──それは文字通り人間であった──は、家屋を囲う垣根に巨大な穴を空け、粉砕する。

もし神楽が咄嗟に車を後退させていなければ、三好と神楽が瓦礫と肉塊の混ぜ物と化しただろう。

二人の背筋にぞ、っと寒気が走った。

窓を開け、神楽は身を乗り出し様子を見る。周囲は激しい砂埃が立ちこめていた。


「な、なんだ今の!?人が吹っ飛んでめりこんだぞ……!?」

「ッ神楽刑事、危ない!」


三好はむんずと神楽を掴んで車内に引き戻す。

直後、砂埃の先から、赤黒く鋭い槍の如き一閃が、車体に向けて放たれる。

それは瞬く間に車のそば、進入禁止の標識に突き刺さると、一瞬にしてそれを真っ二つにへし折った。

斬撃の余波が一瞬、神楽の額の皮膚を浅く切り裂いていた。


「な、あ……神楽刑事、ぶ、無事ですか!?」

「なんとかね。助かったよ、三好くん。ナイス判断だ」

「ええ。それにしても、今の一撃は」

「……ほっぺたをつねる必要はなさそうだ。いてて」


つうう、と顔に伝う一筋の血を拭い、神楽は砂埃を睨んだ。

砂埃が赤黒い、可視化された斬撃により振り払われる。

男が一人、立っている。

フードを被った、ごく普通のマラソンウェアを羽織った青年だ。

だが服は千々にちぎれ、頭に被ったフードも最早その意味をなしていない。

額からは、肌を貫いて、巨大なツノめいた突起が生えているさまがよく見える。


何より、男の体は異様そのものであった。

背中は膨張し、背骨が肥大化して肌を突き破り、血飛沫をまき散らしながら、肉ではなく虫の群れを纏わせている。

ありとあらゆる、派手なものから黒一色に至るまで、視覚的暴力を振う色味の毒虫たちが、男の表皮や突き出た背骨に、肉のかわりの如く纏わりついていた。

口は耳まで裂け、蛇の如き巨大な牙を露わにし、あらゆる傷口から腐った肉のような悪臭を放つ黒い霧をまき散らす。

砂埃は黒ずんだ血の如く染まり、ぶぶぶぶぶ、と不気味な羽音が辺りに満ちている。


「鬼だ」 


青ざめながら、どこか冷めた声で神楽が小さく声にする。

隣で言葉を失っていた三好だが、蛮勇か無謀か、男の顔をまじまじと見つめた。

そして、先の衝撃でフロントガラスに張りついたモンタージュと、男の顔を見やって、「あ!!」と大きな声で叫んだ。


「神楽さん!あいつ、公太郎さんが追ってる吸血鬼と同じ顔!」

「なにッ!?」


怪物と化した男は、黒い霧を纏わせたまま、ずるずると身を引きずり走り始める。

直後、車両の天井がやにわにどすん!と揺れた。

「今度は何だ!?」と喚く三好が車内を見回した途端、助手席の窓に、人間の顔がにゅっと現れる。

刀を背負い、武士の如き華美な和服を着こなした若い男だ。

奇妙な赤い隈取りがらんらんと、肌の上で輝いている。


「うわあ!ぶぶぶ、武士!?この令和に!?」

「おう兄ちゃんたち、このまま乗せてってくんねえ?

 袖すり合うも多生の縁だ、人助けと思ってあいつを追っかけてくれよ」

「どうしましょう神楽さん!ヒッチハイク感覚で武士に同乗頼まれちゃってます!」

「武士の兄さん。あのヤバイお兄さんは君の知り合いかい」

「兄さんじゃねえ、天道だ!

 ちょいと喧嘩ふっかけただけであのザマだぜ。まさか逃げるとはなァ。

 急がねえとあの怪物、誰かしら血も肉も啜って食い殺しちまうぜ!」

「啜ッ……!?」

「あれは」 神楽は平静な声で尋ねる。

「吸血鬼なのかい」

「そうだぜ。よく分かったな」

「刑事の勘ってやつさ。──乗っていけ!代わりに色々説明してもらうぞ!」


神楽は男が逃げた先を見据えた。

天道が後部座席に乗り込んだ直後、アクセルを踏み、男を追いかける。

先程、硬い垣根に叩きつけられたとは思えないほど、男は素早い身のこなしで、天井や壁を伝い奔る。

すれ違う人々や車は、突如走り去る男が斬り捨てた落下物を慌てて避け、そのおぞましい姿を目撃して悲鳴を上げる。

三好は歯軋りしながら、異形の男を窓越しに睨む。


「くそ、アイツ見境なく何でもなんでも切り落として、危ない奴だ!

 でも通行人には目もくれてないぞ、何でだ?

 あいつが吸血鬼なら、人間を見境なく襲うんじゃ?」

「アレはちょいと特殊な吸血鬼らしい。

 それに随分頭に血ぃのぼってるから、血を啜るってどころじゃなさそうだ。

 にしたって、どこ目指してんだアイツ」

「……成程」


一人、カーナビを時折盗み見ていた神楽が、目に閃きを浮かべる。

だんだんと男と車は、人気の少ない丘の方へと抜けていく。

かと思いきや、神楽はハンドルを回し、男を追うでもなく、別の道にそれた。

曲がりくねった細道にもかかわらず、神楽はスピードを上げ、ハンドルを小刻みにさばいていいく。

揉みくちゃにされた三好と天道は、シェイクされる車両の中で、必死に座席に掴まるほかない。


「あでっ、っだ、おいオッサン!」

「お兄さんだ」 神楽はぴしゃりと訂正する。

「アイツが逃げてった方と全然違うじゃねえか!どこ行く気だよ!」

「先回りだ。あの男の行き先に心当たりがある」

「心当たり!?どこですか、神楽さん!」


神楽は器用にも片手運転で、カーナビが写す地図の一点を指さした。


「犯人は現場に戻るっていうだろ。

 俺の勘が正しければ、あの骨董屋が危ない」



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