「はーあ。宗城も姫雪も、つれないわねえ。

 お散歩くらい、付き合ってくれてもいいのに」


独りごちて、黒い日傘をくるりと回す。

芙美は愛らしいゴシックドレスを翻し、バスケットを手に、一人歩いていた。

目的は散歩である。ずっと暗い部屋に閉じこもっていると病気になる、と周囲が口々に外へとせっつくのだから、致し方ない。

まだまだ冬の寒気が名残る午前、巻雲が千々に散る春の空。本日もそこそこの晴天。

抜けるような青に目を細めつつ、自宅を出た芙美の足は、ひとつの公園へと向かっていた。


「日差しが強いわねえ。日焼けクリーム、たんと塗っておいてよかった」


この新みらいが丘市には、各区に学校が複数存在する。

そのため、大きなグラウンドやバッティングセンター、公園が数多く配置され、子供たちの格好の遊び場で溢れているのだ。

新みらい中央児童公園もその一つ。

草野球が出来る広さのグラウンドに、アスレチックが隣接した大きめの公園だ。

だが、そんな広々とした場所に、人気は殆どない。


「あらら。どっかの殺人鬼さんのお陰で、公園も閑古鳥ね」


巷を騒がせる「吸血殺人事件」は、瞬く間に町を跨いで有名になっていた。

路上であったり、憩いの場である公園で死体が出たとあらば、誰もが戦々恐々であろう。

犯人は未だ見つかる兆しはなく、次の犠牲者はいつ現れるかと皆怯えているのだ。

迂闊に子供を外で歩かせれば、いつ干からびたゴムの骸にされるか分かったものではない。

お陰でここ数日、子供だけで遊ぶ姿など、ちらほども見かけない。

車もあまり通らず、人の声もない。

行儀良く並ぶ桜の木々が、淡く花を咲かせ、音もなく花吹雪を散らす。

世界じゅうから声を発する生き物が消えたら、こんな様が見れるのだろう。


「せっかく昼間に遊びに来たっていうのに。つまんないわねえ」


芙美は一人ごちて、ベンチに座る。

桜の枝が折り重なって午前の日差しを一身に受け、強い影が芙美を覆っていた。

芙美は日傘をくるくる回して畳むと、ふう、と息をひとつ吐く。

枝にとまった雀たちが、暢気にちちちっと頭上で囀り歌う。

周りの音を飲み干すような、穏やかな時間。


「花を愛でるも、悪くないわね。欲を言えば、お花見仲間が欲しいところだけど」


バスケットを脇に置き、蓋を開ける。

中身は、持参した本に眼鏡、お弁当箱と水筒がふたつ。

今日の弁当はサンドイッチだ。具はハムレタス、厚焼き卵、ツナマヨなど、彩り溢れるラインナップ。

お昼ご飯まで、まだ時間はある。ひゅうっと冷えた風がふいて、思わずくしゃみをひとつこぼした。

本でも読んですごそう。湯の入った水筒を出し、コップに湯を注ぐ。

コップが十分に温まったのを確認して、別に持参していたティーバッグをぽちゃんと落とし込む。

しばし待つ。鮮やかな色味と香りを確認して、ティーバッグを引き抜き、口をつけてみる。


「うーん。やっぱり私、お茶を淹れるセンスだけはないのよねえ」


苦笑しつつ、コップを脇に置いて本を開く。

自宅から持参した本だ。黒い背表紙に「今も爪痕残す事件─忘れられた五十人の怪人─」という題名が金色に踊っている。

内容はどれも、猟奇的でおぞましい殺人などを扱った内容だ。

未解決事件であったり、犯人が自殺したことで迷宮入りした事件などを、筆者が情報をまとめつつ考察したものとなっている。

戯れに、手がぱらぱらと本の頁をめくる。

そのうち、一つの挿絵をみとめて、芙美は記された文章に視線を落とした。


──吉備津山連続殺人事件。

時は大正五年。悲劇の舞台は、中四国地方某県の山中にあった、「吉備津集落」。

吉備津集落は三方を山に囲まれ、川魚あふれる豊かな川が流れ、海をのぞむ小さな村であった。

整備された道もろくにあらず、二つ山を越えねば別の村にたどり着けぬほどの僻地。

この小さく慎ましい集落に住む、百余りの村人が、──たったひとりの青年によって、全員殺害されてしまった。まだ雪の残る三月初めのことであったという。

下手人は一本の日本刀と松明を手に、僅か八時間弱で集落を巡り、刺殺あるいは焼き殺した。

死体の発見には、犯行から実に三日を要し、その間に下手人は自らの手で命を絶った──


「一人かい、お嬢ちゃん」


しわがれた声が降り注ぐ。

不意に、雀の群れが我先にと慌ただしく飛び立った。

風がざあざあと戦慄き、鼻腔を微かに、甘くも鉄錆に似た匂いがくすぐる。

芙美は本の頁から顔を上げぬまま、口を開く。


「ええ、そうよ。待ち合わせの約束をしてるのに、相手がちっとも来やしないの」

「イケズな奴やねえ。ところで嬢ちゃん、ええ匂いがするねえ」

「あら、春だもの。桜の香りが心地よいでしょう」

「妙に甘ったるくて、スパイシーで、ねっとりした匂いや。ねえ、嬢ちゃん」

「もしかしてお昼ご飯サンドイッチの匂いかしら。ランチには少し早いと思うわよ」

「お嬢ちゃん、あんたから匂うねん。

 まだまだ寒い春なのに、そないにべたべた日焼け止めなんぞつけて。

 で。ワイの獲物はみぃんな、同じ匂いさせとんねん」


芙美はやっと面を上げた。

長身の男がひとり、にやにやと笑いながら見下ろしている。

さながら、直立する蛇だ。卑しく笑う唇の端から、長い舌がぬるぅりとはみ出ている。

穏やかな笑みを崩さぬまま、芙美は目を細め、吉備津山ムツに問いかけた。


「獲物だなんて、荒々しいのね。ねえ、私のこと、食べるつもり?」

「やとしたら、どうする?」


直後、吉備津山ムツの体は、何の前触れもなく横薙ぎに吹き飛ばされる。

フェンスが吹き飛んだムツを受け止め、けたたましい悲鳴を上げた。

ムツは何が起きたか分からないという顔で、フェンスに身を預けながら這い上がる。

当の芙美は笑みを湛え、薙ぎ払われたムツを視線で追うことさえしない。


「私、乱暴な人は嫌いなの。

 特に、私の「遊び場」で悪さをするような、マナーの悪い子はね」

「テメエッ!何しやがった、クソチビメスガキの分際で……」

「後、口が悪い人も嫌ぁい」


ムツが姿を変異させ、六つの腕と刃を生やし芙美に肉薄する。

小さな体躯に刃を振り下ろしかけた直後、空に一瞬影が差す。

また、一瞬にして、ムツの視界が吹き飛ぶ。

今度は鉄製のアスレチック遊具に叩きつけられ、ずるずるとその体は落下する。


「がぶっ、……な、何がッ……!?」

「私に近寄らない方が良いわよ」 芙美は涼しげな声で続けた。

「怖い怖いボディーガードが、常に傍にいるもの」

「しゃらくせえっ、血ぃ吸わせろチビガキ!!」


破れかぶれに突貫するムツ。

だが今度は、襲い来る何者かの気配をしっかり目で捉えていた。

黒い燕尾服に、長い足。咄嗟に刃でいなし、弾き飛ばす。

ムツに飛び掛かった影──宗城は、とんぼ返りを打って芙美の隣に着地する。

刀で斬られたにも関わらず、その足には傷一つない。


「申し訳ございません、おひいさま。つい手出しを。

 天道が始末できぬならば、このまま私が片付けますが」

「駄目よぉ、宗城は手を出しちゃ駄目。追い払うだけになさい」

「ンだぁ、不意打ちの手がもう無くなったか、ボケが!

 この際や、まとめて二人とも生きたまま啜ったる!

 皮はなめして座椅子にでもして、毎日ケツに敷いてやらあっ!」


喚き散らし、ムツは宗城めがけて刀を振りかぶる。

だが、吸血鬼は激情故に、一瞬反応が遅れた。背後に立つ燃える冷気に。

はっと気づいた直後に身を屈めていなければ、その首が飛んでいただろう。

代わりに、素早い一撃が、ムツの腕を二つ吹き飛ばしていた。


「が、ああああああッ!畜生、また腕をッ!このガキぃ!!」

「前に会った時よりニブくなってんな、虫野郎。

 ぎゃあぎゃあ喚くなよ、近所迷惑だぜ」


ぼとりぼとり、と地に落ちて、腕は虫の群れとなって散る。

傷口を庇いながら、憎悪に満ちたムツの目が、背後に立つ天道を睨んだ。

宗城は舌打ち一つ零し、少女はバスケットを開けた。


「天道、今日のお昼はサンドイッチよ。やる気でた?」

「おう。そりゃあ旨そうだ。

 お日さんが南の空に上がる前に、決着付けてやるよ!」



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