「……、……あ、あれ?」


正太郎に痛みはこない。恐る恐る瞼を開け、怪物のほうへ視線を向ける。

目の前の光景に、絶句せざるをえなかった。

怪物の歯は、正太郎ではなく、仁王立ちするひとりの怪物の肩に突き立てられていた。

怪物の体は怪物に劣るものの、普通の男性の二倍は体格が大きく、全身に棘や鱗がびっしりと生えている。

その姿に、正太郎は見覚えがあった。


「こ、公太郎……さん?」


震える声で名前を呼ぶ。男は、自身に生えた太い尾で、怪物を殴り飛ばした。

大型の遊具に叩きつけられ、呻く怪物を尻目に、男は正太郎の足に圧し掛かる遊具を簡単にどかせる。

面をあげた男の顔は間違いなく、公太郎のものであった。


「い、っててて……大丈夫かい、正太郎くん」

「公太郎さん!き、傷が……!」


肩に大きな噛み傷があるのもいとわず、公太郎は正太郎の身を案じている。

ぼたりぼたりと、青い血が辺りにペンキのように散らばる。

安心感から、正太郎は気絶してしまいそうになるのをどうにか堪え、公太郎の首にしがみついた。


「ごめんなさい、僕のせいだ。軽い気持ちであんな怪物を連れてきてしまって……おじさんにまで……」


自分がしでかした後悔と恐怖とで、正太郎は溢れる涙を止められない。

公太郎の、鱗と棘に覆われた手が、守るように小さな背中をそっと叩いた。


「平気だよ。君が無事でよかった。けがは?」

「ちょっと痛いけど、平気です。それより、おじさんの……」

「ああ、コレかい。僕はこう見えて頑丈なんだ、心配しないで」

「あ、いえ、服のほうが……」

「そっちかあ。服ばかりはね、うん……派手にこけてびりびりになった、ってことにしておいてくれる?」


怪物は体勢を立て直し、公太郎を警戒するかのように間をとる。

どうやら鈍いなりに、敵の力を認識しているらしい。


「正太郎くん、目でよく視て。

 相手は色んなもので自分の姿を隠しているけど、殆どは他人の恐怖を吸ったものだ。実体はそんなに大きくないはずだ」


正太郎は涙をぬぐい、眼帯を剥ぎ取って右目に集中させた。

目の中で、モノクロの世界に青い揺らめきが生まれ、怪物を映し出す。

そこにいるのは、一人の子供だった。

体はがっしりとしているけれど、気弱そうな、正太郎と同い年くらいの男の子だ。


【コワイ コワヨォ オトーサン オトーサン ドコナノ ヒトリニ シナイデ】


「視えた!僕と同い年くらいの男の子です!」

「やっぱりか。その子はここで転落事故にあった子供だよ」

「事故に?」

「転落したショックからか、魂が抜けてしまってね。あの名もない妖怪の核にされて、ここまで急速に育ってしまったんだろう。

 生きた子供の魂は、”あちら側”にとっちゃあ格好の餌だからね……!」


子供は蹲って泣いている。

体のあちらこちらから血を垂れ流し、痛い、苦しいと泣いている。

苦しみのクッションとなるかのように、濁りが覆い隠しているかのようだ。


「魂の状態を見る限り、子供は奇跡的に生きている。

君が彼を見つけたことで、彼は正太郎くんを拠り所にしようとしているんだね」


生きている、だけど魂はない。

その言葉で、心臓がきゅっと絞められるようだった。鱗だらけの手が、正太郎の頭をぽん、と優しく叩いた。


「今なら助けられる。僕が囮になるから、君が救うんだ。彼を」


正太郎は目を見開く。

まさか公太郎に、そんな大役を任されるとは思いもよらなかった。


「できるかい?」


公太郎は尋ねるというより、確認するかのように口にした。

正太郎は固くライターを握る。あの恐怖の濁りから、名前も知らない男の子の魂を、何の力もない子供の自分にまかせようとしている。


「――やります!」

「うん、良い返事だ!状況開始だよ!」


正太郎はライターを点火した。轟々と火柱が上がり、正太郎とシンを包む。

散らばっていた正太郎の感情は、公太郎の一言で「相手を救う」ただひとつに向けられていた。

右手には剣、正太郎の装いは白と金の装束に包まれ、顔には真っ赤な隈取が現れる。

正太郎の心が闘争の姿勢を見せた証だ。


「チャンスは一度、ぶっつけ本番だ。シン!援護を頼む!」

『承知だ!正太郎、己が刃の使い方を教えてやる!お前は魂の炎を加速させろ!』

「分かった!」

【 サビシ イ サビシ ィ ヨ ナカマ ナカマホシィィイイ!! 】


怪物が動いた。公太郎たちを飲み込まんと、大口を開けて飛びかかる。

公太郎もまた、怪物に向かって飛びかかった。公太郎が禍々しい腕を振るうと、どこからともなく銀色の鎖が現れ、その両手に収まる。


「我が身、【自縄】を以て【縛】を命ずる!汝、その身を己で縛れ!」


公太郎は鎖をしならせる。

銀の鎖がまるで蛇のようにのたうつと、みるみるうちに怪物の全身へとまとわりつき始めた。

怪物が暴れれば暴れるほど、鎖は深く食い込み、まるでローストハムのごとく縛り上げていく!


「今だ、正太郎くん!」

「はい!」


大きく開かれた口に、正太郎の刃が容赦なくねじ込まれた。

正太郎は咆哮し、力任せに炎の刃を上へと振り上げる。

浄化の炎が肌を舐め、怪物の全身に広がっていく。


切り口からは濁りを焼ききるように、青い炎が迸る。粘液や顔たちは油に点けた火が燃え広がるように、次々と焼き消えていく。

濁りと炎に包まれる中、正太郎は右目越しに、景色を視ていた。


屋上遊技場だ。

先程の少年が一人、とぼとぼと遊技場を歩き回っている。


――父さんがいない。大人が誰もいない。友達もいない。

皆、どこに行っちゃったんだろう。肝試ししようって、一人で飛びだすんじゃなかった。

少年の戸惑いや心の声が、正太郎には手に取るように分かった。

やがて、遊技場のアスレチックの上で、一人の子供が立っていることに気づいた。

男の子は子供に向かって、気丈に尋ねる。


「なあ、ダチと父さんを探しているんだ。だれか大人を見なかったか?」


直後。子供の姿が泥のように形を失った。

恐怖に言葉を奪われた少年の前で、ごぼごぼと泡立ちながら、不格好な大人の形を取る。

無数の顔が浮かび上がり、人型は問う。


【オトナ ッテ ドンナ カタチ?】


少年は悲鳴を上げて、人型から逃げ出す。

けれど遊技場の扉が固く閉じられ、逃げることが出来ない。

人型がじりじりにじり寄ってくる。無数の顔がけらけら笑いながら、子供に手を伸ばす。


「たすけて!誰か、誰か助けて!

 殺される!お願い、開けて!ッ、誰かぁぁああ!!」

【ナカ マニ ナロウ ヨ 】


少年は今度こそ悲鳴を上げて、がむしゃらにフェンスを登る。

高い所だなんてことは、関係なかった。

捕まったら最後、もう只の人間に戻れないことを、お父さんの元に帰れないことを、本能で感じていたのだ。


「はあっ、はあっ!やだやだやだやだ、お前の仲間になんかなりたくない!」

【ドウ シテ ヒトリ ナンデショ オイテ イカレタンデショ】

「ちがう!置いてかれてなんかッ……あ、ああああああ!!」


そして無我夢中でフェンスを登った矢先、強い風に煽られて、少年はフェンスの上から落下する。

最後に見た景色は、驚いた顔が次々に浮かび上がり、怪物が細い泥の触手をフェンスの隙間からのばして、絡めとる瞬間であった。


やがて、濁りが全て消え、傷だらけの少年が残された。

穏やかな顔をした、下がり眉が特徴の子供だ。


「……」

「君は生きているよ。体は元気だし、お父さんが傍にいる。僕たちと一緒に帰ろう」


公太郎は元の姿に戻り、そっと手を差し出した。正太郎もそれに倣った。

少年は怖々と、正太郎と公太郎の手をとり、泡のように消えていった。


あの怪物はもしかして、と考える。

単に、男の子と遊びたかっただけの、想いだけの塊だったのかもしれない。

自分が害を為す何かであるとも気づけないまま――せめて子供の魂だけは守ろうとして、とりこんでしまったのではないだろうか。


「大丈夫だ。今ごろ、魂は体に戻ったよ。……さて」


公太郎はぐるりと、遊技場を見回した。

怪物たちは消えたが、敷地の惨状はそのままだ。

おそらく、下の階で一部の人間が聞いているだろう。この光景を見たモールのスタッフたちの反応は、想像に難くない。


「どこから説明したものかな。この格好のこととか、僕のこととか……帰ってからでもいいかい?」

「別にいいですよ、言いたくないなら、言わなくて」 


正太郎は、先の戦いで溢れ出た鼻血をぬぐった。

きょとんと目を見開く公太郎を見やりながら、シンが軽く正太郎を小突く。


『いいのか、正太郎。お得意の質問攻めをする絶好の機会だぞ』


正太郎は「うるさいな」とシンの霊体をはたいた。

確かに、本音を言えば、色々聞きたいことは山ほどある。

けれど同時に、先程の短いやり取りの中で、お互いに強い信頼を感じた。

だからそれで十分だった。


「おじさんは、もう隠し事はしないって言ってくれた。

 だから、待つことにします。言えないことも、話したいことも」

「……ありがとう。君が賢くて気の利く男の子で助かったよ。

 さて、ここから先は大人の仕事だ。またこってりしぼられるだろうな」


ははは、と公太郎は空笑いする。妹や高雄らの渋い顔が目に浮かぶようだ。

正太郎はしばらく虚空を見つめていたが、おもむろに、俯いたまま、公太郎の手を握った。


「おじさん、僕も一緒に謝ります。

ええと、汚くした理由は……思いつかないんで、おじさんが考えてくださいね」


公太郎は目をぱちくりとさせた。

正太郎は少しだけ面をあげて、弱弱しく微笑む。


「だって、家族《おじさん》の問題は、僕の問題でもある。そうでしょう」


公太郎の頬が、ふと緩んだ。モール内の停電騒ぎも、ようやく収束の兆しを見せていた。




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