『正太郎、退け!あれはお前の手には負えん代物だ!』

「今更だよシン、見て!あいつ、どんどん周りの奴を食べて大きくなってる!

 見え始めてる子もいる!このままじゃモールの中が大変なことになる!」


怪物の咆哮がモール内に木霊する。

窓ガラスが震え、周囲の客が外の天気を気にしている。

正太郎はシンの忠告も耳に貸さず、ずるずると縦横無尽に這い回る怪物を追いかけていた。

怪物は手当たり次第に、近くを浮遊しては逃げ惑う小さな霊たちを次々に飲み込んでいく。


「あの子、知ってる。僕、一度視た。

買い物の途中、おじさんに踏まれてたんだ。僕、つい目があって……!」


シンは眉をつりあげる。

先程見かけた、粘液状の軟体の事を指しているのか、と察する。

正太郎が無意識に目線で追いかけた後、するりと人ごみに消える姿を認めた時が、最後に見た時だった。


『だが、奴はお前より遥かに小さかったぞ。それに敵意もなかった』

「もしかしたら、僕が視てしまったせいかも」

『そうか、公太郎は視ていなかった。お前を門にして、中途半端に干渉できるようになったなら納得はいく』

「シンが言うなら、多分そうかも」

『だが、周囲の生気を吸ってでかくなるにしたって、あまりに不自然だ。ただの浮遊霊の類じゃあないぞ、あれは』


ゲルの怪物を見ているものは殆どいない。

だが何か感じるものがあるらしく、子供や数人の大人たちの顔色が変わっていく。

怪物がぬるりと突き抜けて通過した瞬間、触れたせいか気絶する人間も何人かいた。

新たな被害が出る前に、あの怪物を止める必要があった。


「僕が連れてきてしまったなら、僕がとめなきゃ」

『それよりまずいぞ、正太郎。あやつ、完全に己たちを見ている。

 あの様子じゃ、門として狙いをお前に定めているぞ!』


シンの言葉通り、怪物の目玉らしきものがぎょろぎょろと正太郎達を見据えた。

ヤモリのように壁をよじ登り、吹き抜けを挟んだ通路の正太郎を追ってきている。

策を練らなければ。おそらくこのままでは、怪物と戦わなければならなくなる。

だけど人前で暴れる訳にはいかない。なにより――


「うっかり変身してあの恰好を見られるの、恥ずかしいからなあ!」

『今更それを気にするのか!』

「だって結構見た目的にアブない奴でしょ!燃えちゃうし!火柱出るし!」

『物理的な炎ではない、本当に燃えるわけではないぞ!』

「人の目が集まっちゃうだろぉ!あの恰好とかどうヒトに言い訳するんだよぉ!」


真矢と戦った時、正太郎はどういう理屈でかは分からないものの、全くの別人に姿を変えて戦うことが出来た。

漫画やアニメでいうところの「変身して戦う」シチュエーションというやつなのだろうが、なにせいざ自分が当事者になってみると、かなり恥ずかしい。

もしまた変身してしまう事態になれば、衆目に晒された後の始末が大変そうだということは、子供心でも分かる。

正太郎は壁のモール内の案内図を見た。

三階建てのモールにはそれぞれ、地下と地上、屋上に駐車場が存在する。そして屋外駐車場には更に、ある大きなスペースが存在した。


「屋上遊技場……これだ!」


立ち入り禁止のシールが貼られているが、おそらく人目を気にせず戦うには十分だ。

怪物はますます存在を濃くし始めている。錆びた鉄のような臭いで鼻が曲がりそうだ。


『気をつけろ、奴がお前に目をつけたということは、お前を介して完全にこちら側にくるはずだ。捕まったら一巻の終わりだぞ』

「分かってる!」


相手は完全に標的を正太郎に定め、大きく跳躍してガラスの壁にへばりついた。

通路が揺れ、地震でも起きたかと周りはパニックを起こす。

非常階段だ、正太郎は踵を返し、屋外駐車場に繋がる階段を駆け上がる。

怪物は奇声を発しながら、よろよろと正太郎の跡を追う。

相手の足が鈍いのが幸いした。子供の正太郎の早さでも、間をあけて逃げることができる。

ぐずぐずになった体から、吐き気をもよおす生臭さが絶えず噴き出す。

真矢と対峙した時も、同じ臭いがした。腐臭に近いものだ。胃からせりあがってくるものをどうにか堪え、上を目指す。


【マテ マテマテマテマテマテマテマテママテマテ】

「こっちにこい、こっちにこい、こっちにこい!」


怪物は思惑にはまったらしく、べちゃべちゃと汚い粘着音を立てながら、次第に正太郎の後をつけていた。

いつか映画で見た、巨大なモンスターと少女の逃走シーンを思い出す。

相手はさほど足が速くない。正太郎は無我夢中で、屋上へ走る。


屋上の駐車場は満車で、誰もいないのか静まりかえっている。

下がパニックに満ちていた分、そのギャップは激しい。

遊技場は、屋外駐車場に隣接している。大きな柵がぐるりと四方を囲い、入口は鍵がかけられている。


「くそ、開かない!」


正太郎は悪態をつきながら、遊技場の扉と格闘する。

蝶番に南京錠がかけられ、錆びた鎖の上から新たに頑丈な鎖がかけられている。

すぐ後ろから敵は迫ってきている。正太郎は雄叫びをあげ、体当たりで扉を開けようと躍起になった。


『正太郎、魂の証だ。炎を喚び出せ!』

「っそうだ!ここなら誰もいないもんね!」


シンの言葉に従ってライターを取り出す。

あの時はスイッチを押すなり、天を突くほどの火柱があがった。

──だが、何も起きない。かちっ、かちっと空しく音が響く。


「なんで……なんで点かないんだ!点けよ、点けったら!」


何度押しても、ライターはうんともすんとも言わない。

カチカチと虚しく音が鳴って空回るだけだ。

シンの顔が強張る。その間にも、じわじわと周囲からどす黒くヘドロのようなものが床から、壁から染み出しはじめる。


『火力が足りないんだ』

「火力?」

『魂の証は、使い手の力量に応じて反応するものだ』


正太郎は焦るあまり、何度もスイッチを押す。

押せば押すほど、乾いた音が何度も鳴り響き、正太郎を絶望感に追い込む。


『お前が色んな事に考えすぎるあまり、感情が散漫としているのだ。

 正太郎、今のお前ではそのライターは使えない』

「そ、そんな!あいつとどう戦えばいいの!?」


これでは戦うことができない。正太郎の顔色は急速に蒼褪めていく。

刹那、いやな地響きと腐臭をつれ、怪物が階段からのそりと這い出た。

先程よりも怪物の体は数倍にも膨らみ、いくつもある傷口から、澱んだ体の中身が漏れ出している。

体液は赤黒色から臙脂色に、派手な紫色に変色し、駐車場の床を染めていく。


「ぐ、グロッ……!」

『あの者、ただの怨霊の類ではないぞ。

 おそらく生き霊の魂を核に、幾つもの死霊たちが取り込まれている』


シンは鼻を覆い、顔をしかめた。


『核となる者が中にいるはずだ、それさえ引き剝がせばどうとでもなるが』

「武器もないのにどうやって?」


正太郎のヒステリックな返事はそのまま、甲高い悲鳴に変化した。

怪物が吐きだした濁りの塊が、もろに正太郎にあたり、そのまま遊技場の扉を突き破る。

正太郎は敷地内を転げまわり、遊具のひとつにぶつかって止まった。べとべとした粘液が体じゅうにへばりつき、酸と生臭さが入り混じった悪臭を放つ。


「うええ、何これ!?」

『霊障だ!はたき落とせ、お前も毒されきると、こやつらの仲間入りだ!』


正太郎は腕を持ち上げて粘液を振り払おうとした。

液体の中からボコボコと浮かび上がる白いものがある。不意に白いものは目のない顔となって、ケタケタと笑い出す。

正太郎は絶叫して顔を叩き潰した。顔は卵の殻のようにたやすく割れ、笑い声だけが残される。

濁りからは次々と白く小さな「顔」が浮き出ては、笑ったり怒鳴り声を散らしたり不愉快な子供の泣き声で叫ぶ。中には正太郎の柔肌に牙をたてるものもある。


「このっ、気持ち悪いッ、取れろ、取れろッ!助けて、シン!」

『無茶を言ってくれる!精神を集中させろ正太郎、このままだとお前まで取り込まれるぞ!』


そっちこそ無茶を、と悲鳴をあげ、正太郎は無我夢中で、顔という顔を叩き潰していく。

そうしている間にも怪物は、熊のようなどっしりとした歩みで、四方八方に濁りを吐き散らしながら正太郎へと近づく。

かろうじて距離をおいていられるのは、シンが正太郎と怪物の間に入り、なけなしの小さな火柱で遠ざけているからだ。


『正太郎、隠れろ!お前にかなう相手じゃない!』

「は、っはあっ、変身できれば戦えるのに!」


火柱があがり、怪物は炎をおそれるように二、三歩後退る。

その隙をつき、シンは正太郎の腕を掴んで、アスレチック遊具の影に隠れた。

シンの半透明な体が、小さな正太郎の体を抱き込み、庇うように縮こまる。


『お前を助けてやりたいところだが、己は戦えん。

 せいぜい小さい火でおどしをかける位が手一杯だ。お前が戦える手助けならしてやれるのだが』

「ご……ごめん。シンの言うこと、ちゃんと聞いていれば、こんなことには……」

『泣き言を漏らすな!戦うと決めたなら、後悔する前に奴と向き合え!』


正太郎は震える手でライターを強く握った。

噛みつかれた部分がじわじわと熱をもち、痛みを訴えてくる。

骨が折れるような激痛だ。


『奴め、かなりこちら側に踏み込んできたようだな。ほぼ実体化してしまったようだ。上におびき寄せたのは怪我の功名だな、正太郎』

「あんまり慰めになってないんだけど!」

『慰めてはおらん、事実を言ったまでだ』

「それよりどうすればいいのさ、この状況!まだライターつかないし……」


怪物は敷地を動き回り、しきりに正太郎を探しているようだ。

濁りからうまれた顔が地面という地面でけたけた笑い、ノミのように跳ね回る。

嬌声が耳障りだったのか、正太郎が見つからない苛立ちからか、怪物は吼えて再び濁りを掃き出し始めた。


『よけろ、正太ろ……』

「え、ッ……うわあああっ────!?」


その噴出された濁りのひとつが、正太郎達の隠れている遊具を吹き飛ばす。

少年の体も遊具ごと弾き飛ばされた。

正太郎は痛みに呻きながら、どうにか入口まで逃げようとする。

だが足が動かない。遊具の残骸の重みに、足をとられてしまっていた。

血の臭いを嗅ぎつけた獣がごとく、血走った怪物の目玉が正太郎をとらえた。

足を引き抜こうと正太郎がもがく間にも、一歩一歩、確実に近づいてくる。


【アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ……】

「く、来るな。こないで、あっち行け!あっち行けったら!」

【ヘッタ、ヘッタ、ヘッタ、ハラヘッタ】


挟まれた足が抜けたなら、自由に動けるのに、圧し掛かっている遊具が恨めしい。

怪物は正太郎の怯えを吸って大きくなるかのように、体を膨らませていく。やがて、肥大した腹に、切り裂かれたかのような巨大な分厚い舌と、人間の歯が突き出た。

食われる。

声すら出てこず、正太郎は逃避するように、我が身を抱いて縮こまる。

次の瞬間、肉を裂く嫌な音がその場に響いた。



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