-4- 待ってるから
二階は1階に比べると狭いが、それでも充分に広さのある造りになっていた。いくつか部屋があったが、そのどれよりも小さく作られている部屋の前でアリスは立ち止まった。
「ここしか空いていないけど、いいかしら」
「十分です」
「よかった。何か足りないものがあれば言って。すぐに用意するから」
「わかりました」
アリスは頷いて部屋を開けた。六畳ほどの小さな部屋に、大きな窓がついた質素な空き部屋。壁紙は張り替えたばかりなのか、かなり綺麗だ。床板は所々剥がれていて、家具は木製のベッドだけが置かれている。
「掃除だけは毎日しているのよ」
アリスはそう言いながら俺のスーツケースを置く。それから壁にかかったカーテンを開いた。
「わあ……」
窓の向こうには雨に濡れる森と、微かに見える雨の街の街並み。この高さから見ると街が小さく見えて新鮮だった。こんな高いところから見下ろすことは、めったにないだろう。
この雨も嫌いではないかもしれない。雨が街全体を覆ってくれているようで、不思議な感じがする。いやはやそれにしてもよく見えるものだ。俺はしばらく窓の向こうを見つめていた。
するとアリスはベッドに腰掛け、長い脚を組む。窓にうっすら映るのは、金色の美しい髪が淡い光に照らされている様子。そして彼女は、俺に隣に座るよう手招きした。
「ほら」
「え」
「お座りになって?」
俺は断固として首を横に振った。
そういう行動を平気でする人なのか。
「あの、布団はありますか」
「あるわよ」
アリスは澄まし顔で立ち上がり、部屋の角の押し入れを開けた。中からは薄いブルーの敷布団が出てくる。
「これ、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は受け取ってベッドの真ん中に置いた。
「夕食ができたら呼びに来るわね」
アリスはそう残してそのまま部屋を出ていく。階段を優しく早足で下っていく音が聴こえた。部屋のかけ時計を見てみると、時刻は午後4時を指していた。思っていたより時間が経つのが早い。
ひとまず濡れた服を着たままだと気持ち悪いので、着替えることにした。部屋の扉を閉めて服を脱ぎ、タオルで水気を取って新しいものに取り替える。後で洗濯機を使わせてもらおう。
「……腹、減ったな」
ぽつり、と言葉が漏れてしまう。
朝からろくなものを食べていなかった。何か持ってきていただろうか。スーツケースを開けると、中にコンビニ袋が入っていた。
サンドイッチが三つに、お茶のペットボトル。それらをテーブルの上に並べて置き、スマホを取り出すと、そこにはメールが何件か入っていた。
「……」
差出人はすべて母親だ。
着信も一件入っている。内容は「引越が終わったら電話ください」とのこと。まあいつものことだ。無視しよう。なんていってかれこれ半年くらい連絡していないような気もする。
「……はぁ、しょうがないな……」
このまま無視し続けるのは、なんとなく良心が痛む。とりあえず母親には電話をかけておくことにした。
『もしもし?』
ワンコールもしないうちに、母親の快活な声が響いてくる。反応速度に関しては相変わらずだ。
『ああ良かった! やっと連絡してくれた!』
「そんな大げさに言わなくても」
『心配だったんだから仕方ないじゃない。それで? そっちでは上手くやってけてるの?』
母には半年前に研究所を出て引っ越す予定だと伝えていた。だからこうして安否確認の連絡を入れてくるのだろう。
「うん、大丈夫。なんとか。雨の街ってのはいいもんだ」
『ほんとに大丈夫? 宿は?』
「あー……街の人に泊めさせてもらえることになった。駅舎で寝るとか言ってたのは冗談」
『もう、笑えない笑えない! でもよかった、無事で』
安心したように笑う母の声を聞いて、少し罪悪感を感じる。母は知らない。まさかアンドロイドの住む家に居候することになったなんて。
「じゃあまたかけるよ。体調良くないんでしょ?」
『そうね。ちゃんと定期的にかけなさいよ』
「それはー、わかんないけど」
『あとたまには帰ってきなさい。待ってるから。じゃあね』
「あいよ」
通話終了のボタンを押す。
「ふぅ」
思わずため息が出てしまった。
やはり母親というのは心配するいきものなのだ。まったく。子離れして欲しいものだ。
「……待ってるから、か」
今までずっと研究に没頭する毎日を送ってきた俺にとって、なんだか新鮮な感覚だった。
待ってくれる人がいることは嬉しいことだ。でももういい歳なんだし、自立しようとしていることを受け止めて放っておいてほしい。しかしまあ、それが母親というものだ。心配は尽きない。俺の母は特に。
俺はベッドの上で膝を抱えて座り込む。アリスが座っていたところは微かに暖かい。モーターの熱がベッドに伝わったのか? だとするなら、人間の暖かさを再現しているのか。興味深い。
「……これから、二人暮らしか」
頭の中に浮かんだ言葉。
これから俺はアンドロイドと一緒に暮らすことになる。しかも相手は、女性だ。アンドロイドとはいえ、知り合いとは言え、異性だ。この先どうなっていくのだろう。俺が研究から逃げてきたなんて知ったら、なんて言うだろう。考えているうちに段々と疲労感が襲ってきた。
ただひたすらに逆らわず、ゆっくりと瞼を閉じる。
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