4.

 紫とオレンジのうろこ雲が静かに流れるきれいな夕暮れ時に、リゲルは再びこの町へと戻ってきました。

 いつものようにツヤのないパサパサの銀の毛をひとなでしてから、リゲルは塔へと飛び移ります。


 ちょうど一年前の今日。

 リゲルは老竜と出会った頃のことを思い出していました。

 ひとりぼっちだった自分と、ひとりぼっちだった竜。


「老竜、きみは昔の自分がやったこと、まだ後悔してるんだね」


 老竜はしばらく何も答えずに、ゆっくりと体を動かして海の向こうの夕暮れを眺めました。


「じゃからこそ、わしはおぬしには後悔せずに生きてほしいと願っておる」


 もしかしたらこの出会いは偶然なんかじゃなかったのではないか。

 お互いの『寂しい』という気持ちが強くはたらいて、神さまが引きあわせてくれたのではないか。

 リゲルにはそう思えてなりませんでした。

 同時に、彼を後悔のうずの中から救いだせない自分に悔しくもなりました。


「きみはぼくに色んなことを教えてくれたよ。いろんな場所に連れていってくれたし、お喋りもいっぱいしてくれた。ぼくをひとりぼっちから救ってくれたんだ」


 老竜は大きな岩のようにじっとしたまま動きません。リゲルは心の中の思いをすべて伝えたくて、必死に言葉を探します。


「きみは、ぼくと友だちになってくれるために森を抜け出したんだ。それでいいじゃないか」

「人助けのために……か。シャッシャッシャ、それじゃあまるで正義のヒーローじゃろう」

「そうだよ、ヒーローさ。きみが自分の心の味方になってやれないなら、ぼくがきみの心の味方になってやる。だってぼくはきみの一番の友だちだからね」

「シャッシャッシャッ。人間の友だちなどまったく奇妙じゃが――悪くない。もう体がカラカラで涙も出ないが、流せるなら泣きたいくらい嬉しいのう」


 そういって老竜がシャカシャカと笑ったので、リゲルは老竜の鼻先に顔をおしつけて、一人と一匹分の涙を流しました。

 それは別れの悲しみだけじゃなく、出会えたよろこびと、ひとりじゃない嬉しさがないまぜになった、あたたかい涙でした。



「最後に、おぬしの鳴らす鐘の音を聞かせておくれ」

「うん、いいよ」


 頷いたものの、リゲルはなかなか鐘を鳴らせずにいました。この鐘を鳴らせば――鐘塔守りに戻ってしまえば、老竜と別れなければならないからです。

 ぐずぐずやっていると、老竜がせかすように鼻息をふかしたので、リゲルはしぶしぶ鐘の鳴らし棒に手をかけました。

 しかし、棒はびくともしません。


「どうしたのじゃ」

「どうしよう……一年も放っておいたから、鐘がさびついちゃったんだ」


 これでは鐘を鳴らすことができません。

 リゲルはたちまち顔を青くさせました。せっかく鐘塔守りが戻ってきても、鐘が使い物にならないのではどうしようもありません。


「お困りのようじゃな。どれ、正義のヒーローがおぬしの願いを叶えてやろうではないか」


 えっ、とリゲルが声をあげた瞬間、老竜の体から金色の光が次々と吹きだしました。

 暮れる太陽よりも熱く燃え、どんなに晴れ渡った日の朝日よりもまぶしく輝き、鉄くずのようにくすんでいた毛が、先っぽからさらさらと砂金に変わっていきます。


「待ってよ! どこに行くの? ぼくをひとりぼっちにしないでよ!」


 リゲルの叫ぶ声もむなしく、老竜の体はやがてすべてが砂金に変わりました。

 金の粒子は踊るようにしてリゲルのまわりをぐるぐると回ったあと、さびついてしまった鐘を包みこみました。


 一瞬いなずまが落ちたように視界が真っ白になりました。思わず両目をぎゅっとつむったリゲルの耳に、しゃがれた声が届きます。



――寂しくなったら鐘を鳴らせばよい。

――黄金の鐘はわしの体。

――響きわたる鐘の音はわしの声。


――リゲルよ。

  これからはわしがずーっと一緒じゃ。



 リゲルがゆっくりと目をあけると、そこには黄金色の鐘が、夕日にあてられてキラキラと輝いていました。

 瞳にたまった涙で視界がにじんで、金色はよけいに輝きます。こんなにも美しい黄金色の鐘は、世界じゅうどこを探してもきっと見つからないでしょう。


「ぼくたちもう、ひとりぼっちじゃないね」



 真っ赤に燃えた太陽が沈む海。

 それらに囲まれた町。

 そびえたつ高い塔の上で、海や町に向かって、リゲルは黄金の鐘をうち鳴らしました。

 荘厳そうごんな鐘の音が町中に響き渡った瞬間、人々がどこからともなく町の外に出てきて、鐘塔を見上げて拍手を送りました。


「この町に、鐘塔守りが帰ってきたぞ!」

「おかえり!」

「待ってたよー!」


 喜びの声があちこちでわき立ちます。

 リゲルはその日、晴れ晴れとした気持ちで人々の為に日が沈むまで黄金の鐘を鳴らし続けました。




 このお話はまたたく間に町中に広まり、人々はお祭りさわぎで喜びました。

 そして、黄金の鐘をもつ鐘塔は『老竜の塔』と呼ばれ親しまれるようになりました。


 街の掟も改められました。

 塔への鐘塔守り以外の者の立ち入りを禁じていた掟は撤廃され、誰でも塔へのぼれるようになったのです。

 これは、鐘塔守りがいなくなったこの一年の間、大人たちが頭を突き合わせて出した結論でした。


 塔の中は、今日も子どもたちの笑い声で溢れています。

 そんな老竜の塔で、リゲルは今日も、太陽が目を覚ます前から四〇〇段の石階段をかけのぼり、朝日とともに鐘をうち鳴らします。

 あいかわらず冬は冷えてさむいし、朝起きるのは眠たいけれど、それでもリゲルはちっとも苦になりません。


 だって、塔の上ではいつでも友だちと一緒なのですから。



 おしまい

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鐘塔守りの少年 さかな @sakanasousaku

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