森の鯨

栄三五

森の鯨

うちの店の最後の寿司を食べに来てくださってありがとうございます。


地元衆は昨日店に来たんでね。アンタが正真正銘最後の客です。


いや、そんな顔せんでください。これも時代の流れです。

この寿司屋もあっしで8代目になりますがね、まあよく続いたもんですよ。

海無し県の森の奥に店を構えて、客足が途絶えなかったなんてことはこの方一度もなかったけど、地元衆や神様のおかげでなんとか今までやってこれました。


それに、うちの店はなくなりますがね、これからはアンタが引き継いでくれるでしょ。

この前街に行ってね、アンタんとこの本店で食べてきました。

いやあ、旨い寿司だった。あの味を、この場所でも提供してくれるってんなら神様でも文句は言わんでしょう。


来年には高速道路も通るんでしょう?そうすりゃ店に来る客だって増える。

今よりずっと商売がやりやすくなるはずでさぁ。


ん?あっしはどうするのか、って?

実は頂いたお金で、母方の地元で店を開くつもりなんです。

土地と家はあるんでね。かかるのは改装費用くらいでさぁ。

残ったお金でレーシックのローンも返済できるんでね、万々歳ですよ。

ああ、あっし数年前に視力が落ちましてね。メガネが嫌で、手術したんです。


おっと、すいませんね、要らない話ばかりして。


はい、できましたよ!10貫お待ち!!


……どうですか?………旨い?そいつはよかった。

そんでね、この前も説明した件なんですがね、店をお譲りする条件。

月の初めに一度、必ずこれと全く同じ寿司を店の裏手奥の祠にお供えしてほしいんです。


誰へのお供えか?そりゃあ、お供えっていえば、神様でしょう。

信心がないって?大丈夫ですよ。あっしもそうでした。


…数年前の話なんですがね、あっし視力が悪くなりまして。

視力ってのは日々少しずつ見えにくくなっていくもんだから中々自分ではわからない。

気づいた時には相当見えにくくなってました。

仕事にも支障をきたすってんで、街の眼鏡屋さんにメガネを作ってくれと依頼しましてね。完成まで1週間程、月初めに受け取りに街に行く予定だったんです。


受け取りまでの1週間見えにくいながらもなんとかミスなく乗り切りました。でも、メガネを受け取りに行く当日、とうとうやらかしちまいましてね。

お供えと村へ届けに行く寿司を間違えたんです。同じ10貫ですが、ネタが違う。

朝お供えをして、寿司を村へ届けて、そのまま街へ行ってメガネを受け取る予定だったんです。


村で寿司を受け渡したときに間違いに気づきました。村のお客さんはおおらかな人でね、これはこれでいいよって言って下さったんです。

そこでホッとして、あっしも気が緩んだ。今から店に戻ってお供えを作り直してたんじゃ街に出るのが夜になる。街でメガネを預かってから、店に戻ってお供えしなおせばいいじゃないかと、そう思ったんです。間違いでした。


数年前地震があったでしょう。ええ、あの大地震。この辺でも地滑りが起きて大変だったんですがね。

同じ日なんですよ。お供えを間違えた日に、地震が起こったんです。地震が起きた時間あっしは街へ出ていました。


地震の直後村に戻ると、地元衆から『神様がお怒りだ』だの『お役目は果たしているのか』だの、えらく問い詰められたんですがね。

あっしは先祖代々の習わしだからやってただけで神様なんぞ信じてない。素知らぬ顔でいました。

ただ供えた寿司をほっとくわけにもいかねえんで、被害が出た家の修理を手伝ってから、夜になって店に戻りました。お供えを片付けようと祠にむかったんです。


店から祠まで通り道の草は刈ってますんでね、暗かったんですが慣れた道。

メガネをかけてから視界もよくなったんで、灯りを点けずに祠に向かいました。

歩くと数分もせず祠に着きます。祠の前にはちょっとした広場くらいの空間がありましてね、普段はそこで手を合わせてからお供えをするんですが、その夜は広場に入る足が止まった。



何かいるんですよ。広場に。

あたりがまっくらだから何にも見えないんですがね。確かに祠の前で何かが蠢いてる気配がする。


とっさに草陰に隠れました。

草陰にしゃがんだまま顔だけ出して、祠を見るとたまに祠に影のようなものがかかる。

夜闇の黒に濃い部分と薄い部分があって、濃い影のような部分が時折動いているんですよ。

あっしは混乱してわけもからないまま、目の前のものの正体を見極めようと、メガネ越しに目を凝らしました。

そのうち目が慣れてきたのか、おぼろげに濃い影の輪郭が見えてきました。


なんというか、不思議なかたちでして。

先頭部分はまるみがあって頭でっかちで、尾っぽみたいな部分は細くて、まるで鯨みたいでした。

鯨は宙に浮いたまま尾っぽをうねうねと動かして、祠の前を右に左に行ったり来たりしてるんです。


目の前の鯨が神様だとして、祠の前を見張る様に陣取ってる理由なんて一つですよね。


混乱よりも恐怖が上回ったあっしが後ずさりすると、藪にぶつかってガサリと音をたてちまいまして。

ふよふよ動いていた鯨がピタリと動きを止めました。

そして、グリンとこちらを向いて、尾びれを動かしてこちらに向かってくるんです。


あっしは悲鳴を上げて、来た道を戻りました。

店には戻らずに森を抜けて山を下りて、無我夢中で走り続けたらいつの間にか村の自分の家に着いていました。


鯨が追いかけてくるんじゃないかとその日は気が気でなかったんですがね。何事もなく翌日になりました。

翌朝、店を開けてすぐに10貫作り直しましてね、お供えをし直しに祠へ行くと、鯨はいませんでした。ただ、前日に備えた寿司がね、ぐちゃぐちゃに散らばってました。

まるで、怒りに任せてあちこちに叩きつけたみたいでした。


以降、翌月も月初めにお供えを続けました。間違いなく、10貫同じものを同じ質で同じ配置で。


あれから後、地震は起きていないし、鯨も見てません。

まあ、鯨が見えたのがメガネのせいだとしたら、あの後も広場にいたのかもしれませんがね。



そういうわけで、お供えだけは毎月お願いしまさぁ。誰かがやらないといけないお役目ですから。

ええ、信じなくとも結構ですとも。あっしもそうでした。

なに、結果ならすぐにわかりますよ。アンタの店の寿司なら大丈夫です。



それじゃあ、以後のことはよろしくお願いしまさぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

森の鯨 栄三五 @Satona369

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ