4-2

 彼の目に何が写っているのがはわからないけれど、彼は何をしに私と同じ場所へいくのだろうか。まさかとは思うけれど、海を見て煙草を吸うとか? そんなことをしても完全に自己満足だけ。


 小さな、変なこだわりの積み重ね、そう言うことが大事なのかもしれないけれども。プライドなんて、言い換えれば今まで積み上げてきた何かでしかないのかな。不思議だね。よく見ると彼は大学の人とは違う。顔が全然違った。


 どうして彼とその人を同一人物だと思ったのだろうか。今更それを訂正する気にはならなくて、だからと言って彼に何かを話かけるような気にもならなかった。このまま電車に乗っていれば海に着く。そうしたら聞けば良いだろう。彼がそこに行きたい本当の理由、本当はそんなこと、私は知りたいわけでもないのだろうけれど。だって彼とはなんでもないじゃない。


 電車は走り続けて、段々と駅と駅の間隔が広くなっていく。都会の人は一駅歩くと簡単に言うけれど、これじゃあとてもじゃないが歩くなんて不可能だと思う。都会と田舎は距離感が違いすぎるんだ。あと何駅あるのか数えようかと思ったけれど、実際にそれをしたところで意味がないからやめた。電車に乗ってから、ここまで会話らしい会話はない。


 私たちは友達でもなくて、知り合いでもない。だからそのくらいの距離で丁度いいんだと思う。一緒にいるからって会話をしなければいけないなんてことはなくて、黙っていても同じ時間を共有できている自覚があればそれでいい。少なくとも、私と彼の目的は同じ。『海に行くこと』それだけなんだ。


 それをしたからって何がどうってなるわけでもないと思うけれど、少なくともくだらないことを忘れるための気分転換としては十分。生きている限り人生は続く。だから、時にはこう言うことだってあったっていいと思うんだ。電車はガタン、と止まってプシュー、と扉が開く。


 〇〇駅~とアナウンスが入りドアが閉まってまた進む。あ……気のせいじゃなければ、むこうに海が見えた気がする。それを彼に言う気にはならない。沈黙の会話ってあるけれど、それは都合の良い相手としか成立しない。


 親密な恋人同士なら会話なしの意思疎通はできるのかもしれないけど、少なくとも今の私には無理だ。悠二とさえ無理だった。彼とは二年間付き合って、それなりに楽しいこともした。碌でもない口論から喧嘩になったことだってあった。


 今となっては何が原因かよく思い出せないのだけれど……。忘れて良いことだったのかもしれない。悠二とは一緒に遠くに行った記憶がない。彼とだけでもなく、遠くに行った記憶がない。両親とも? 多分そうだ。


「寒いねェ」


 彼がボソッと呟いた。私が変なことを考えている間、彼は何を思っていたんだろう。目的地までずっと黙っているのかと思っていたから、彼の言葉を聞くなんて思わなかった。


「そうだね、まだ十一月なのにね」


 何を言うべきか、正直なところ困っていたけれど、きちんと、自然と言葉が出てきてくれた。人間って本当、不思議な生き物だね。こういう時に脳がどう動いているのかしらないけれど、すごいと思う。でも、その賢さ故にいつか滅びてしまうんだろうな。結局は皆海に帰るのかな。今の私たちみたいに。


「十一月、雪降るかな?」


 ここは、って言いたいのだろうか。少なくとも、埼玉県春日部市はあんまり雪は降らない。


「どうだろう? 千葉ってあんまり雪のイメージないよね。南の方は暖かいんじゃないかな」


「そうか。残念だ。俺は雪って結構身近にあったもんでね。ところで海に雪は積もるんだろうか?」


「砂浜に雪が積もっているところって、そういえば見たことも聞いたこともないね」


「残念だ」


「ところであなたの名前聞いてもいい?」


「高橋亨」


 たかはし・とおる……やっぱり知らない人だった。それが本名なのかどうかはわからないけれど、彼が嘘をつく理由ってない。だってそれが本当かどうかって私にはわかりようがないんだもん。


「ごめんなさい、私の勘違いだったみたい。大学の人はそういう名前じゃなかった」


 じゃあなんて名前だったっけってのは思い出せないんだ。少なくとも、高橋亨って名前ではなかった。彼とは何度か大学で会っただけだし、浅い関係でしかないんだけれど、名前のイントネーションが違っているはず。


「知っている。と言うか、俺は純粋に大嘘つきだから、その人のふりをしたってだけなんだ。俺は中学校だってろくに行っていないから。だから大学なんて近寄ったこともないんだ。入場料はかかるのかな?」


「試験のことを言いたいんだとしたら、確かにテストは入場料かもしれないね」


「テスト、ね。テストを受ける気力はないな」


「今までの話はどこまでが本当のこと?」


 彼は視線を私に向けた。おいおい、海が見えなくなるぞ。


「そうか、大嘘つきだって言ってからだと、何を言ってもそうなっちまうな。じゃあ今からは本当のことしか言わないようにするよ。中学校をろくに行っていないってのは本当。後は嘘と言うよりも適当だ」


「名前は」


「名前? ああ。高橋亨って名前か。これは本名だよ」


「大学生の振りは上手だったね」


「大学生ったって、結局は学生だろ? 働いたことのない連中なんて、学生生活の延長線上にあると思えばなり切ることは簡単だよ。高校生にだってなれる。制服を着る気はないけれどね」


「他になりきったものについて教えてよ」


 彼は海の方に視線を向けた。違う、向けたんじゃなくて戻したんだ。

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