2-5

「ごめん、ボケっとしていたよ。時々、こうやって何も考えない時間を作らないと生きていけないもんでね。人生ってのはそういうもんだと思わないかい? 俺はそうやって生きてきたんだ。中学の頃から。大学の話だったね。ああそう、俺は〇〇大に通っているよ。君もそうなのかな?」


 彼の表情、一見しっかりしたことを言っていると思った。だけど、発言は嘘かもしれないとも思った。目は泳いでないし、表情も変わらなかったけれど、声に固さが混じっている。それはよく悠二から聞かされた話の時に、彼もそういう堅さがあったから。


「私もそうなんだ。大学で見たことあるなと思ったから声をかけたの。迷惑だった? ならごめんなさい。私は他の電車に乗るよ」


「迷惑なんて……。嬉しいよ。俺もまだ、まともな会話が出来るって実感しているからさ。そういう偶然ってのは珍しいよね。今は基本的に、知り合いすら無視するような世の中だと思うからさ。昔は違ったんだろうな。それはそれで良かったんだろうね。俺はさ……」


 そういって彼は、煙草をポケットから出してパッケージを振った。でも、途中で気が付いたのか、飛び出た煙草を叩いて箱に戻して、ゆっくりとポケットに戻していた。


 駅はずっと禁煙、私が高校生になって電車を毎日使うようになったときはもう、そうだったから、多分もっと前からなんだろう。どうして彼はそんなことをしたのか。長年の習慣によるものなのかな。


「駅は禁煙だったな。実は、さっきまで昔の小説を読んでいたから、駅でも煙草が吸えるもんだと思ってしまった。こうやって物語に入り込みすぎるってのは、どうもいけないな。どっちが現実なのか分からなくなってしまうんだ。むしろ逆転して欲しいとさえ思う。しかし、そうなったら、気の毒なのは物語の主人公だろうな。俺は本の内容を知っているけど、本の主人公ってのは俺たちが今いる現実なんて全く知らないんだからな。案外、順応するかも知れないけどさ。だからこそ、彼らは物語の主人公になれたのかもしれない。しかし、喫煙ってのは病気だよな。どんなときだって最初に灰皿を探してしまうんだ。ところで君は煙草を吸うんだっけか?」


 変な人。それが私の彼に対する印象。でも、悪い人じゃないとは思った。ちょっとイカレているだけなんだ。


「残念ながら私は吸ったことないし、吸おうと思ったこともないんだ」


「結構、結構。それが良い。喫煙はかっこいいってイメージ作りに必死だけれど、こんなのはただの中毒だからね。かっこよくもわるくもない。火を使って、煙が出て、灰が出る。結果、ただの中毒者になるだけだ」


「そう思うのにやめる気はないんだね?」


「不思議だな。それだけデメリットがあると分かっているのに吸い続けてしまう。しかしね、一つだけ利点があるとすれば、気を紛らわすことだけは可能かもしれないってことなんだ。よくよく考えると、気が紛れたって、何も解決しない。ただ病気になる可能性が増えて、金が減って、灰と吸い殻が出るってだけさ。本当はコンビニだってなんだって、灰皿の掃除なんてしたくはないんだと思うよ。純粋なサービス、それに乗っかるのは俺たち喫煙者だ。吸う?」


 彼はまたポケットからさっきの煙草を取り出して、私の方に向けた。周りが見えずに、自分の置かれている状況や自分の話したことを忘れてしまうタイプの人なのかな。


「駅は禁煙だよ」


「おっと、そうだったね」

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