第7話 逃げ道

「では、王都で何か購入した際には、こちらを提示するように」


ダックスフントが机の上に手のひらサイズの丸い石を出したので、それを手にとってしげしげと眺める。


「これは?」

「宰相補佐官の家紋がかかれた身分証で魔道具でもある。それで決済すれば、請求はすべて彼のところにいくだろう」


ボストンテリアがすかさず説明してくれる。よくわからないがクレジットカードみたいなものだろうか。

限度額があるのかもしれないが、とにかく資金は調達できたと考えていいだろう。


「わかったわ。じゃあ、これで終了ね」

「誓約書は互いに持つことが決まりだ。持っていったほうがいい」


誓約書がいつの間にか二枚に別れていたので、そのまま一枚を受けとる。王太子の時は消えてしまったが、こちらは残るようだ。残る方がありがたいので、用途で使い分けていいるのだろう。

折りたたんでも大丈夫だと言われたのでウェストポーチの底にしまい込む。

そうしてダックスフントの部屋を出た。

しばらく廊下を進んで人気のない中庭に出ると、美生は勢いよく頭を下げた。


「ごめん、嘘ついて勝手に取引に使って。断りもせず触ったことも悪かったわね」


ボストンテリアは、静かに佇んで、しばらくは無言で美生を見下ろしていた。怒っているようには見えなかったが、だからといって決して愉快だったわけではないだろう。


すんと鼻を動かしたボストンテリアは興味深そうに首を傾げた。


「上手く金を手に入れたんだろう。なぜ後悔している?」

「貴方の了解を取らずに共犯者にしちゃったから……それに一方的に触るのもよくないんでしょ。匂いつけと同じ行為だもの」

「構わない。俺が少しでも貴女の役に立てるなら好きに使えばいい。最初からそのつもりだ」

「他人の好意を当てにして気持ちを踏みにじることはクズのすることだわ」

「本人が了承しているのに?」


心底理解できないと言いたげに問われ、美生は目一杯頷いた。


ふぅん?と考えるように息を吐いたボストンテリアが、美生の手を掬うように取り、そのまま自身の頬に当てる。


「もっと撫でてほしいくらいだ」

「むやみに匂いをつける行為はクズの行いなんじゃないの?」

「貴女の匂いに惑わされているのかもな。貴女の匂いで満たされたい。そのためならなんでもするし、不快なことなど一つもないな」


うっとりと瞳を細めて告げられれば、さすがの恋愛経験のない美生でもわかる。これは相当に惚れられている、と。

匂いってすごいなと思わず感心するほどだ。美生の容姿など平凡だ。せいぜいがちょっと可愛いくらいでしかない。だというのに、まるで絶世の美女になったかのような錯覚に陥る。


慌てて手を取り戻せば、彼は名残惜しそうに瞳を眇めた。


「そして貴女の身に俺の匂いが移るのも大歓迎だ」

「何一つ返せませんけれど!」


彼の想いが重すぎる。

思わず即答で断れば、ボストンテリアは可笑しそうに笑う。


「貴女から何もかもを奪った世界の住人なんだ。これ以上の施しを受け取るわけにはいかないだろう?」


そんなことが言えるのは、彼が高潔だからだ。もしくは、ありえないぐらいの善の生き物だからだ。


あいにくとそこまでできた人間ではないし、そこそこ小悪党なので美生には眩しすぎた。

目眩に似た感覚に、思わず目を閉じる。


「町に行くのだろう、早くしないと日が暮れるぞ」


どうやら、今は美生を逃してくれるらしい。

逃げ道を用意してくれた優しいボストンテリアに乗っかって、美生は大きく頷いたのだった。


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