20.彷徨

 お腹が空いた。そういう感覚が消えてから、幾日経つのだろう。

 俺は。自分がどこにいるのか、どちらを向いているのか。

 そんな事すら考えずにひたすら歩き続けた。


 シェルナーナさんが着せてくれた、黄色いパーカーも、もう真っ黒に汚れて。

 今の俺が纏うにふさわしい、薄汚いありさまだった。


 卑怯者の臆病者。

 自分を、そう罵ると。腹の底から、僅かに力が出て。

 足を進める力が湧いてくる。

 天を見上げると薄曇りで、太陽がどこにあるのかわからない。


 公園があった。水飲み場がある。

 俺は、よろよろとそちらに向かっていった。


 不思議なことに、お腹が空かなくても、水は体が欲しがる。

 公園で遊んでいる子供たちは、俺になんか目もくれずに、はしゃぎまわっている。


 眩しいような無邪気さ。でも。俺もまだ、子供だったはずだ。

 そこで気が付いた。

 子供は、庇護者がいて初めて子供足りえるのだと。

 親がいない子供は、いきなり世の中に放り出されて。

 子供である時間なんて持てないんだってこと。


 ゴミの街では当たり前だった常識が。

 公園で遊んでいる子供たちを見ると、異常であったことがわかる。

 でも。

 それでも。


 俺は、向こう側。には行けない。


 満たされて幸せで、愛情にあふれて。

 シェルナーナさんたちが、一度だけ見せてくれた夢の世界。


 あの世界はもう、俺には戻ってはこない。俺はあの世界には行けない。


 歩いているうちに、河川敷にたどり着いた。

 何の気なしに見上げた空は、いつの間にか晴れていて。

 巨大な夕日が沈んでいくさまが見えた。


 暖かいものだな、太陽というのは。

 そんなことを思った。

 仲間の危地にすら、自らの手を汚すこと厭うように助力を拒んだ。

 臆病で、無力で。

 存在価値すら無いとしか自分でも思えてならない俺を。


 太陽は何も言わずに、暖めてくれる。

 河川敷の土は弾力があり、踏みしめると気持ちよく押し上げてくれる。

 風が気持ちよかった。

 川の水の湿り気も、心地よい。


 俺は、その場で大の字になって寝てみた。


 夕日が沈んでいって、星空に変わっていくまで。

 ずっと。ずっと。

 なんでこんな風になってしまうのだろうと悲しくて。

 それでも、生きていることは慰めがあるのだと。

 人が慰めてくれなくても、自然が慰めてくれる。


 そんなことを感じた。


   * * *


「おい、ガキ。ここらは俺たちの縄張りだ。勝手に寝るな」


 頭を蹴っ飛ばされた衝撃で目が覚めた。ポカリと目を開け、蹴っ飛ばした奴を見上げる。


「おい、このガキ。もう駄目だぜ。目が死んでやがる。まだ十歳かそこらなのに。親は何やってんだろうな?」


 汚いなりをした見るからに宿無しの男が二人。手には、ポリパックに入った生肉を持っている。


「お? 何見てんだよ。肉なら分けないぜ。俺たちだって、一か月ぶりの肉なんだ。空き缶集めで貯めた大切な金で買った、な」


 寝転がったままで、男たちの方を見ると、背後に橋の下が見えて。

 そこにビニールシートで作ったテントが見えた。

 この男たちは、あそこで住んでいるんだろう。


「……迷惑は……かけない」


 俺はよろよろと立ち上がって。また歩き始めた。

 とにかく、この河を下流まで歩いて。


 海岸に出よう。

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