第7話 "きつねうどん"と"チキン南蛮定食"


 思考は麻痺していたんだと思う。水原君――爽君に手を引かれ、学生食堂に入った途端、空気がざわついたのを感じて、思わず目が点になる。


 自分に対して奇異の眼差しな向けられる。それは転校する度、毎度のことで。でもそれ以上に、女子達からの歓迎されない視線が、私を突き刺してくる。


 ――なんなの、あの子?

 ――ほら、噂の転校生でしょ?

 ――何で、水原君と一緒にいるのさ?

 ――また、水原かよ?

 ――またスカした顔してるぜ?

 ――本当にムカつくよな?


 そんな声が遠慮なく響く。


「あ……」


 思わず、すぐに爽君からから離れないとって思った。でも、彼の手を離そうとしたが、きゅっと掴まれて指が絡む。


(……ちょ、ちょっと……爽く、ん?) 


 これ以上、彼の好意に甘えてちゃいけない。明らかに爽君の迷惑になってしま――。


「……本当に迷惑だね」

「あ、その、ごめんなさ――」


 予想していた言葉が紡がれて、私は胸を抉られた想いになる。体の震えてしまう。

 離れなくちゃ、すぐに離れなくちゃ――。

 そう思えばそう思うほど、爽君の指が私の指に絡む。

 小さく、彼は息をついた。


「ひなたが謝る必要はないからね」


 それは、まったく予想もしていない一言だった。穏やかに、そんな微笑を爽君は溢していた。


「で、でも私が……私、爽君――水原君の迷惑になるから、やっぱり1人でご飯を――」

「言い直さなくていいから。でも、名前で呼ばれると嬉しいね」

「え?」


 爽君は周囲にはまるで意を介さないと言わんばかりに、私に向けて微笑む。ただ、それだけなのに、恐れも震えも、動悸も全部溶かされていく。


「でも、流石に煩わしいか」

「そ、爽君?」


 私の困惑する声を受け止めながら、爽君はスマートフォンを操作した。彼はまるで歌うように、言葉を紡いでいった。


 ――木を見ずして森を見る者は、賢者との邂逅は叶わず。Macroマクロ再生【スクリプト:隠者】


 爽君が呟いたその瞬間、スマートフォンに触れていた指先に集う。指でスクロール、フリックさせて、タップ。光がその一瞬で弾ける。

 私は思わず息を呑む。この瞬間、空気がガラッと変わったのを感じた。


 何が変わったのかと聞かれたら、何とも説明のしようがない。

 周囲の人たちは、何も変わらない。


 ただ、さっきまで向けられた悪意ある感情は、ウソのように消え去っていた


 興味をなくしたワケじゃない。私がいることもちゃんと認識している。自分達にぶつからないように配慮してくれる子もいる。爽君に気さくに声をかけてきた子もいる。でも、私と爽君への関心は、極端に薄くなっている気がする。


 ――昨日のドラマ、泣けたよね!

 ――ニッコニッコ動画の週間歌い手チャート、見た?

 ――COLORSの新譜が出るらしいぜ?

 ――今日カラオケいかない?

 ――ごめん、バイトなの。

 

 まるで何事もなかったかのように、日常会話は続いていく。

 私と爽君に関する話題は、すっかりこの場から欠落してしまったかのように。

 その変わりように呆気にとられ、唖然としてしまう。でも爽君はそんな周囲に意を解すことなく、ふんわりと私に向けて微笑んだ。


「ひなた、席で待っていて。俺、注文してくるからね」

「え? あ、でも券売機で先に買わないとなんだよね?」

「鶏南蛮定食ときつねうどんで悩んでいたけど、やっぱりきつねうどんにしたんだっけ?」

「え、あ、うん……?」


 あれ?

 私、爽君に言ったっけ? 思わず首をひねっていると、彼はもうすでに行動に移していた。


「待っていてね、すぐに戻るから」

 爽君がニッコリ笑む。コクコク、私は頷くことしかできなかった。

 ずっと止まらない、ドキドキと胸打つ鼓動。なんとか抑えようと、胸に必死に手を当てながら。




■■■





「いただきます」


 私と爽君は、行儀よく手を合わせる。自然とその声が重なった。

 少し、こそばゆいって思う。

 こうやって、家族以外の誰かと一緒にご飯を食べるのは、本当にいつぶりだろう?


 ただ、向い合って食べるだけなのに、気恥ずかしい。だいたい、父以外で、異性の人と一緒にご飯を食べる経験がない。思考は軽くパニック状態。混乱をきたしていたが、不思議と能力スキルによる暴走はない。その代わり――やっっぱり心臓の鼓動が止まらない。


(どうして?)


 自分の体のことながら、本当によく分からない。明らかにこんなの【異常】だ。帰ったら父と母に相談すべきかもしれない。暴走が無いのはそれだけで感謝だとしても。でも明らかな違和感を感じていた。実験室の稼働試験から卒業した今も、両親の定期メンテナスが必要な自分の体が、本当に恨めしい。


(どう足掻いたって、私は実験室のサンプル――)


 それは覆えることのない現実リアル

 つい爽君を見る。美味しそうにチキン南蛮を頬張る、その瞬間だった。


 爽君は私のことを知らない。

 だから、そんな風に接することができる。


 (私をただの転校生だって思っているから)


 バケモノなのに。私は無差別に人を焼き殺したバケモノなのに。そんな想いが募る。きっと爽君は、私の正体を知ったら怯えて――恐怖する。今のように笑ってくれない。そう思うと、それだけで胸が苦しくなった。


 爽君の優しさが嬉しくて。このまま依存してしまいたい、と思う。でもダメ、これじゃダメなんだと、自分に言い聞かせる。


「……た、ひなた?」


 ずっと声をかけられていたらしい。思わず、体を硬くしてしまった。でも爽君はそんな私に構わず、満面の笑顔で見やる。


「チキン南蛮、食べてみる?」


 思わぬ言葉に絶句した。

 でも、それを爽君は肯定とみなしたらしい。


 迷わず、箸を私に向ける。

 担任の先生もお勧めしてくれたチキン南蛮。でも量が多いと事前に聞いて。とても食べきれない、そう思って諦めた。


「遠慮しなくて良いよ? 本当に美味しいから」

「あ、でも、爽君、その――」


 それって間接キスになる。なっちゃうから……。


「美味しいものを、ひなたとシェアしたいって思っちゃったのダメかな?」


 瞳の奥底まで覗き込むように、爽君は言う。

 その瞳を通して、私が映っていた。

 その目が、私をしっかりと見てくれているのが分かる。緊張していた体の強張り、動悸まで含めて。ぜんぶ包み込まれて、溶かされそうだった。


 無意識に、チキン南蛮を啄む。


 鶏肉が、ほろほろと口の中で溶けていくようだった。タルタルソースとの相性も抜群で。御飯の量がもっと少なければ、食べ切れるれるかもしれない。少食の私にそう思わせるくらい、本当に美味しかった。


「食べ方が可愛いね。小動物みたいだ」


 クスリと爽君が微笑んだ。


「へ?」


 そんなことを突発的に言うから、リアクションに困る。そんな私の反応を見て、やっぱり彼は嬉しそうに笑んだ。


「いいよ、ゆっくり食べて」

「あ……うん。ごめんなさい」


「何で?」


 爽はきょとんと首を傾げた。


「待たせてしまって。遅くて――」

「ひなたは固くなりすぎだよ」


 爽君はそう言って笑う。その双眸は、やっぱり私を見てくれている。妙な安心感を感じて、体の力が抜けるような感覚を覚えた。しかkりして私、ちょと気を抜きすぎだから――。


「こうしていると、食べているひなたを見ることができるでしょ? むしろ役得だからね? ひなたの色々な表情見たいって思うから」


「……恥ずかしいから、食べるトコは見ないで欲しい。それに……私を見ても、何の得もないよ?」

「まぁ他の女子は見ないけどね」

「え?」


 それは見世物っていうこと? 


「だから、ひなたの表情をたくさん見たいってことだよ」


 さらに笑顔でそう言う。

 私は俯く。そんな風にサラリと言うの、爽君はズルいって思ってしまう。頬が熱い。


 この人はどうして、こうも簡単に築いた壁を越えてくるんだろう? そんなことを言う人は今までいなかった。


 私はどうしていいか分からず、呆然としてしまって。でも、妙に居心地が良いとも思ってしまうのだ。そんな自分の思考回路が、本当によく分からない。


「放課後は、校内を案内するね」


 爽君は私を見守るように、やっぱり笑みを絶やさない。


「……そうやって見られていたら食べにくいよ、爽君……」


 私が漏らした言葉に反応するように、爽君はさらにニッと笑んだ。


「食べさせてあげようか?」

「け、結構ですっ!」


 もうそれだけで、私の理性は崩壊寸前だった。爽君はニコニコ笑っている。そんな彼を見ていたら、私も少しだけ、唇の端が綻んでしまう。そういえば、って思う。学校で笑うのは、いつ振りだろう? そんなことを思いながら。


 ご飯を食べて「美味しい」と感じやお昼は、本当に久しぶりだった。

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