CASE2 : 職場に大穴が空いていた時②

 出て行ったゴルチェと入れ替わるように、上司の呉山くれやま課長が神殿に入ってきた。


 彼は階級が上であるため、ノドゥたち平神官の制服や帽子より、全体的に華やかな仕立てになっている。


「あ、おはようございます。クレメンス大神官」


「おお、おはよう。一班は全員揃ってるな」


 本人同様に少しお腹が出た、恰幅の良い中年男のアバターだ。現実世界では続々と引退してゆく頭髪たちを引き留めようと悪あがきに励んでいるらしいが、キャラクターとしては潔くスキンヘッドになっている。


『せっかくのゲーム世界なんですから、願望詰め込んで遠慮なくフッサフサにすればいいじゃないですか。よかったら髪が本体かっていうくらい、すごいの作ってあげましょうか?』


 キャラクターメイキングが得意なギーチが以前そう申し出たところ、


『現実の鏡を見るたびにがっかりするのは、俺は嫌なんだよ。まぁいずれは坊やたちもこの気持ちがわかるようになるさ』


 と、素晴らしく生暖かい目で見られたらしい。


「礼拝堂の確認作業はもう終わったのか?」


「はい、つい今しがた終わりました。ちなみにあと一部屋で、神殿内は全て完了だそうです」


 スースが報告する。


「すまんな。ハイリオン城のチェックにかなり手が取られてるらしくて、急遽こっちでやることになったものだから」


 ちなみに出社中は基本的に、ワンダーリアネームかワンダーリアの役職名で呼び合うことになっている。ゲストの前でうっかり呉山課長などと呼んだりしないように、研修中からそれは徹底して叩き込まれていた。


「作業はともかく……大いなる誤解を招いて、あやうく同僚を一人失うとこでしたよ」


 と、ギーチが苦笑しつつ言う。


「ええ?なんだそりゃ」


「まぁ今はもう、一緒に壁やら床やらでうごめいた仲なので大丈夫ですけどね」


 そんな他愛もないことを話しながら、ぞろぞろと最後の一部屋に入った。


「……あれ、ここってこんな部屋でしたっけ?」


 がらんとした空間に、ノドゥの声が響く。石造りであるという点は礼拝堂と同じなのだが、絨毯は敷かれておらず、なんの什器じゅうきも飾りもない。


「いや、ここは予定では休息所になっているはずだが……それに、なんだこの大穴」


 クレメンスは眉根を寄せて部屋の中を見回している。彼の言った通り、どういうわけだか部屋のど真ん中にぽっかりと大きな穴が開いていた。直径はニメートルほど、深さは数メートルはありそうだ。


「実はガラス床仕様とか……あ」


 つい寸前までノドゥの隣にいたクヤが、急に消えた。


「駄目だ、落ちちゃうやつだこれ」


 穴の中から声がする。ガラスの有無を確認しようと足を踏み出したら、普通に落ちたらしい。


「クヤ、今はスタッフモードか?」


 クレメンスが穴の底に向かってそう聞いた。


「そうです。すいません、どうせなら切り替えてから落ちた方がよかったですね」


 這い上がってきたクヤがそう呟く横で、ノドゥはスタッフモードをオフにした。このモードになっていると、武装やHP・MPといった概念がなくなるのだ。五感の連動についてはそのまま変わらないが。


「今解除したんで、降りてみますね」


「頼む」


 ノドゥは一呼吸おいてから、穴の中へ飛び降りる。少しの浮遊感の後に、靴裏が床をとらえた。ざっと四メートルくらいか。


「どうだ、ダメージは」


「少し入りますね。底は土みたいです」


「骨折判定は?」


「ひとまずは大丈夫そうですが……変な体勢で落ちたりしたら、もしかしたら判定が入るかもしれません」


 壁の突起をつたって、ノドゥは這い上がった。


「こりゃ確認した方が良さそうだな。バグを発見したらどこに連絡を入れるとか言ってたか?」


「あ、第三開発課でいいみたいです。ちょっとコールしますね」


 言いながら通信を入れる。


「第三開発課、栗山、じゃなかった、クーリーです」


 暗いというか、隠しきれない疲れが滲み出ている声が応答した。


「神殿課のノドゥと申します。お忙しいところすみません。実は今、神殿に入ってすぐ左にある部屋をチェックしているところなんですが、この部屋って仕様変更になってます?元は休憩所の予定だったと思うんですが、全然そんな感じじゃなくてですね」


「え!?仕様変更は聞いていないんですが……すみません、ちょっと視界共有してもらえます?今どういう状態ですか?」


 明らかに慌てた様子になるクーリー。


「了解です。えーと……視界共有って……あ、これでいいかな。どうでしょう、映ってます?椅子とかそういうのは何にもなくて、部屋の真ん中に落ちると少しダメージが入る大穴が開いてるんですが……見えますか?」


「み、見えます……恐ろしいものが……がっつり見えてます……」


 その後しばらく、流れている冷や汗の音が聞こえてきそうな沈黙があった。


「……あの、流用しようとした部屋が、たぶん、そのままに……ちょっとお待ちを」


 マヤマぁあああ……!!という怒りの声が少し遠くで聞こえ、ヒィ、すんません!規格変更になった王城にかかりきりで忘れてました……!!という涙声の弁明が聞こえてくる。


 しばらくして戻ってきたクーリーは、非常に歯切れ悪く切り出した。


「あの、ですね……今から、予定通りに組み直そうとすると……他の諸々がもう絶対に間に合わなくなるので……すみません!部屋の奥に扉を作って、未使用の什器や装飾品を置いた倉庫に行けるように繋ぎますので……どうか皆さまで良さげに装ってください!後は任せます!!本当に申し訳ありません!!」


 そう言い逃げして、通信は一方的に切れた。


「……あらまぁ」


 五人は顔を見合わせる。


 なにやら大変なことになってしまった。

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